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zoom RSS 「障害学と平和学」について

<<   作成日時 : 2005/07/09 23:39   >>

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障害学と平和学」について
   知り合いの大学院生であるIさんが平和と障害というキーワードで国会図書館に登録されている論文を検索してくれた。感謝、感謝。

 そのキーワードで見たところ、国会図書館に収録されているものには、平和学の視点で障害者問題にアプローチした論文はなさそうな感じだった。(どなたか、ご存知ならこのコメント欄にお知らせいただければ幸いです。)
 構造的暴力という観点から障害者が背負わされている問題にアプローチするというのは、面白そうだと思う。そして、構造的暴力という視点と社会モデルというアプローチは、とても親和性のあるもののようにも思える。その2つの概念を使って障害者問題へのアプローチに成功したら、それは平和学でもあり、障害学でもあるんだと思う。
 今日、サブシステンスと障害学というテーマで研究会の報告。この準備の過程で、考えたことは少なくなかった。上に書いたこともそうだし。
 サブシステンスと障害学、両者とも近代を超えるための手がかりになるのではないだろうか。開発主義、生産力主義、それらを相対化するための有効な概念になりえるように思う。しかし、フェミニズムがそうであるように、それぞれの概念を使う研究の中にも近代を超えるベクトルをもったものと、そうではないものがあるように思う。同時にそれは近代を越えるベクトルを持っていないものは不必要だ、ということでもないように思う。
 いまでも、ボロボロになりながら、平等という近代の価値を追及する人がいる。それはそれで、とても大切なことだと思う。そこで、問われるのは武者小路さんが人間安全保障序説の中で引用している「非改良主義的改良」ではないか。その本の16pの注で武者小路さんはこの概念を以下のように説明する。
===
「非改良主義的改良」は、訪日講演(アソシエ、2002年4月21日)の際に、Nancy Frazerが強調した論点による。改良主義は、体制の枠内での問題解決のみに政策を限定する主義であるが、「改良」政策の中には、これを推進すれば、必ず体制自体の変革につながらざるを得ないものもある。非改良主義的改良とは、初めから体制変革を打ち出さないけれども、その推進する改良が、必ず体制そのものの変革を導き出す「改良」をいう。116p
==
この戦略、けっこう危うい部分もあるということを自覚する必要はあると思うが、そのことに自覚的であれば、面白いかもしれないと思う。
 これを書きながら、そうか、そういうことだったのかと遅まきながらわかったのは、武者小路さんがセン―緒方の人間安全保障報告書を持ち上げているのは、こういう戦略だったのか、ということ。
 しかし、この戦略、力関係が圧倒的に不利な現在の情況で、どのように有効に機能させるかというのは、とても困難だということは容易に想像できる。今度、話す機会があったら、武者サンに聞いてみよう。

なんか、話が散漫だけれども、ま、これが私です。

今夜も、とりあえず今日はここまで。

==7月12日の訂正==
ちょっと恥ずかしい訂正

「障害と構造的暴力」というキーワードで検索してみた。これで、いくつかヒットしました。やっぱりキーワードの選択、大切です。反省。こういう観点で考える人は少なくないということがよくわかりました。
ちょっとだけ言い訳をすると、構造的暴力と障害者というテーマに社会モデルという観点から考察したものはまだないように思います。どなたか、ご存知の方は教えてください。
 

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