今日、考えたこと

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zoom RSS 障害者の就労の位相をめぐる考察への違和感

<<   作成日時 : 2005/09/19 05:03   >>

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田島さんの以下の論文についてのコメント
==
ひとの価値と作業療法
− 障害者の就労の3つの位相をめぐる一考察 − 

田島明子 
20050815

『作業療法』 VOL24 No.4 pp340-348

http://www5.ocn.ne.jp/%7Etjmkk/ta2.htm
==

作業療法については何の知識もないが、上記の論文を読んでとてもコメントしたくなったので、コメントをメモしておく。

そんなに長くないので興味がある人には読んで欲しいが、とりあえず、冒頭の要旨を以下に貼り付ける。
===
要旨:
 社会に内在する価値に無自覚であることで,支援という名目においてかえって障害を有する人たちの否定的価値を助長してしまうことがある.本稿の目的は,そうしたパラドキシカルな現況を明らかにすることにある.
 本稿の構成は次のとおり.@作業療法に内在する価値について整理した.A障害者就労の形態について,「能力主義」と「障害価値」を分析軸として3つの位相があることを述べ,そうした分析視点から「リハビリテーションの位置」を明確化した.Bそれらの結果から,作業療法に内在する価値について,「ひとの価値」という観点から検討を加えた.

===

この要旨の冒頭にある目的についてはその通りだと思う。
リハビリテーションはぼくの理解では医療モデルを体現するものであり(作業療法も理学療法も)、そのような形での支援が否定的な価値を助長してきたのだと思う。作業療法士向けの雑誌に掲載された論文だから、田島さんは「しまうことがある」と控えめに書いているが、ほとんどの場合で、

「否定的価値を助長して」きてしまった。

のだと思う。ぼくが「CBR」という名称が第三世界での障害者支援の代名詞のように使われることが、とても危ないと感じるのも、そのあたりに由来する。「途上国援助」という文脈の中で、障害者といえば、必要なことはリハビリテーションだけ、と言わんばかりの感じがある(とりわけリハビリテーション業界の人に)のではないかと思うからだ。

 だからこの論文で、作業療法については何もわからないぼくだが、それが医療モデルではないナニモノかであるようないろいろな理論の説明には違和感が否めなかった。

 しかし、この論文にコメントしたくなったのはその部分ではない。就労の分析にかかわる部分だ。それは、ぼくの立ち位置を自覚させるためにとても有効だった。そういう意味でも、この論文にはとても感謝しているということを最初に表明しておこうと思う。しかし、コメントしたくなったのは、この就労の分析への違和感だ。

まず、分析の前提となる部分への違和感から書いていこうと思う。


ここで田島さんは
> 「障害」とは「できない」ことであると,まずは,端的に言うことができる4)
と言い切る。最後の4)で注に示されているのは、
==
4)立岩真也:障害学の主張 第2章 ないにこしたことはない・か1.明石書店
==
だ。この文体はとても立岩的なのだが、これは田島さんの断言だと思う。立岩さんはこんなに単純明快には言い切っていないようにぼくには思える。できないこととは、何かができないことであり、その「何か」ということを考えていくと、この表現は端的かもしれないが、端的過ぎて何も言ってないようにも思えてくる。また、ここでは「ユニークフェイス」は位置づかない。

田島さんはさらに「障害を有する人たちが求めてきたことは,他者や社会から付与されてきた否定的価値にいかに対抗し,その否定性を否定するか,ということであった5)」と言うのだが、ぼくのまわりの多くの「障害者」と呼ばれる人々がそれを求めてきたとは思えない。それは「障害を有する人たちが求めてきたこと」ではなく、今でも少数の当事者運動にかかわる人が求めてきたことだということは明確にしておいた方がいいと思う。多くの障害者がこのようなことを求めていないのは田島さんが書いているように「個人の主観的選好に社会内在価値が反映される」からという面はとても強いと思うが、果たして、本当にそれだけなのかという疑問は残る。

前提としてのこの2点は就労に関する分析にも関係しているように思えるので、とりあえずここに明記しておく。


さて、この就労に関する分析のいちばん大きな違和感は
>1) 能力主義の肯定/障害の無化・否定
> 「一般就労」「福祉的就労」がこれにあたる.
この部分だ。これがぼくにコメントを書かせたと言っても過言ではないだろう。
「能力主義の肯定/障害の無化・否定」ではない形で「一般就労」「福祉的就労」がありえるはずだと考えてきたからだ。能力主義を完全に否定するのは困難でも、障害を無化・否定しない形での一般就労はありえるはずだ。

まず、障害者が常に「何ができないか」というふうに見られていることの問題だ。できることではなく、できない部分に注目される。彼女や彼ができることに着目しさえすれば、障害者の一般就労はまだまだ広がる余地がある。それは能力主義は肯定しているかもしれないが、障害の否定ではないはずだ。一般就労がこの「能力主義の肯定/障害の無化・否定」を超えて、広がる可能性こそが追求されなければならないと考えるからここに強い違和感を感じたのだと思う。資本制社会の中でも可能なことはありそうだと感じている。もちろん、新自由主義をもっと押さえ込まなければ、それは可能にならないだろうとも思うが。
 また、田島さんのこの文脈で雇用率制度はどのように位置づくのだろうか。現状よりもっと高い雇用率の設定と強制力の強化があっていいように思う。そこで障害者がお客のように置かれるのでなく、実際に使われる方途が追求されることが問われているように思う。

とりあえず、今日、書けるのはこの程度だなぁ。

長い前書きに比較して、書きたかった本論はとても短い。

田島さんが書きたかったことに肉薄できていないというのは強く感じる。ここで彼女が主要に作業療法士の人に伝えたかったのは別のところにあるというのもわかる。
『これまで言われてきた効果等に対する資格職・専門職としての倫理6)ではなく,対象とする人たちの「存在の価値」のための規範・倫理』
 前者と後者の価値の逆転が多すぎるのだと思う。後者の規範・倫理を軸において作業療法に何ができるかということは、もっと考えてもらいたい。

とりあえず、コメントできたから、今日はここまで。



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内 容 ニックネーム/日時
こんにちわ。私は作業療法の大学に通っている4年です。卒業研究で身体に障害を持つ方の就労について研究しています。それで少しネットしてたらこれを見つけました。その研究は身体に障害を持っていて現在働いている方に聞き取り調査を行うものです。4名にしかお話を聞くことができなかったのですが、話や記事の内容が共通していると思いました。最後の部分の“『これまで言われてきた効果等に対する資格職・専門職としての倫理ではなく,対象とする人たちの「存在の価値」のための規範・倫理』前者と後者の価値の逆転が多すぎるのだと思う。後者の規範・倫理を軸において作業療法に何ができるかということは、もっと考えてもらいたい。”部分には非常に考えさせられました。話を伺った人達は自分の能力を生かし働いていました。能力を獲得するため大変努力された方もいた。私はまだ学生で実際に現場で働いているわけではないのですが、病院での研修などを行うと、セラピストは確かにできないことに目をむけているような気がします。対象となる方のできることや能力に目を向けて、対象の方と一緒にやって行けたらなって思いました。
意味不明な文章ですいません。。
作業
2005/11/19 07:25
つるたさんがご紹介くださった文章を書いたものです。ちょっと気になったものですから、コメント落とします。私が上の文章で書きたかったことは、まさに「対象となる方のできることや能力に目を向けて」という、このまなざしに対する問いかけです。なぜ「できる」ことに目を向けようとするのか。「できる」ことでその人の価値の獲得(就労できる、収入を得る)を目指そうとするなら、その人は「できない」ことによって価値を否定されていることになります。私たちは日頃、「できる」ことは「よい」と思っていますが、それはなぜでしょうか。「できない」ことは「よくない」ことなのでしょうか。「よくない」とすればそれはどこから生じた価値なのでしょうか。そんな問いの繰り返しから、『「存在の価値」のための規範・倫理』などというあやふやなものが確定してくるのではないかと、そんな思いで書いてます。
ふぐ
2005/11/30 21:52

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