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zoom RSS 障害学と平和学

<<   作成日時 : 2005/10/07 00:05   >>

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ブログに掲載することを探して、見つかったのが以下。
2005年7月、環境・平和研究会で「障害学とサブシステンス」というテーマで発表したときのレジュメに若干補足して転載

構成
1、障害学とは?
2、障害学と平和学
3、サブシステンス視座と障害学

1、障害学とは?

==
「障害を分析の切り口として確立する学問、思想、知の運動である。それは従来の医療、社会福祉の視点から障害、障害者をとらえるものではない。個人のインペアメント(損傷)の治療を至上命題とする医療、「障害者すなわち障害者福祉の対象」という枠組みからの脱却を目指す試みである。そして、障害独自の視点の確立を指向し、文化としての障害、障害者として生きる価値に着目する。」(長瀬修・石川准編『障害学への招待』明石書店,1999年)
==
医療・福祉モデル(個人モデル)から社会モデルへ

障害学の視点が現代社会全体の暴力性・加害性を見据える視点にもなりえる。
障害学の視点≒障害者の視点 から世界はどのように見えるのか。
ex.生産力が高いものが優遇される社会について。生産と配分をどう見るか?

障害学のバリエーション 文化モデル  差違派・平等派 第2世代社会モデル
 (これらについて、倉本智明さんの断続的連載コラム「障害学カフェ No.1~7参照」がわかりやすい。)http://www.akashi.co.jp/menue/rensai/cafe_00.htm
   
 障害学の誕生は障害者当事者運動と密接に連関

障害学の主体は?
==
誰でもが障害学の担い手になりうるという意味ではありません。自分がいまどこに立っているかについて自覚できない者、しようとしない者には障害学はできない。してもらっては困ります。
(中略)健常者の方が障害学にどんどん参入されることを、私は歓迎したいと思います。ただし、そのとき、自分がいま、この社会においてどういう位置にいるのか、そのことについてまず考えていただく必要があるということです。問題を外部から観察する中立的な観察者であるかのように誤解しないこと、広い意味で当該問題の当事者であらんとすること、これが障害学の主体たりうる条件です。(略)自分の立ち位置に無自覚な者、自分を棚上げにしてなにかを語ろうとする者に障害学はできない、これが私の立場です。障害学カフェNo.7・倉本
==
この主体の建て方は、南北問題研究、女性学、先住民研究などでも妥当するのではないか
英国障害学ではpeople with disabilityではなく、disabled people (disableにされた人々)
ex. developing country ではなく、 underdeveloped country と呼ぶ考え方。
上野・中西の当事者主権(岩波新書)では「当事者学」という整理で女性学と障害学をとりあげている。



2、障害学と平和学

構造的暴力と社会モデル 構造的暴力としての「健常者」中心社会 
  価値志向性、当事者、現場、運動との関係

 Ex.「障害者」問題と女性解放運動
   ポストモダン・フェミニズム(金井淑子1989年)に集録
 これはまだ障害学が日本にはなかった頃 この金井の先駆性。この本の帯に「同一性や平等の原理を越える<差違>の新しい地平をめざし、… とある。この頃、障害学があれば別な記述がありえたはず。

障害学と平和学の交差するところ
 構造的暴力としての「健常者」中心社会
 社会モデルと構造的暴力の親和性
 両方からのアプローチの必要
  意外にもほとんどない平和学からの障害者問題を対象にした研究。
  当然、障害学から構造的暴力という視点もない。そこにはかなり広大な領域があるように思える。
  いろんなものを「平和学する」可能性



3、サブシステンス視座と障害学

志向性としてのサブシステンスパースペクティブ
 それがめざす価値と障害学
 開発とリハビリテーション
  生きること、生活すること、ベーシックな必要、
  それと障害学がどのように連関するか?
  ベースにあるのは障害者として生きること
  それは「開発」あるいはリハビリの強要ではない。
 
たとえば、人工呼吸器は「諸条件の総体」(横山定義)に含まれるか?
「人工呼吸器をつけますか」という問いが出される現状
そこには選択がない場合が多いという事実

心臓移植はどうか?
人工呼吸器には肯定的で、臓器移植には肯定的になれない。

それをわかつものは何か?
「動いている心臓を取り出す」ということが持つ意味
「生きる」ことを成り立たせる物質やサービスがどのように人に届くのかというの点を問わずに、それを「基盤」と見なすのは問題ではないか?生存を可能にする物資が供給されていさえすれば、それでいいのか?

先端技術とサブシステンス 生存のために必要な人工呼吸器・車椅子
    シューマッハ流の適正技術だけで十分なのか
何がサブシステンス的なのか グラデーションに切れ目を入れる


優先順位の転倒について
夜警国家支援(こうもりさん)http://www.eft.gr.jp/enough/resource/040829koumori.htm

==以下、引用==
・まず、困窮している自閉当事者の安全と生活費の確保を最優先課題とする
・ 問題そのものの即物的解決が目指される。
 障害による困難のために生きるために必要のものが確保できない,安全が確保できないという事態があれば、まずはそれらを確保することに高い優先順位が置かれる。困難を軽減するための訓練はそれから行うべきという前提を絶対に覆さない。
・極めて消極的である

支援はあくまで自閉当事者(あるいは扶養者)が危機に陥り、自力解決ができなくなった時だけに行われる。夜警は危険な時だけ治安を守り、安全な時は活動をしない。「夜警支援」もまた自閉当事者が順調に働くことができていたり、いじめや虐待のない状態では必要とされない。・自己否定性を持つ 経済面,安全面から見て危機的な状況から抜け出すことができた時、その支援は必要ではなくなる。自転車の補助輪が最終的には取り外されることが目指されるように「夜警支援」もまた最終的に取り外されることが目指される。
==引用ここまで==

開発援助との共通性はどうか?
この支援の消極的なありかたにサブシステンス視座を見ることができないか?

快を増やすことよりも、不条理な苦痛の除去を優先するありかた。


西山志保さんのサブシステンス定義をどう見るか
  この定義と障害学の親和性
「ここでいうサブシステンスとは、他者との関わりのなかで、人間の「生」の固有性、そのかけがえのなさに徹底的にこだわる「支えあい」をさす概念である。」
 サブシステンスについて先行研究の評価はともかく、目配りとその整理については、これまでになかったものであり、一読に値する。

障害学から見えてきたもの
 社会科学・人文科学の研究にジェンダーの視点は不可欠になってきている。
 「障害」を社会モデルで見ていくという視点をそれらの研究に入れていくことでの広がり
 また、障害学を通して世界を見たとき、そこに出現する現状の世界のゆがみ
 そこから「もうひとつの世界」を展望すること
開発主義・生産力主義からの離脱  近代を超える価値の創出  
脱近代市民モデル  平等と差異の微妙な相関関係(ジェンダーをめぐる論争)

 「誰を障害者と呼ぶのか」それを決定するのは社会関係、あるいは政治
 「何をサブシステンスとよぶのか」 グラデーションのどこに誰が切れめを入れるか。


結語はなく、未完

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
>当然、障害学から構造的暴力という視点もない。

私は障害学そんなにまだ勉強できていないので、そういうのが障害学で出てこないのはちょっと驚き・・・です。
もっと構造的暴力って障害学と関係ありそうな気がしてました。
(私自身全然よく分かってないのですが)

>西山志保さんのサブシステンス定義をどう見るか
>この定義と障害学の親和性
>「ここでいうサブシステンスとは、他者との関わりのなかで、人間の「生」の固有性、>そのかけがえのなさに徹底的にこだわる「支えあい」をさす概念である。」

「自分」が認識できるのは、自分と違う別のたくさんの人たちがいるから・・・というようなことを誰かが言っていたような気がしますが、その中でどう支え合うか、分かり合うかは大事だと思います。
よく分かってないのですみません・・・。

 
TWENTY
2005/10/09 00:13
> >当然、障害学から構造的暴力という視点もない。
>
>  私は障害学そんなにまだ勉強できていないので、
> そういうのが障害学で出てこないのはちょっと
> 驚き・・・です。> もっと構造的暴力って障害学
> と関係ありそうな気がしてました。

先行研究をぼくが見た範囲での話なので、もしかしたらあるのかもしれません。
ちょっと断定的に書きすぎでした。反省します。
tu
2005/10/09 02:54

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