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zoom RSS 当事者性について(「ふぐりんの雑記」に触発されて

<<   作成日時 : 2005/12/10 11:23   >>

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ふぐりんの雑記に書かれていることがなぜかとても気になる。
なぜだか良く分からないのだけど気になる。問題意識に近いものがあるのか?それとも自分では意識できない何か別の理由があるのか?
ともかく、12月7日の記事は「当事者性を引き受けるとか、降りるとか」というタイトル。
ここで書かれていることに直接対応するわけではないが、ぼくが考える当事者についてのメモを書いておく。

障害を個人モデルではなく、社会モデルで考えるなら、「障害者問題」を引き起こしているのは基本的に社会である。この「問題」の当事者はそこで不利益を受ける「障害者本人」であり、不利益を与える社会を構成する障害者と分類されない多数派を構成するひとり、ひとりである。そういう自覚を込めて「私は当事者だ」と言いたいと思う。田島さんの書いていることとはすれ違うが、そういう意味で当事者から降りることはできない。

当事者性について考える時、最近、いつも思い出すのは障害学カフェに掲載されている倉本さんの以下の文章だ。

No.7 障害学の目的と対象、方法、主体

部分的に引用する。
===
障害学の対象、そしてその方法
つぎに、障害学の対象です。それは決して障害者だけではありません。障害・障害者ももちろん対象に含まれますが、障害学が本当に対象とするのは、その背後にある社会諸関係です。ある身体やふるまいに特別な意味を与え、その排除や抑圧を合理化するしくみと、そうした状況下での人びとの生のすべてを障害学は対象とします。だから、時に直接には障害や障害者が素材とはなっていない研究だってあるかもしれない。一見したところ、障害者とは無関係にみえるけれど、よく調べていくと、そこには健常者中心主義が見い出されるといったことも考えられるからです。

==中略==

先ほど、私は、健常者でも障害者でも障害学はできると書きました。しかし、それは、誰でもが障害学の担い手になりうるという意味ではありません。自分がいまどこに立っているかについて自覚できない者、しようとしない者には障害学はできない。してもらっては困ります。もちろん、最初から「私の立ち位置はここです」とはっきり言える必要はないでしょう。むしろ、それは障害学を実践していくなかで徐々にわかってくることでしょうから。しかし、可能な限りそれを見極めようとする姿勢は必要です。
健常者の方が障害学にどんどん参入されることを、私は歓迎したいと思います。ただし、そのとき、自分がいま、この社会においてどういう位置にいるのか、そのことについてまず考えていただく必要があるということです。問題を外部から観察する中立的な観察者であるかのように誤解しないこと、広い意味で当該問題の当事者であらんとすること、これが障害学の主体たりうる条件です。どこにイーゼルを立てて描いたのかよくわからない絵を見せて、「障害学です」と言われても、私は破り捨てます。自分の立ち位置に無自覚な者、自分を棚上げにしてなにかを語ろうとする者に障害学はできない、これが私の立場です。
==

これ以上、いまはもう書けないなぁ。



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