今日、考えたこと

アクセスカウンタ

zoom RSS 野崎泰伸さんの「障害者自立支援法と障害者の自立――誰のための公共性か」

<<   作成日時 : 2006/02/20 02:00   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 3 / コメント 3

『情況』2006年1,2月号収録(特集 公共性の不可能性)

これ、読みたいと思っていたら、ちょうど、この雑誌を持っている友人と出会い、貸してもらったのが先月の末だった。これについて何か書きたいなと思っているうちに1ヶ月近くも経過してしまった。とりあえず、感じたことをタイプしたのでここに掲載。



最初にこの論文の構成と目的が書かれている部分を引用

この論文では、
==
「まず、日本の障害者運動が何を主張してきたのかを概観」し、「次に、障害者たちが主張してきた自立の概念はどのようなものであるかを述べ」「最後に、障害者たちの主張してきた自立と、「支援法」が「支援」しようとしている自立との間の差異を明確化する。このことによって、なぜ障害者たちが「支援法」が「法案」の段階から反対しているのかという理由をクリアに描写することが本論文の趣旨である。その中で、公共性とはどうあるべきかという問いにも自ずと答えの輪郭が与えられることになるだろう。私には、公共性とは不在に追いやられた存在を、もう一度存在の側へと引き戻す作業であると思えてならない。」109p
==
としている。この特集のタイトルは「公共性の不可能性」というものだが、野崎さんは不可能性を述べるのではなく、可能性、あってほしい公共性について語る。他の論文は読んでいないので、この特集のタイトルが妥当かどうかは判断できない。

自立の概念の説明の中で、社会モデルの意義を以下のように整理している部分はわかりやすい。
==
・・・問題にすべきは社会モデルがなぜ意味があるか、である。立岩真也も言うように、「被っている不便や不利益の「原因」を社会に求めたから」ではない。障害者が何かを実現するときに、「どのように達成されるべきか」に社会モデルの意味の核心がある。すなわち、医療モデルと社会モデルの大きな違いは、障害に関わる問題に対して「誰が義務を負うのか。負担するのか」にあるのだ。
==


「障害者がまず生存すること」を制度の前提とすることが問われていると野崎さんは主張する。これこそが、サブシステンス志向ではないか。「する」ことよりも「ある」ことが基本に置かれるべきなのだとぼくも思う。これは障害者に限った話ではない。開発よりも人々が生きていくことが前提とされるべきだ。換金できる輸出用の作物よりも人びとが日々食べるものが生産され、それを生産したものの口に入るような政策が問われている、と書いてしまってから思い直す。確かに生産手段を所有する者に多く分配されることは問題であり、生産する者に正しく分配されなければならない。しかし、分配されなければならないのは生産する者だけでなく、必要としている者に対してである。それを可能にする共同性を再構築することが問われている。それをどのように、と考え始めてキーボードをタイプする指が止まる。

 共同性を再構築するような公共性こそが問われているとは思うものの、それだけを取り出すと、世帯主義のからめとられる危険もあるだろう。このことを記述し始めると、まだ暗礁に乗り上げてしまいそうなので、問題を戻そう。

 必要としている者に必要な量が分配されることをよしとする共同性の回復のために、できることは何か。大きなことはなかなか考えられない。そのような人間関係を可能にするような職場、労働組合の形成。あるいは地域での産直グループ。地に足が着いたそのような重層的なネットワークを広げていくこと、その中で顔の見える、あるいは顔だけでなく一人ひとりが抱えている重さ、生き難さをも想像できるような関係性が必要だ、とまず書いてみる。しかし、濃厚な関係は息苦しい関係でもある。自分の背景にある重みなど知られずに生きる快適さというのは確かに存在する。

 共同性を回復・創造するという問題の立て方自体が間違っているのか、しかし、それを抜きにして、必要な人に必要なものが届くシステムというのは考えられないようにも思える。

 野崎さんの文章の主題から離れてしまったかもしれないが、野崎さんのこの論文を読んで何かを書きたくなり、書きはじめたら、キーボードを叩く手は、そんな風に動いてしまった。何か重要なことを欠落させてしまっているようにも思うが、今日もとりあえずこのあたりで終えておこう。

P.S.1
必要とする人に必要なものが届くことを構想するときに、それを獲得できるものを分配した上で、一定の負担を求めるという考え方自体がそんなに間違っているとは思えない部分もある。すべてタダの場合に必要以上のものを求める人は確実に存在する。確かに必要な量が当事者も含め、納得して決められるシステムがあればそれでいいのだが、必要な量を決定することはそんなに容易ではないようにも思える。その決定のための補助線として、一定の比率を裁量できる金額の中から負担することを含めることは、考えられてもいいように思う。しかし、今回の自立支援法の場合は前提となる所得の保証は不在で世帯主義も大きく残ったまま、行われていない。

宿題になっているダイレクトペイメントの本もそろそろ読んだ方がいいかもしれない。


P.S.2
何かもうひとつ書きたいことがあって、上のP.Sを1にして、2を書く空間を準備したのだけれども、何を書きたかったのか忘れた。一度、アップロードしてから思い出した。野崎さんの当事者性に関する論文、どこかで読めるようにしてもらえたらうれしい。


これを読んでくれた人が下の「人気blogランキングへ」というのをクリックしてくれると、そのクリックしてくれた人の人数でランクが決まる仕組みです。クリックするとランキングのサイトに飛び、うんざりするような排外主義ブログのタイトルの山を見ることになりますが、クリックしてもらえるとうれしかったりもします。
人気blogランキングへ

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(3件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
分配の流れ
...続きを見る
投資信託について
2007/09/02 14:01
こぶし会の集い!
 時計を見ました。もう少しで午前4時。タクシーで帰るアストラム線沿いは対向車もさすがにまばら・・・・・・。  前日の午後6時半に八丁堀にある和食の店に、不思議(?)なメンバーが集まってから、ゆうに9時間半が経っています。 ...続きを見る
徒然の情報
2007/10/03 06:27
再度、障害者自立支援法がはらんでいる問題・・・!
 自動車事故による頸椎損傷のKさん。移動は電動車いす。両手両足が不自由で、朝晩の食事など身の回りのことはすべて、ヘルパーの介護を必要とする重度身体障害者。  「自立」への強い思いからヘルパー派遣事業所に勤務し、時間をかけて手指を動かしパソコンを使って仕事をしている。  そのKさん、月額8万2千508円の障害基礎年金と事業所の給与で、現在なんとか自立できてはいる。しかし、「障害者自立支援法」が施行されてからは、ヘルパーサービスにかかる経費が以前の3倍になった。「応能負担」の支援費制度の下... ...続きを見る
徒然の情報
2007/10/03 06:28

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
書いた本人です。コメントありがとうございました。特集タイトルに関しましては、いろいろあったのですが、僕を担当してくださった方は決して「不可能性」のほうにいくべきではない、と考えておられます。たぶん、邪推ですが、去年『現代思想』の特集で、下北沢あたりの界隈から析出された「公共性」と区別したかったのでは、ということが1つ考えられると思います。なお、当事者性の論文は、立岩さんの編集された冊子で読むことができます。
http://www.arsvi.com/b2000/0509ts.htm
のざりん
2006/02/21 07:36
本は近所の大きい本屋でもなかったので、残念ながら読めていません。
難しいところもいろいろあるので、ゆっくり考えたいと思います。
bandaged heart
2006/03/05 07:42
>bandaged heartさん
拙論書いた本人です。テキストファイルでよろしければ、送らせていただきます。ご入用でしたら、メールいただけますか?
アドレスはnozaki@mail.707.toです。@を半角に変換して送信ください。
>tu-taさん
この場をお借りして、失礼いたしました。
のざりん
2006/03/06 09:53

コメントする help

ニックネーム
本 文

トップ頁の右上に広告が入るようになっちゃいました。それがいやな人はさらに追加してお金を払いなさいとのこと。というわけで、この広告クリックしないでください(なんて、けなげな抵抗)。==============ブログ内ウェブ検索

ブログ内 を検索
野崎泰伸さんの「障害者自立支援法と障害者の自立――誰のための公共性か」 今日、考えたこと/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる