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zoom RSS 「「ハンセン病療養所における胎児等標本」問題の署名をきっかけに考えさせられたこと」について

<<   作成日時 : 2006/02/22 07:11   >>

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ハンセン病胎児標本問題 tu-taの疑義への返信 で紹介した返信を受けて、「「ハンセン病療養所における胎児等標本」問題の署名をきっかけに考えさせられたこと」の文章を寄せてくれた友人から私信で返信をもらったのを、一部編集して転載します。

==以下、転載==
 ブログ、読ませていただきました。
 なんだか、本当に自分の浅はかさを何度も何度も突きつけられるようで、ひどく反省しています。
 この方が(配慮のうえで)書かれているような当事者のありように思いを致さず、そこに真摯に寄り添って考え続けようとしている人々のことを知らないまま、ただ自分の限られた経験のなかの雑駁な印象から書いたことを、とても恥ずかしく思っています。
 「考えが変わらない」とか、失礼このうえないですよね・・・。 

 とんでもない決め付けをしていたことに気づかされ、うなだれています。
 
 自分の思考停止(もうこのへんでいいじゃないか、という)ぶりを痛感。
 コメント欄に書こうと思ったのですが、 コメント欄に書こうと思ったのですが、恥ずかしく、落ち着かないのでとりあえずメールさせていただきました。(一部略)
 反省する機会をいただいたtu-taさんと孫和代さんに心から感謝します。
 取り急ぎ。
==転載ここまで==

ぼくの責任でここに掲載した文章について、書いてくれた本人がこのように感じていることを記録しておきたいと思いますが、最初の文章にも考えられなければならないたくさんの真実が含まれていると、今でもぼくは思っています。少しは社会運動に関わるものとして、関っていない人との温度差の問題は、常に意識しておきたい問題だと思うのです。関わっている関わっていないという風に単純に二つに分けること自体に無理があるのですが、それでもそこに大きな温度差があることは多くの場合、間違いのない事実だと思います。

そして、孫さんの以下の文章も心にとどめておきたいと思います。
===
  沈黙するその人に寄り添いながら…

  「おのずから」黙らされているのか、
         「みずから」黙っているのか

言いかえれば、他者との関係性の中で客体にされてはいないか。個人としての個性の上に主体として立ち、黙るのを選択したのか。ということをまわりが見極めることが大切ではないでしょうか。 もし前者、黙っている原因が本人に起因するのでなければ取り除く必要があるとおもいます。外部から与えられたものを本人、1人の力で解きほぐすことは難しいでしょう。それを誰がするのか…・。
==

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