今日、考えたこと

アクセスカウンタ

zoom RSS 障害学とは??

<<   作成日時 : 2006/07/16 23:35   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 2 / コメント 0

障害学とは何か??
いろいろな説明をウェブで集めてみた。

====
http://www.arsvi.com/0ds/dsk.htm
障害学研究会九州部会の趣旨・運営体制・第1回研究会講師紹介


趣旨:

 障害学とは、障害および障害者を、医療、リハビリテーション、社会福祉、特殊教育等の専門分化された枠組みから研究するのではなく、それらを社会、文化の視点から分析し、また障害を分析の切り口として社会、文化を研究していく学問です。英米の障害当事者の研究者を中心に、従来の福祉や医療、教育などを障害当事者の立場から問い直していく営みとして発展してきました。日本でも、1970年代に自立生活運動が始まって以来、当事者自身が、また当事者の声に学んだ研究者や実践者等が既存の学問や実践の問い直しを行ってきました。そうした障害者運動の流れが、世界的な障害学の運動と出合う中で、日本の障害学は生まれてきました。

====
石川准・長瀬修 編著『障害学への招待−社会、文化、ディスアビリティ』http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1990/9903ij.htm
第1章 障害学に向けて 長瀬修
■ 障害学とは
 障害学(disability studies)とは、障害を分析の切り口として確立する学問、思想、知の運動である。障害学にとって重要なことは、社会が障害者に対して設けている障壁、そしてこれまで否定的に受け止められがちだった障害の経験の肯定的側面に目を向けることである。また、これまでの非障害者によって語られてきた歴史をもう一度見直すことである。

  イギリスのオリバーは、ディスアビリティの社会モデルを作り上げ、それまでの個人モデル、医療モデルからの脱却を目指した。この社会モデルはおおむね受け入れられているが、身体の差異、身体の制約、身体の経験を否定する傾向があるとして、モリスやフレンチは異議を唱えている。

  障害学は、障害を社会的なものとして捉えるだけでなく、障害者を「固有文化」を持つ存在という積極的な視点もある。青い芝の会の横塚晃一は「私のもっている人間観、社会観、世界観、ひいては私の見る風景までも、他の人達特に健全者といわれる人達とは全然別なのではあるまいか」と言う。

====
http://www.jca.apc.org/~hirooka/mitikusa19/miti19_3.html
「障害学」の窓から見ると(1)――障害学入門・序説?――
松波めぐみ


2.「障害学」に憑かれた私 〜自己紹介にかえて〜
 みちくさ読者のみなさん、はじめまして。私は社会人から学生に戻って4年目、「人権教育、多文化教育」を専攻している者です。(ちなみに社会人時代、人権NGOで活動をしていた私は、大阪大学のアムネスティの人々と縁があり、「みちくさ」の存在もなぜか、阪神大震災より前から知っていました。そこに、まさか自分が書く日が来ようとは・・・。それはさておき。)

 私自身が最も深く興味をもち、ライフワークにしようと思っているのが、「障害学(英語ではディスアビリティ・スタディーズ)」という、まだ新しい分野です。「えっ、何それ?」と思われるでしょうか。障害学とは、ごく簡単にいえば、障害当事者の「経験」や視点をもとに、これまでの学問のあり方(すなわち、援助や治療の「対象」として障害者を扱ってきたこと)を根本から問い直していく学問ですが、詳しくは、また後で書きます。

 学生に戻って最初の年に私は、「障害学」の本に出会い、非常に新鮮な驚きと感激をおぼえました。それまで、障害者関連の勉強や職業には一切タッチしてこなかったものの、障害をもつ友人(やその仲間)と時間を過ごすことが多く、日ごろからメディアや世間一般での「障害者」へのまなざし、扱われ方に違和感/モヤモヤをもっていました。いや、世間一般などではなく、人権に関わる運動や人権教育の中でも、障害者はゆがめて捉えられてるんじゃないかと漠然と思っていました。特に、NGO活動を通しての関心がこうじて、大学に戻って「人権教育」を専攻したいと思っていた自分にとって、そのことは看過できない問題でした。ただ、その違和感をどう言葉にしていいかわからなかった。そのモヤモヤを晴らす鍵が、障害学にはあるんじゃないかと感じたのです。

 ちょうどその1999年は、日本で初めての「障害学」の本が出て、関西での研究会も発足したばかりでした。メーリングリストの議論でも、「新しい何かが始まる」熱気を感じることができました。そこで出会った人たち(さまざまな種類の障害をもつ人たちがおり、私のような健常者もおり、活動家も技術屋さんもおり、研究者や学生でも専攻はさまざま)と日常的に深くつきあうようになり、ますます障害学の面白さに惹かれてきました。障害学と出会ってから、文字通り社会/世界の見え方が変わってきたのです。


===

http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/eth/OJ2-2/nishimura.htm
障害と身体の社会学
――障害学における〈身体〉の復権をめざして――

西村高宏
(日本学術振興会特別研究員、哲学・倫理学・臨床哲学)



0.はじめに

 現在、英米圏を中心として、ディスアビリティ・スタディーズ(Disability Studies:障害学)と呼ばれる障害に対する新たな学問的なアプローチが試みられつつある。この障害学とは、「従来の医療、社会福祉の視点から障害、障害者をとらえ」ようとするのではなく、むしろ、逆に「個人のインペアメント(損傷)の治療を至上命題とする医療、『障害者すなわち障害者福祉の対象』という枠組みからの脱却を目指す試み」のことである。またそれは同時に、「障害者独自の視点の確立を指向し、文化としての障害、障害者として生きる価値に着目する」(長瀬1999,11)ものでもある。つまり、障害学とは、端的に言って障害というものを、従来の「医学モデル」的なアプローチの範囲内でのみ問題にすることを忌避し、「インペアメントをもつ人々を無能力にしているものは、むしろ社会なのであって、ディスアビリティは、社会によって負わされるものなのである」(Bickenbach et al.1999,1176; Turner 2001,256)、とする「社会モデル」的なアプローチと、現代の社会における支配的な価値観から離脱し、障害者には障害者独自の文化があると主張する「文化モデル」的なアプローチとの二つの方向性をあわせもったもの、と言うことができよう。
====


http://www.akashi.co.jp/home.htm

「障害学カフェ」 倉本智明


No.1 二つの「障害学」

 連載を始めるにあたって、まずはこの連載がどういった感じですすんでいくかについて簡単に説明しておきたいと思います。とりあえず、連載は二つのパートによって構成される予定です。今回を含め、スタートから数回のあいだは、「社会モデル」「障害者文化」その他、『障害学への招待』でも幾度となく出てきた障害学の基礎用語や考え方について説明していこうと思います。これがパート1。その後は、そうした基本概念や考え方をふまえつつ、私たちが日々経験し、あるいは見聞きしている事柄について、実際に障害学していければと考えています。パート1が基礎編・入門編だとしたら、パート2はいわば応用編・実践編ということになるでしょうか。
 で、さっそく本論に入っていくこととしましょう。まず、のっけからややこしい話をしなければならないのですが、現在、日本には、まったく異なる性格をもつ二つの「障害学」が存在しています。ひとつは、リハビリテーション医学や障害児教育学の延長線上に提唱された学問としての障害学です。たとえば、上田敏さんは、「疾患」の研究ではない「障害」そのものの研究は医学においてもきわめて新しいものであり、リハビリテーション医学ではそれを「障害学」と呼んでいる」と記しています(上田敏『リハビリテーションを考える』青木書店,1983年)。こうした意味で、「障害学」の語をタイトルに冠した本も、書店の店頭には並んでいるということですね。
 もうひとつは、いうまでもなく、英国と米国で確立され、日本でも独自な展開を遂げてきたディスアビリティ・スタディーズ、すなわち、私たちの障害学です。長瀬修さんはこれを、「障害を分析の切り口として確立する学問、思想、知の運動である。それは従来の医療、社会福祉の視点から障害、障害者をとらえるものではない。個人のインペアメント(損傷)の治療を至上命題とする医療、「障害者すなわち障害者福祉の対象」という枠組みからの脱却を目指す試みである。そして、障害独自の視点の確立を指向し、文化としての障害、障害者として生きる価値に着目する。」(長瀬修・石川准編『障害学への招待』明石書店,1999年)と定義しています。前者が、障害者を差別し抑圧する社会のしくみを根本から問いなおすというよりは、医療や教育・福祉の拡充・刷新を通じて、主流社会への障害者の受け入れを促進しようとするのに対し、後者では、医療や教育・福祉の大本にある人間観や社会観をも含め、障害者への差別や抑圧を生み出す社会のしくみそのものの問い返しこそがめざされます。リハビリテーションや教育を通じて障害者の側が変わるのではなく、ありのままの障害者を受け入れようとしない社会の側をこそ変えるべきだとディスアビリティ・スタディーズは主張するのです。「本家○○」と「元祖○○」といった感じで、本家争いをするつもりは毛頭ありませんし、いずれもが「障害学」を名のったって別にかまわないわけですが、そういったふうに、まったく別個な内容をもつ学問が、ともに「障害学」という名を名のっているという事実は知っておいていただければと思います。
 とはいえ、ここに記したような抽象的な説明では、どこがどうちがうのかいまひとつわからないというのが正直なところかもしれませんね。次回取り上げようと考えている医学モデルと社会モデルの対立というテーマは、二つの「障害学」のちがいを理解するにあたっても、適当な手がかりになるかと思います。上田さんたちのいう障害学を含め、これまで障害について語られてきた大半のことばは、医学モデルとよばれる考え方かそれに近いところから発せられてきました。これに対し、私たちの障害学は社会モデルという考え方を基本におきます。いわば、社会モデルは、私たちの障害学と、既存の障害研究をわかつ試金石ということができるでしょう。次回は、具体的な事例を上げつつ、この社会モデルについて説明してみたいと思います。

=====



ここからはぼくがかなり前に障害学のMLに書いたもの


===
障害学は「障害者に対する差別や抑圧を認めない」という価値志向の学問だということを明確にすべきではないかとぼくは考えています。
たとえば、平和学の多くの人が主張しているように。(実践はともかく)
「平和学の現在」
知り合いの文章を引用するのは少し気が引けるのですが、「平和学の現在(いま)」(法律文化社1999年)の中で編著者の横山正樹さんは平和学について以下のように定義しています。
少し、長いですが、以下、引用します。
===横山さんの「平和学の現在」(1999年)の「はしがき」から===
 従来の観念や感覚を洗い直しつつ現実をまっすぐに理解し、今の世の中をどう変えていけばいいのかという課題に正面から取り組む学習・研究活動が平和学だ。暴力はそのキー概念になっている。
 暴力を克服し、社会の構造的な変革をめざす方向性を平和学は明確にもつ。
 しかし、平和学が展開されているおもな場は、他の研究分野と同様に、大学・研究所など間違いなく体制内になる。(中略)大学も構造的暴力から自由ではない。ティーチャー(教師=多くは研究者でもある)とラーナー(学生・学習者)の関係も見直されるべきではないか(終章参照)。体制とは変革されるべき構造
そのものなのだ。
 これは(中略)自己矛盾だろうか。むしろそれは平和学に緊張が内在していることを意味すると積極的に考えたい。(以下、略)
 
 (中略)
 
 平和をつくりだす運動は平和学と両輪となって進む。
 平和学の先端は大学や研究所にではなく、広範な平和活動の諸現場にある。たとえば、独立の課題を前にした東ティモール人の解放運動のなかに、たとえば世界各地の元戦場で這いつくばって対人地雷をひとつひとつ取り除いている人たちの営みに、たとえば戦争や内戦における性暴力を告発する女性たちの困難なたたかいのなかに。
 しかし、先端だけでは平和活動の継続は困難で、平和学もなりたたない。国境を越えたアクションリサーチを含め、運動を支える幅広い市民の学習・調査・交流活動、研究者たちによる過去の資料発掘や現状分析・理論的整理などをベースに、多数の人びとの参画によって現状は変革されていく。
 暴力克服をめざし、自力更生を進めるために学習する市民。その学習実践が平和学であるとともに、(中略)拠り所となるべき研究が平和学だ。こうした成果が人びとに共有され、(中略)―それによって初めて、グローバリゼーションの進行とともに広がる無力感や諦めを乗り越え、世の中を深部から変えていく力となるにちがいない。
(後略)
==「平和学の現在」から引用ここまで==

私が障害学に求めるのはこういうイメージでもあるのですが、それだけでは障害学は不十分で、能力主義や成果主義というような巷に蔓延している価値観とどう対抗するのかという課題は障害学の課題としては不可欠だと思うのです。
、しかし、逆に言えば、能力主義や成果主義と対抗せざるを得なくなったときに、(それは平和の実現のためにも必要だと思う)障害学は説得的な力をもちえるのではないかと思ったりもしています。

以下、わかっている人には書くまでもない話ですが、
ここで平和という言葉を何回か使っています。文脈によって、従来型の狭義の平和<戦争を含む直接的暴力の不在>と広義の平和<構造的暴力の不在>が混在しているかもしれません。

「唾棄すべきアカデミズム」って思うことはけっこう頻繁にあるのですが、勉強は歳をとってから始めると、それはそれとして、けっこう面白くて、
はまってしまいまいそうになります。


==MLからの引用ここまで==




これを読んでくれた人が下の「人気blogランキングへ」というのをクリックしてくれると、そのクリックしてくれた人の人数でランクが決まる仕組みです。そして、クリックするとランキングのサイトに飛び、うんざりするような排外主義ブログのタイトルの山を見ることになります。
でも、クリックしてください。

人気blogランキングへ

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス

トラックバック(2件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
障害学とは?? その3
この頃、なんか意地になって、毎日更新を続けている。 そろそろネタが尽きてきたかいうような感じもあるが、ハードディスクという悲しいほど便利なものにはいろいろ入っていて、ここを覗くとまだ使えるネタはいくつかありそう。クラッシュしちゃった過去のPCのハードディスクからも引き出せば、ネタはもーっとたくさんあるよね。でも、先代のPCはハードディスクが壊れてるので、これはデータを取りだすのにとてもお金がかかりそうだし、その前のPCは電源が壊れただけだから、復旧はそんなに難しくないかもしれないが、立ち... ...続きを見る
今日、考えたこと
2006/07/28 06:38
障害学とは??その2
障害学とは?? http://tu-ta.at.webry.info/200607/article_17.html で、いくつかの定義の引用をした。 その続き。 ...続きを見る
今日、考えたこと
2014/11/15 03:18

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文

トップ頁の右上に広告が入るようになっちゃいました。それがいやな人はさらに追加してお金を払いなさいとのこと。というわけで、この広告クリックしないでください(なんて、けなげな抵抗)。==============ブログ内ウェブ検索

ブログ内 を検索
障害学とは?? 今日、考えたこと/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる