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zoom RSS 障害学は近代を超えるか?

<<   作成日時 : 2006/11/23 06:38   >>

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先日、ここに書いた
『障害の政治』 訳者あとがきについてのメモ

これの後半部分、横須賀さんの日本の障害学への危惧の部分を障害学のMLに転載して、レスポンスをもらったので、それへのレスポンスを書き始めたら、当初、ぜんぜん予想していなかった方向に文章が進んでいった。
とりあえず、それを少しだけ訂正して転載。


--------------
tu-taです。
**さん、レスポンスありがとうございました。
(ご指摘の読みにくい部分のボールド、フォントの大きさを変えるだけにしてみました。)

ぼくには横須賀さんの日本の障害学へのふたつのリクエスト、ストレートでとても共感できるものだったので、著者には無断で転載させてもらいました。(引用の範囲を超えてませんよね。)
http://tu-ta.at.webry.info/200611/article_10.html
一人でも反応してくれる人がいて、うれしかったのですが、このML(ブログも)を読んでいるみなさんはどうお感じでしょうか?

もう少しみなさんの反応を聞きたいところです。
あたり前過ぎて、特に反応しようと思われなかったのでしょうか?
ぼくはこの横須賀さんの主張にけっこう強いインパクトを受けたのですが。


まず1点目の観点、
当事者運動に障害学の現状はどう見えているんでしょう。
どなたか、個人的な感想でも教えてもらえたら幸いです。


また、この2点目の主張ですが、
「健常者」中心社会の変革が「健常者」はどのように担いえるのか?
「健常学」は果たして可能なのか?可能だとすればどのように可能なのでしょう。

たぶん、いわゆる「健常者」は、ほとんどの男が男中心社会を変えようとしない以上に「健常者」中心社会を変えようとしていないようにも思えます。

確かにバリアフリーやユニバーサルデザインは主張されるようになっていますが、そのようなハードの変化による、ある意味での統合はそんなに抵抗なく進んでいるものの、生産力主義の結果としての障害者排除というような社会のありかたまでも変革するような思想的な転換点を障害学がどれだけ獲得できるのか、ということが問われているように思います。
(ちなみにバリアフリーやユニバーサルデザインがめざすのはハードの変化だけじゃないですね)

生産力至上主義とか、開発至上主義というような、ぼくには極めて近代的と思える価値感を揺らすという以上に、変革していく切り口として、障害学が存在しえるのかということではないかと考えます。

それは生存を犠牲にするような開発に対抗する価値とつながりうるものではないでしょうか?

そのような開発主義が軍事主義を伴って地球環境を破壊しつつあり、地球環境への負荷は臨界に近づきつつあるように感じます。また、それは人びとの暮らしの持続可能性も奪うものです。

地球全体を覆い尽くそうとしているように思える新自由主義的な価値感。
日本では見えにくいものの、それへの抵抗は世界中のさまざまな地域で始まっています。しかし、その抵抗も旧来の社会主義がそうであったように、別の形の開発主義に留まってしまう要素も少なくないようにも思えます。

拡大や成長を志向するのではない、生存を価値を中心にすえるような本格的な転換が計られる必要があるのでしょう。

こんな風に言えるかもしれません。人びとの暮らしの持続可能性を創っていくために必要なのは、別の形の開発主義としての「持続可能な開発」ではなく、人びとが生存し続けるという価値を軸にした社会の形成であり、まだ未定型なその価値を形成していくために障害学が示す価値観が有用性を持ちえるのではないか、と。

確か、「フェミニズムが近代的な価値観の中での男女平等をめざすだけのものなら、そんなものには興味はない」と言い放ったのは上野千鶴子だったように思う。その近代的な価値を得るために、地べたではいつくばって、ぼろぼろになりながら、苦闘している人がたくさんいる中で、上野さんのように「そんなものには興味はない」とまで言い放つことはできないけれども(上野さんがそういう状況を無視して語っているわけではないが)、フェミニズムが近代的な価値を超えようとするのと同様に、障害学も近代の価値観を超える価値観の形成の一翼を担い得るのだと考えたい。

近代の価値を超えるというのは、新しくなるということばかりではない。長い伝統の中に、近代が失った価値を見出すこともできるかもしれない。しかし、それを日本社会の文脈で語るときは、天皇制やナショナリズムに絡め取られないための細心の注意が必要だろう。とりわけ、今回の教育基本法の改悪が、伝統にひとつの根拠を求めながら、新自由主義によって拡散しそうになる国家の中で、再び、そのもとに人びとをナショナリスティックに束ねようとしている中で。

(その長い伝統、石器時代までパースペクティブを広げる必要があるという主張、最近は小倉利丸さんからよく聞く。ぼくにはまだ、そこまで考える余裕がない。)


また、開発至上主義を否定するという言説が説得力を持つためには、何より、北の社会が変わらなければならない。飽食や大量消費の上に成立する生活にあぐらをかいているような現状を変えていく姿勢が見えない限り、キャッチアップに価値を見出す人びとには、ほとんど説得力を持ち得ない。


なんか、タイプする指に任せて、書き始めたら話が全然違う方向へ進んでいっているし、「です・ます」も飛んでしまってます。

せっかく書いたのだから、残しておこうと思います。

ま、それだけ、この『障害の政治』の訳者あとがきのインパクトが強かったと言えるのかもしれません。



追伸
そう言えば、去年の障害学会の大会のテーマは
障害者運動と障害学に関するものだったような・・・
調べずにおぼろげな記憶で書いてます。
記録はこれから出るんでしたっけ?



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