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<<   作成日時 : 2007/05/18 06:29   >>

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2時間前、部屋で探し物をしているとき、2003年のJANNET(障害分野NGO連絡会)の研修会の報告書が出てきた。そこでざーっと読んでコメントが書きたくなった。


CBRセミナー
「CBRの最近の動向について」講師:マヤ・トーマス
報告書


マヤ・トーマスは社会モデルとCBRについて、こんな風に書いている。
===
ここで皆さんに質問したいと思います。「CBRの社会モデルはリハビリテーションの現実のニーズを無視しているでしょうか?」社会モデルを推奨している人たちの多くが、今、リハビリテーションについて語られるのが時代遅れである、と感じています。…Rの部分は取り除かれるべきである、と…。初期の頃、CBRは障害者だけに焦点を当てた別のプログラムとして発展してきました。独立したCBRプログラムは、障害者たちを主流から排除していくであろうと考えられてきています。現在の理解では、障害のプログラムを開発プログラムの一部としてみなすべきである、というものです。社会モデルでは、個別の、分かれたCBRプログラムが存在するのではなく、CBRはコミュニティ開発プログラムの一部として組み込まれるべきであると考えられています。(少し長めの中略)つまり、社会的統合、インクルージョン、コミュニティへの参加が推進されるわけです。社会統合を開発プログラムの中に組み入れていくことはメリットがある、という考え方は議論の一つでもあります。しかしながら、一方では、このような形で社会統合を推進し、社会モデルを強調するあまり、開発途上国においての実際の障害者のリハビリテーションニーズを見落としてしまうのではないか、という危機感もあります。なぜなら、多くの開発プログラムにおいて、障害者を統合していく準備ができていないコミュニティが見受けられるからです。時としてコミュニティ開発プログラム自体も障害者を統合していくための方針やその技術を持たない場合があります。また、リハビリテーションのニーズとは移動に関わるもの、特殊教育、インクルーシブな教育などの障害者のための特別なニーズのことですが、それが無視されてしまうのではないかという不安もあるわけです。
===

 あえて言えば、ぼくも「社会モデルを推奨者」として、「Rの部分は取り除かれるべきである」と考えている。しかし、それは障害のプログラムとして統合されていないからというのが主要な理由ではない。現実の問題として、「途上国」(この言葉には抵抗があるんだけど)における障害者プログラムといえば、リハビリテーションの専門家が介入するプログラムがほとんどではないのか。(これは誰かに実際に調査してもらいたいなぁ。例えば、JICAの障害に関わるプロジェクトでリハビリテーション関係とそうでないものの予算の比率はどうなっているんだろう。)少なくとも、ぼくが知っているかぎりでは、まだまだリハビリテーションが主流だと思う。「社会モデルを推奨者」はそのことを問題にしているのだと思う。少なくともぼくはそうだ。
 CBRが本来あるべき場所に留まることができるなら、「社会モデル推奨者」がこんなにもCBRのRを除くべきだとは主張しなかったはずだ。しかし、現実には「途上国」の「障害者プログラム」といえば、なにかとCBRが持ち出される。確かにそれは従来型の施設中心のものより現実なものだが、それでもリハビリテーションのプログラムであることには変わりない。
 障害者といえばリハビリテーションという構図がそこに表れている。だからこそ、「Rの部分は取り除かれるべきである」と考えるわけだ。そのあたりの基本的な構図をまず理解して欲しいと思う。

===

そういう構図の背景が理解されていないということが、このパンフレットの「午後のグループ発表」で、示されている。

ここでは以下のようなことが書かれている。
初期にオリバーが言い始めた社会モデルと医学モデルの対立的な構造は若干極端な考え方だった。現状では環境モデルとかマイナリティモデルとか、自立生活モデルとか、いわゆる統合的な捉え方をするモデルに変わってきている。というような説明があり、「今後は社会モデルは必要なくなるだろう」という意見も出たとまで書かれている。

この午後のセッションで、社会モデルを誰がどのように解説したのか、ぼくは知らない。「医学モデル」との対概念としての「社会モデル」、確かにそれ以降、さまざまなモデルが提唱され、社会モデルでは説明できない事柄があることも明らかになっている。しかし、いまでも、とても重要なことは社会モデルという言説の誕生が従来のパラダイムを壊したということだ。従来、医療やリハビリテーションや福祉の対象としてしか語られてこなかった「障害」にかかわる事柄、そういう場所に押し込められていた「障害」を解き放ったということに意味があるという「社会モデル」の意味を理解されていないから、ここに書かれているような的外れな議論になるのではないかと思う。


 なぜ、「障害者への排除が起きるのか?」。それは決して、リハビリテーションが不在だからではない。障害者が排除されない社会をどう作っていくのか、そのように考えたときにリハビリテーションが最初に来るのがおかしいということだ。
 しかし、現実にはそうなっているのではないか、というのが、「Rの部分は取り除かれるべきである」という主張の中心だ。


 確かに社会的排除をとりのぞくために本人が希望すれば、リハビリテーションが有効な場合はあるだろう。Rはそういう限定された場所におさまるべきだと思う。しかし、歴史的に、そして、いまでも障害者といえば、リハビリ―テーションだったり、治療だったりという現実が続いている。

 つまり、「Rの部分は取り除かれるべきである」というのを具体的にいえば、障害者が地域のあらゆる場面で排除されることなく生きていくことのできるプログラム、それをコミュニティ・ベースで作っていくことが必要だということだ。にもかかわらず、いつでもRが前にでてきてしまうことが問題とされているということをRの関係者にはなかなか理解してもらえない。

 今朝、探していていた「「世界の貧困をなくすための50の質問ー途上国債務と私達」はまだ出てこないけれども、それを探している途中で偶然手にしたこの報告書を読んで、そんなことを強く感じたので、メモしたくなったのだった。

 


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内 容 ニックネーム/日時
私としてはずれているかもしれませんが、なんとしても生きていくことを考えるのみです。
意識障害で声が出なくても、生きていることで何らかのものは声が出せる生きている人たちに伝えることはできるでしょう。
でも死んだらか細い声も出せません。
今は情報技術も進んでいるし、生きていれば何らかの形での希望は見つかるかもしれません。
でも死んだらそれも無理。
と今元気な自分は思います。
私にとってRはその選択肢の一つです。
世界で一つだけの花
2007/05/19 04:23

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