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zoom RSS 「漢字依存症の健常者を解放するための『健常学』」について

<<   作成日時 : 2007/06/14 20:12   >>

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偶然にあべやすしさんの『障害学からみた日本語表記――漢字依存症という障害』という論文を彼のHPで発見。(前に見たことがあるかどうかは覚えていない)
URLはこれ


興味深かったのはこの論文の最後の部分、この部分のタイトルは
「漢字依存症の健常者を解放するための『健常学』にむけて」となっている。
ちょっと引用してしまおう。


===
5. 漢字依存症の健常者を解放するための「健常学」にむけて

最後に、わたしの政治的たちばについて のべたいとおもいます。わたしは「健常者」であり、漢字のよみかきには不自由していません。わたしも漢字だらけの社会をかたちづくっている多数派の一員です。この、多数派としての たちばから、どのように「漢字問題」に かかわっていけるのか、かんがえなければならないと おもいます。

障害学について、いしかわ・じゅん(石川准)は、つぎのように のべています。

障害者に感情移入して共感したり、感動したり、激励したり、庇護したり、憐憫したり、知ったかぶりしたりする健常者に、そのような「余計なこと」をする前に、自己のあり方を相対化し反省することを迫るような言説を紡ぎだしていくことが障害学には求められている(いしかわ 2000:42)。

ここで、この といかけに こたえるなら、漢字を不自由なくよみかきできる健常者は、わたしをふくめ、「漢字依存症」という自己認識をもつことによって、「自己のあり方を相対化し、反省」しなければならないのではないでしょうか。漢字依存症という自分のすがたをうけいれ、漢字依存症からの解放をめざすことこそ、わたしの障害学、そして「健常学」の出発点になるのだと おもいます。

わたしの もんだい いしきわ、「くるまいすで いどーする けんりが あるよーに、かんじお つかわない けんりも あるのだ」とゆーことに あります(あべ 2002)。それわ ことばお かえれば、「かんじお つかわない じゆー」お みとめよーとゆーことです。それお じつげんしていくためにわ にほんの たすーはが かかえている 漢字依存症お りはびりしていくことでしか、さいしゅーてきな かいけつわ みこめないのだと かんがえます。「にほんごわ かんじぬきでわ かけない」と かんがえている ひとが、「かんじお つかわないとゆー じゆー」お あじわってみたいと おもえるよーな、みりょくてきな かんじ ひはんお すすめていきたいと おもいます。


===
ぼくがおもしろいと思ったのは「いしかわ・じゅん」のひらがな表記で、それって金沢明子爆弾テロの「憂国」じゃん、・・・とかいうことではない。
(若い人にはわかんないだろうなぁ)

まず、この
==
漢字を不自由なくよみかきできる健常者は、わたしをふくめ、「漢字依存症」という自己認識をもつことによって、「自己のあり方を相対化し、反省」しなければならないのではないでしょうか
==
という主張、ぼくは漢字を書くことについてはコンピュータなしではぜんぜん書けないというコンピュータ依存症的な症状があるのだけれども、まあ、読むことはできる。読めるという自分のありかたを相対化することがぼくにできるのか?また、そのことが必要なのか?少し考えてみた。



 漢字が読めないという他者の存在を認めるために、自らが「『漢字依存症』という自己認識をもつ」ことが必要なのかどうか?ここはちょっと留保したい部分。「読める自分」と「読めない他者」について、それを価値付けたりせずに、違いを違いとして認識できればそれでいいのではないかと思う。この論理で言えば、帝国主義本国の言葉を母語とする人はすべて、「依存症という自己認識を持つ必要がある」ということになるのではないかとさえ、思うが、そんな必要はないだろう。
 でも、はっとさせられる面白い指摘だった。


また、読み返して、これはメモしておこうと思ったのは石川さんの引用
==
障害者に感情移入して共感したり、感動したり、激励したり、庇護したり、憐憫したり、知ったかぶりしたりする健常者に、そのような「余計なこと」をする前に、自己のあり方を相対化し反省することを迫るような言説を紡ぎだしていくことが障害学には求められている
==
まだ確認していないけれども、『障害学への招待』からの引用だとすれば、当然、読んできるはずなのに、こんな強烈なフレーズをぼくは読みすごしていたようだ。(もしかしたら、忘れているだけかも。)
 よく、「知ったかぶりしたりする健常者」として、これは座右に置くべき言葉だなぁと思う。
障害者のところを他のマイノリティに置き換えても使える。これから、メールの最後に貼り付けちゃおうかとさえ思った。

そんなことを考えさせられた論文でした。


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昨日書いた 「漢字依存症の健常者を解放するための『健常学』」について にリボーさんからコメントをもらった。感謝感謝。参考文献と石川准という名前だけで推測したわたしが愚かでした。 リボーさんからのコメント再掲。 == 引用されてる石川さんの文章、『障害学への招待』ではなく『障害学を語る』からですね。第2章「平等派でもなく差異派でもなく」の結びの一文。原文はですます調なので、このあとに「と思います」という語がついてますが。 == ...続きを見る
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2007/06/15 07:59

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
引用されてる石川さんの文章、『障害学への招待』ではなく『障害学を語る』からですね。第2章「平等派でもなく差異派でもなく」の結びの一文。原文はですます調なので、このあとに「と思います」という語がついてますが。
りぼー
URL
2007/06/15 04:20
びっくり…。ご紹介ありがとうございます。むかしの自分の文章は、いつよんでも はずかしいです。「漢字という障害」がおさめられた『ことば/権力/差別—言語権からみた情報弱者の解放』をごらんいただければ、感謝感激です。
hituzi
URL
2007/06/15 09:16

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