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zoom RSS 女性解放という思想読書メモ

<<   作成日時 : 2007/09/15 06:44   >>

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5年位前の読書メモのデータに残っていた下記の本の最初のエッセイ「女性解放論の現在」に関するメモ。

とりあえず、そのまま転載

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女性解放という思想
江原由美子
勁草書房 1985年初版 86年二刷
なんと活版印刷!

とても読ませるという印象。
これを読むのは初めてではない。
昔の読書ノートがどこかにあるかもしれない。

====

T 女性解放論の現在
八三年から八五年にかけて生じたこうした動向は、自然食運動、生協運動等、草の根的な社会運動に従事している女性たち(主に主婦たち)によって広範に支持された。 5p

近代主義対反近代主義は、イリイチのジェンダー論が日本に紹介されるにつれて、女性解放論の最大の論点として、あたかも踏絵のように浮かびあがってきた。女性解放論者は、自分が近代主義者か反近代主義者か信仰告白せねば議論が続けられないかのような状況がうまれてきた。
 だが、この対立(対立に傍点)はけっして新しいものではない。この対立は実のところ何回もくりかえしあらわれてきた対立の再生にすぎないのである。いま女性解放論は確かに「セカンド・ステージ」に立っているのかもしれない。だが、その「セカンド・ステージ」は、家庭か仕事か、伝統的女性像か、女性解放か、反近代主義か近代主義か、自然か文明かといった対立の、単なるくりかえしであってはなるまい。それらの対立の批判的のりこえこそ、めざされているのである。
 本章では各論点にそって個別に問題を見ていき、これらが一方の選択が他方を否定するような対立軸ではなく、それらの相互関係がより複雑に結びついたものであることを示そうと思う。 6p

「直感の危険」 当該社会の「常識」や「習慣」が前提になっているから 15p
 「直感」は大切である。だが、「直感」を理論化していくためには「直感」にたよるのではなく、その「直感」を成立させている前意識的な操作、すなわち文化の装置とか知の制度とか言われているものを徹底的に対象化していく作業が必要である。・・・。
 先述したような内容の主張は、女性のアイデンティティ確立に際しての「罠」の指摘や自然や身体に対する近代産業社会の「抑圧」「搾取
」の指摘という点において説得的であり、的確である。だが、その原因を近代産業社会における「女性原理の否定」に求める「理論」は、「女性原理の復権」という実践的結論を提起する時、現代日本社会に貫徹している前提を対象化することなくそのまま再生産する結果となる。青木氏らのエコロジカル・フェミニズムの提唱が男性にも女性にも受容されやすいのは、それゆえである。・・・・。 16p

・・・・。いくら女性性の内容が肯定的に評価されようとも、女が有徴であり、男に対しておのれの位置を言表しなくてはならないという前提がある限り、単に女性性の神話を再生産することにしかならない。 17p

<<「女性解放という思想」のなかの「女性解放論の現在」の「3 女性原理と男性原理」で展開されている青木やよひ氏批判はとても納得できるものだが、このような批判の中では擁護されている「産業社会批判」や近代化のとらえかえし、というところを多くのフェミニズムは継承できないでいるのではないか。知り合いのS原さんがいうように、それらの批判が継承すべきものまで根こそぎ捨て去ってしまったというようなことはないのか、また、仮にあったとしたら、何なのか。ここで展開されているエコ・フェミ批判はミースらビーレフェルト学派のエコ・フェミニストには超えられているようにも思える。>>

21p〜
4 イリイチのヴァナキュラー・ジェンダー批判
・・・日本の女性解放論の主流の限界性は、その認識の一面における的確さにもかかわらず、論理展開上において日本文化の枠にはまってしまうという、いわば不徹底性ゆえのものである。それゆえその問題意識の良心性は充分評価出来るのに対し、イリイチのヴァナキュラー・ジェンダー論は近代における女性解放運動に対するまったく誤った認識を流布するという点において、許しがたい性格を持っている。<<最大限の批判>>

日本ではその共同体志向などのために受け入れられた

イリイチの所説の次のような特徴
1、論理的展開が完全に欠落し、資料の引用も恣意的
 イリイチ自身ヴァナキュラー・ジェンダー論の展開は「科学」によってではなく、「詩」によって行わなければならないと述べて・・・

2、イリイチの所説は前近代的共同体を「解放イメージ」として志向するエコ・フェミとは別・・。イリイチは反感は示していても、けっして実践的価値命題は示していない。



「本来の」性差とか「本来の」女性性などを定義することは誰にも出来ないのである。そうした虚構に依拠しなくとも、今ここで女性が生きている状況そのものに立脚することで現代社会批判は充分に可能である。そして、このように論じることではじめて、男性をも含めた現代社会全体の変革の主張となりうる・・。・・・。
 ・・・。男性=文明、女性=自然という図式は、女性を文明の外に置くゆえに特権的な文明社会批判者とすることができるが、同時にそれは女性は文明社会の担い手ではなかったという性差別主義者の主張を承認してしまうのである。・・・。それゆえ男性=文明、女性=自然といった図式は現代社会の状況に関係づけられてのみ、状況的によみこまれる時のみ有意味な主張になるにすぎない。
 このようにエコロジカル・フェミニズムの主張を定位し直すと、その主張はエコロジカルな側面における有効性は持つけれども、女性解放論としては不充分なものとなるだろう。女性の現代社会における位置は、エコロジカルな批判をする上では有利な位置であるけれども、エコロジカルな批判をすることで女性が解放されるという見通しはまったくない。45-46p

だが今、フェミニズムの立場から論じられるべきなのは、経済の収縮が、いかに女性の解放と両立させうるかという論点である。
 経済の発展や近代化がそのまま女性の解放を意味しなかったのと同様、経済の収縮も、またそれがそのまま女性の解放を可能にするわけではない。その二つの論点をあたかも予定調和的なものとおくことは、女性の解放を社会主義革命によって必然的にもたらしうるものと考えたマルクス主義の陰画にすぎない。エコロジカル・フェミニズムの真の課題はエコロジカルな主張がそのままフェミニズムにつながりうるといった安易な前提に居直ることではなく、エコロジカルな視点をフェミニズムと両立させていく、現実的諸条件をさぐることである。51-52p

<<そんな安易な主張があったのだろうか、青木がそんなふうに主張しているとは思えない>>

 女性解放論は差別問題という制約から、近代主義的方向と反近代主義的方向へと分裂させられてきた。
 ・・・。・・・。・・・。
 この対立は与謝野晶子と平塚らいてふの対立にも、中ピ連とリブセンターの対立にも、今日では、上野千鶴子氏等とエコロジカル・フェミニストの対立にもくりかえしあらわれる。・・・。
 だが、この対立を実体化し、あたかも女性解放論の本来的な二方向性であるとか、女の生き方の二つの方向性であるとか読みこんだとすれば、それは二重の意味で不毛であろう。第一に対立軸の不毛性、第二に二つの方向性の対立が強いられたものだから。
 女性解放論の課題はこの擬似問題の内で勝ち負けをきそうことではなく、この対立自体を否定していくことにこそあるのだから、今必要なのは、論者を色分けし、AかBかを選択することではなく、色分けそれ自体を意識的に自分の言葉で疑っていくことである。52−3p

 だが、近代社会の実相は、近代の周縁であるところの家族、共同体、非・人間社会から収奪する限りにおいて成立しうるものにすぎない。近代社会とは、その外部に非近代社会を不可欠の部分として必要とするアマルガムな存在である。
54p
<<江原は世界システム論者だったのか>>

 近代主義対反近代主義の対立軸は幻想としての女性を外におきつつ、内部システムとするという矛盾から生まれている。・・・。・・・。・・。
 だが、今日にいたり、多くの女性解放論者はこの二重拘束状況を脱出しつつある。すなわち、この罠を強いられたものと感じつつあり、その対立のどちらかを選択するのではなく、ズラして生きはじめている。どちらの側にもつかないだけでなく、どちらの側にもつくという姿勢をみせはじめているのである。これは一見矛盾である。だが、その矛盾を生きぬくことを通じて、女性解放論者は自己の全体性を獲得しつつある。
 たとえば、リブ運動はその代表的なものであった。リブは女性の近代社会の外部としての存在を幻想として否定した。同時に内部システムの一部として生きることも拒否した。この論理は近代主義からも反近代主義からも遠い・・。だが、この論理は感性の次元で、またレトリックとして語られたために、明示的ではなかった。リブ運動内部に生じた崩壊現象は、・・・・反近代主義の方向と・・・・近代主義の方向に二極分解することによって生じたといってよい。エコロジカル・フェミニズムの一部はこの前者の道を歩みつつある・・・。
 ・・・。たとえば、宮迫千鶴氏は、フェミニズム思想の中にあいかわらず近代主義と反近代主義の対立を見ようとする論者に反発して近代の「“虚構”からの離陸は女たちの実感では、この離陸はもうひとつの“着地”であり」、実質のある生をえらび直したら“虚構”の虚構性が赤裸々になったというだけのことなのだ」と明白に反対している。この感性は確かである。(26)
 ・・・。近代主義と反近代主義双方の言説を、ともに女性に即して解体しつくしていくことこそ、今の女性解放論の課題である。なぜなら、その対立はそれ自体、近代社会システムの一部であるからである。その課題を突破することこそ、女性解放論が人間解放論に対して寄与できる唯一の方向性である。

(26)宮迫千鶴「都市型社会のフェミニズム」『へるめす』第3号1985年、岩波書店
<<唯一かどうかはわからないが、この方向性が決定的に重要であることは理解できる>>


==転載ココまで==

この読書メモを読み返して、20年以上も前の本なのに、多くの部分が現在にも通じるように思われ、その言説の力に敬意。これを書いた頃の江原さんは33歳。
 いま手が届く本棚にこの本があったので、パラパラと読み返してみる。「懐かしい未来」などの形で提起する際に留意すべきことがここに明記されている。いまなら、違う部分を引用しただろう。

 例えば、コミュニティの復権と個人の自由をどう連関させて考えるのか。というような問題についても明確な回答があるわけではないが、ここに示唆するものは多く含まれているように思える。

 人口増の問題の捉え方など、小さな違和感が残るところはあるし、提起された問題への処方や解決に向かう道筋とう面では、まだ十分に論じきれていないという感じがないわけでもないが、イリッチのジェンダー論批判だけでなく、考えなければならない問題の提示の仕方は明確だと思う。

 ともあれ、この江原さんや上野さんの批判の影響もあってか、一度、ステージから消えてしまったかのように見える日本のエコロジカル・フェミニズム。イリッチと一緒くたに批判され流されてしまったと言ってる人もいた。
 しかし、この江原さんの批判は日本のエコ・フェミをさらに豊かにする可能性も含んでいたのではないか。そうはならなかったけれども。

 ぼくは現在のフェミニズムの言説や運動の状況をほとんど知らないので、見当はずれなことを言ってるかもしれないが、エコ・フェミニズムが示した方向を深化させることは、重要性を増しているように思う。

 考えるべき視点は少なくない。

 例えば、藤岡美恵子さんが提起しているマヤの先住民社会における性別役割分業・相補性の肯定的な評価を日本社会でどのように位置づけることが可能なのか。

 現下のグローバリゼーションの進行の中でも、世界中には近代のもたらした利便性とはあまり関係なく暮らす人は少なくない(その負の影響から逃れられる人はかなり少なくなっていると思われるが)。そのような人が近代をどのようにスキップして、次の時代に移行できるのか。


書きかけだけど、疲れたから今日もここまで。






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リニューアルした『オルタ』とエコフェミについて
某古書カフェの店主兼デザイナーが紹介してくれて、オルタの印刷に仕事でかかわった。 PARCの会員を続けようかどうか決めかねていた時期だったんだけど、流れでこうなって、「えいやっ」って感じで、かかわることにした。編集者からの、リニューアルした『オルタ』の紹介は以下。販売、苦戦しているようです。協力できる人はぜひ、協力してあげてください。 ...続きを見る
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「リニューアルした『オルタ』とエコフェミについて」について 昨日、UPしたエコフェミについての記述 「どこかで80年代の日本でエコフェミが殺されてしまったことの問題を書いたような気がして、文章を探したが、見つからない」 これが見つかったので補足 ...続きを見る
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