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zoom RSS 永遠の泉 読書メモ

<<   作成日時 : 2007/09/30 15:09   >>

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ジャン・バニエがドミニカ共和国の首都サントドミンゴでのラルシュのリトリートで語った話を本にしたもの。
先日のラルシュのリトリートで購入。

===
ちょっと気になったので
ウィキペディアでドミニカ共和国を検索
ここに地図もある。キューバのすぐ近く。
=ちょっと引用=
ドミニカ共和国(ドミニカきょうわこく)は、西インド諸島のイスパニョーラ島の東部にある国。 首都はサントドミンゴ。西部にあるハイチと国境を接する。ドミニカ島にあるドミニカ国と区別するため、共和国をつけて呼ばれる。
===


 この本、キリスト教になじみのない人にはとっつきにくい部分も少なくないかもしれないが、聖書の部分を飛ばして、「知的障害者」と呼ばれる人たちに親密な空間が必要とされているという問題意識で読んでも見えてくるものは少なくないと思う。
翻訳したのは日本のラルシュコミュニティである「かなの家」を作り、そこで長らくコミュニティリーダーをしていた佐藤さん。


出版社のこの本のページに目次や「はじめに」「訳者あとがき」そして、島牧師の長い書評が掲載されている。

島さんの書評には、恵子さん(いまは日本に帰ってきている)とヘレンの話が紹介されている。

この書評から少し抜き出す。(前後の文脈を無視して抜き出している)
===
他者とのふれあいを拒否し続ける障がいを持つ人とアシスタントの泥沼のような葛藤の日々が、美しい物語となって行く様子も語られます。フィリピンのプンラ・コミュニティーの島田恵子さんとヘレンの物語は印象深いものです。

 「ヘレンの面倒を見ていたのは、恵子という日本の女性です。わたしが、今年マニラに行ったとき、恵子は、ヘレンと生活するのは、とても難しい,と言っていました。ヘレンには、何の反応も見られません。ヘレンはまったく無気力で、あまり動きませんし、少しも叫びません」。「わたしは、恵子が、大変優しく話しかけ、やさしく触れ、愛を込めて抱くことを続けて行うように、と励ましました。それから彼女に、『もし、神がお望みだったら、ヘレンは笑うことがあるでしょう。そのときには、はがきでも送ってくれませんか』と頼んだのです。数カ月して、マニラからちょっとしたはがきを受け取りました。そこには、『ヘレンが今日笑いました。ラブ、恵子』と書かれていたのです。ヘレンはいのちを取り戻したのです。彼女の中で囚われていた何かが、彼女の奥で解放されたのです。小さな泉が湧き出ました。彼女は信頼を取り戻したのです」(344〜346頁)。

===

この短いハガキのエピソードは恵子さん本人からも聞いたことがあって、ちょっと笑える話もあるんだけど、これは内緒。

また、訳者の佐藤さんのあとがきから印象に残ったのは以下の部分
==
わたし自身も組織を作りながら多くの人を傷つけてしまいました。健全に成長するために、その安定を足場としつつ、不安定の方に身を乗り出さなければならないでしょう。本当の冒険は、寧ろ人生の後半にあるのかもしれません。この後半に、持たなければならないのは信頼ではないでしょうか。
==






ともあれ、この本を読んで、気になった部分を少し抜書き。

人間の社会のピラミッド型のヒエラルヒーで下のほうには小さく貧しい大衆が置かれていて、最も下、つまりピラミッドの欄外には社会から見捨てられた人がいる、というような話に続いて、以下のような話が
===
・・・あらゆる社会で、拒否され、
見捨てられた人たちの階級があります。
そして、さらに下、階級の最下位に、知的ハンディを持った人がいます。

しばしば彼らには、人間的価値がない、と思われています。
誕生前に殺すことが認められたり、
あるいは隠されたりしています。

ほとんどの社会は、知的ハンディを持つ人を見捨てます。
アフリカでは、「蛇の子」と呼ばれ、
そして、蛇に返さなければならない、と言われています。
きっとこの理由から、
象牙海岸にある、プーアケのラルシュのイノンサントは、
茨の茂みに、捨てられたのでしょう。
中国では、知的ハンディを持つ人は、神による罰、と考えられました。
(中略)
古代文明において、ハンディのある子どもは殺されました。
今日でも、まだ多くの子どもは、
出生前にも、殺され、あるいは、隠されています。

これは今日においても、それほど明白に捉えられていず、簡単なことではありません。
「このような人々」と一緒にいて、時間を無駄にしているのではないか? と、
わたしは何度尋ねられたことでしょうか。
あるいは、「あなたがなさっていることはなんと美しいことか」と、
ラルシュのことをあまり知らずに、賞賛するのです。
あるいは、あるとき、ある司教の言葉から、
 「わたしの教区にラルシュが来てくれるとすばらしい。町から、すべての狂人を引き抜いてくれるから」
という意味に聞こえたことがありました。

しかしながら、色々なところで見られるこのような態度は、
一般的だというのではありません。
 117〜120p
===
これに続いて、知的障害の子どもがいると祝福されるという日本の福子伝説のようなアルジェリアのイスラムの村の話が紹介されたりする。 

「階級」とか「一般的ではありません」という日本語訳のもとの言葉が気になるのだが、


ともあれ、日本社会で重度の知的障害の人が置かれている位置はどうだろう。極端な例かもしれないが、「こんな人が生きている意味があるのか」という意味のことを石原東京都知事が言ったという話は、ここに転載したような価値観がまだ根強く残っていることを表しているのだろう。

また、ユングがキリスト者の女性にあてたという手紙も紹介されている。
===
「あなたがたキリスト者はすばらしい、とわたしは尊敬します。
ある人が飢え渇いていれば、その人のうちにキリストを見出す。
(中略)
それはとてもすばらしいと思います。
しかし、分からないのは、
あなたがたは、あなたがた自身の貧しさの内に、イエスを決して見ないことです。
外部にいる貧しい人に、いつも善を施したいと望むとしても、
同時に、自分の中に入る貧しい者を否定するのです。
どうして、皆さん自身の貧しさの中に、
あなた自身の飢えや、渇きの中に、イエスを見ることができないのですか。
あなた自身の中に病人がいるのを見ないのですか。
どうして、恐れの牢に囚われているのですか。
意思にとって、思うままにならない奇妙なもの、
つまり暴力とか、苦悶とかいったものが、どうしてあるのですか。
あなたがたの内部に見知らぬ人がいます。
そして、その人を迎えるのが問題なのです。
外に追いやるとか、
その人の存在を否定できる問題ではないのです。

(以下略)199〜201p
===
===
誰かが歯が痛いとき、
まず手を取って、愛しているというのが良いというのではありません。
まず、良い歯医者をできるだけ早く見つけることです。
(中略)
苦しみを前にして、専門性のともなった共感が必要です。

しかし、母親が子どもを失ったなら、
青年が、もう歩けないと知らされたなら、
問題となるのは専門性でなく、そこに現存するという共感です。
298p
===







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