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zoom RSS 「生き延びるための思想」の読書メモ3 (多文化主義について)

<<   作成日時 : 2007/09/10 04:21   >>

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気になったフレーズについてだけ、とりあえずメモ。
それは、以下に収録されている。

==
八 「国民国家」論の功と罪
  ――ポスト国民国家の時代に「国境の越え方」を再読する――
==
初出一覧を見ると、西川長夫著の平凡社ライブラリーのこの本の解説らしい。


そこで上野さんは93年に岩波の『思想』で発表された「国家イデオロギーとしての文明と文化」と題する論文をとりあげる。
「文明とはフランス人の国民意識」、「文化とはドイツ人の国民意識」という定義の説明の中で、こんな風に書いてある。
===
「文明」という普遍主義を押しつける強大な隣国の陰で、まだ国民形成さえ実現していなかった「後発国民国家」が採用したイデオロギーが「文化」だった。「文化」はその成り立ちの最初から普遍性に対する固有性の主張を伴っており、「普遍性」に対する「補遺」もしくは「残余」として、すなわち移転や同化の不可能な精神性として構築され、したがって排他性と人種主義を正当化するイデオロギーとなった。 188-9p
===

メモしたかったのはこの文化の定義の説明ではなくて、この説明を前提とした以下の文章
==
 なるほど「文明」と「文化」の種明かしは圧巻だが、近代という時代は、自らが作り出した概念そのものによって、裏切られ、足元をすくわれ、揺さぶられているとは言えないだろうか。「文明」は(略)。他方、「文化」はその固有性によって、他者の文化の固有性をも同時に認めざるをえない効果をもたらす。「多文化主義」は論理矛盾というほかないが、「文化」概念はそのような「鬼子」をもまた産みだすに至る。「文明」「文化」は国民国家の自己意識である、という命題は明晰だが、イデオロギーを個々の歴史的文脈においてみれば、概念が矛盾し、輻輳し、自己を越え出ていくプロセスを見ることも可能だろう。
==

ぼくがひっかかったのが、この「『多文化主義』は論理矛盾というほかない」という部分だった。ひっかかった、たったひとつのフレーズを取り上げるのに、こんなに長い引用を持ってくるしかなかったのだった。

無意識にアプリオリなものとして考えていた「文化」という概念が国民国家の自己意識として形成されたという当の論文を読んでいないので、なんともいえないのだけれども、ともあれ、「概念が矛盾し、輻輳し、自己を越え出て」いってしまっているこの現実の中で、「『多文化主義』が論理矛盾というほかない」のかどうか、論理矛盾だから使えないと考えるのかどうかを検証する必要があるだろう。

とはいうものの、いつかこの西川さんの論文を読めるかどうかはわからない。
「文化」とは何かってことから考えなくちゃいけないって考えるのはちょっと面倒でもある。

しかし、上野さんがいうように「弱者は弱者のままで、尊重されることを求める」のだとしたら、「多文化主義」もまた必然的に導かれるのではないだろうか。





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