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zoom RSS <「マルクスとヴェーバー」からハイデガーへ>山之内靖 読書メモ その1

<<   作成日時 : 2008/01/14 09:55   >>

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タイトルではその1としたが、続けられるかどうかは不明。

偶然手に入れた2006年度フェリス女学院大学学内共同研究の報告書

「都市的遭遇とコスモポリタンな社会をめぐる学際的研究」

この報告書の最初に掲載されている山之内さんの講演記録がぼくにはとても刺激的だった。それまでに『受苦者のまなざし――初期マルクス再興』(青土社2004年)とかを読んでいる人には既知の話だろうがぼくは知らない話が多かった。

この講演の内容は山之内さんが「マルクスとヴェーバーという土台の上でやった仕事に、もう一人、ハイデガーという新しいテーマを加えることにならざるを得なく」なった、「そのことは何を意味するのか」ということ。


さて、この講演録の内容だが、冒頭近くで語られる現代を捕らえる以下のような問題意識はすでに常識的になっているともいえるだろう。
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・・・その他の諸文明はヨーロッパ文明よりはるかに長い歴史をもち、質の高い文化をもっていたにもかかわらず、ヨーロッパを中心として近代文明が世界に覇権を唱えていらい、どの地域もヨーロッパから始まった近代科学技術文明に、抵抗しながらも組み込まれていくという状況が、今も目の前に進んでおります。そのような動向が17世紀以来ずっと続いてきているわけですけれども、しかし、同時に西欧近代の科学技術文明の方向を、――そのプログレス、進化という動向を――、そのまま手放しで前提とするわけにはいかないという状況がすでに現れて来ているのも確かです。「地球環境の危機」はその最大の問題点であります。「技術」を放棄するということもできないわけですけれども、しかし、「技術」の発達を通して、さまざまな、今解けていないような諸問題もすべて解かれていくのだという楽観的な前提に立つことが、どうも、少しどころか、かなり難しいということは、おそらく多くの人々が感じ取っているところだと思います。実感としてそうなってきていると思います。
===

その<<「環境の危機」を通して「初期マルクス」への関心が再生してくるのだと、考えております>>山之内さんは言うのだが、この「初期マルクス」が括弧書きになっているところは後に彼が書くことの伏線になっている。

ここから、いきなりその伏線の先にあるものを紹介するが、その間に書かれていることもけっこう興味深い。でもとりあえず、その紹介はまたできたときに。(たぶん、できない)

 山之内さんはハイデガーが戦後直後に初期マルクスに接近しながらも離れていったことを、その後、ハイデガーが『経済学・哲学草稿』の「受苦」や「故郷喪失」にかかわるような論点を『資本論』で見出すことができなかったので、マルクスはそのような観点を捨てたと考えて失望し、マルクスへの肯定的な言及がなくなったのではないか、と話した上で、以下のように言う。

===
・・・注意して読んでいくと、「後期マルクスにも「受苦的存在者としての人間」という発想は出てきているのです。とすると、ここに、これまでにマルクス主義者たちはそれに気づいてこなかったけれども、いわば、「もう一人のマルクス」と呼ぶべきマルクスが存在した、といわねばならないことになります。 18p
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 現代の新しい社会科学的研究潮流としては、『資本論』よりも、『経済学・哲学草稿』のこの「第三草稿」の方が、むしろ重要な意味を持つのではないか、と私は考えるようになっております。 (中略) 。
 「フォイエルバッハ・テーゼ」を書いて以降、『ドイツ・イデオロギー(1845年〜46年)を経て『資本論』にいたる「後期マルクス」は、確かに、人間存在に占める感覚的要素の重要性というフォイエルバッハ的なモーメントを意識的に排除しておりました。それは確かです。しかし、『資本論』の第1巻が刊行され5あ1867年の後、1875年に発表された『ゴータ綱領評註』を見てみますと、マルクスの内面に再び大きな変化が起こっていたのではないかと考えられます。・・・。
 マルクスはこの手紙の冒頭のところで自分が納得できない理由を・・・ 19〜20p
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この理由についての山之内さんの紹介を要約すると

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「すべての富の源泉は労働である」というゴータ綱領の言い分は社会主義者の主張ではなく、ブルジョアの言い分で、「自然こそが使用価値的富」を生み出す本来的な源泉であるという根源的な事実が見落とされているからだ。
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こんな風に説明した後で、山之内さんは、「この部分は、これまでマルクス主義に共感してきたすべての人々について、自分で読んで欲しい発言です」といい、以下につなげる。

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多くのマルクス主義者たちは、労働が富を作り出すということを、マルクスの主張の根本原理だと思ってきたのではないでしょうか。 (中略) 「必要労働部分」・・・。それを超えた「余剰労働部分」については資本家が搾取している。これが資本主義社会の階級関係を決定付けている。本来は人間の労働が富を作り出すのであるが、資本主義の階級関係は搾取を内包している。その搾取された部分を労働者の手に取り戻すこと。これが社会主義革命の課題である。『資本論』は、スッと読むとそう読めます。
 ところが、『ゴータ綱領評註』のマルクスを読むと (中略) 労働の成果をめぐってその配分を論議するのは、要するにブルジョワ的利害のレベルの話に過ぎないということになります。本当の問題というのは、自然が本来的な価値を生み出しているのだということ、このことを認識することである、とマルクスは言います。 (中略) 。
 こうしてみると、『ゴータ綱領評註』を書いた1875年前後からマルクスが死んだ1883年までの「晩年のマルクス」は、どうも『資本論』の世界とは別の世界に住み始めていたのではないか、と思われます。しかも、それは、実は、先祖返りなのであって、『経済学・哲学草稿』を書いた「初期マルクス」のフォイエルバッハ的観点の復元というべきものだったのです。 (中略) とすると、『資本論』のマルクスという、これまで、それこそがマルクスだとされてきた人物と、この「もう一人のマルクス」との間には、どんな関係があったのでしょうか。
 この問いはこれまでのあらゆるマルクス研究、あるいはマルクスの伝記的記述の中で、論じられてきたことのない問題です。この私の言い分には、論証するだけの材料がまだ不十分だという危うい部分があるのは確かですが、しかし、現代においてマルクスがなんらかの意味をもって復元してくるとすれば、こうした問いも、敢えて試みてみなければならないでしょう。 20〜21p
===

 それに続けて、山之内さんは『資本論』の第2巻、第3巻が第1巻を出したときには書きあがっていたのに、出版していないのはなぜか、その問いをこれまでのマルクス研究は解明していないといい、次のように進めます。

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 ・・・私はこのごろ、晩年のマルクスは挫折していたのだ、と考えるようになりました。マルクスは第2巻、第3巻を「出さなかった」のではなく、「むしろ、「出せなかった」のだと思います。つまり、『ゴータ綱領評註』の発想に行き着いたために、『資本論』全編の構成について、根本でどこかおかしい、間違っていると、多分悟ったのではないか。しかも、晩年のマルクスは、親友のエンゲルスにさえ、自分の晩年の迷いを語らなかったのではないかと思います。 22p
===

 なぜ、エンゲルスにさえ語らなかったのか、エンゲルスが第2巻、第3巻を出したことから、山之内さんはそう考えているようだが、やはりそれでは、そこのなぜは解けない。

 それはともかく、山之内さんの講演録は続きます。
『ゴータ綱領評註』でのマルクスの批判は、ラッサール派への批判だとこれまで考えられてきたが、よく考えると、それに留まらないという。それに続く部分を再び引用。

===
富の形成について、それを人間の労働を中心において考えるのはブルジョアの思想である。富の形成の本源は「大地」としての自然なのだ、という主張には、考えてみると、『資本論』を貫く根本前提そのものへの批判と言わざるをえない面があるのではないでしょうか。これは、大変に重大な問題です。
 もし、そうだとすると、「労働過程」を中心としながら階級社会としての資本主義社会における「搾取関係」を構造的に分析するということ、資本家による「搾取」と労働者の「被搾取」の関係を分析した『資本論』のテーマそのものが、晩年のマルクスの頭の中では、そのままでは重大な欠落点を含んでいるということにならざるを得ないことになります。『資本論』の構想は、そのままの形では、さらに根底にある巨大な問題――つまり、人間の労働と「大地」としての自然の関係――を見えなくさせる恐れがあるという疑問を抱いて、マルクスは第2巻、第3巻の発表に迷いを感じざるを得なかったのではないでしょうか。それだけではありません。すでに刊行されている第1巻についても、マルクスはそれを不十分な著作であり、欠陥を含んでいると考えたことでしょう。 例えば『資本論』第1巻の「労働過程」には、人間労働を自然との巨大な「物質代謝」Stoffwechselだと考える重要な記述が読み取れるのですが、『ゴータ綱領評註』のレヴェルからすれば、あの「労働過程」の記述こそが、全体の発想の根源となっていなければならなかったということでしょう。 22〜23p
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 そして、山之内さんは「もう一人のマルクス」の視点で後期マルクスを読み直す作業がどうしても必要になり、その問題はハイデガーに跳ね返って、ハイデガーの見直し作業にも行き着くだろうといい、その場合に中心となるのは「技術」の問題だとして、冒頭で少し紹介した問題意識に戻っていく。

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現代の人類は高度化していく「技術」に過大な信頼を寄せている。それについて多くの人が疑問をもちつつも、しかし根源的なところで、その問題に哲学的な対応ができているとは、私には思えません。その「根源的な哲学的対応」をするための手がかりが、この『ヒューマニズム書簡』における、マルクスとハイデガーの出会いにあるのだということをお話したかったわけです。 23〜24p
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 そして、山之内さんはこの挫折した晩年の「もう一人のマルクス」こそが、環境問題の危機を迎えている現代を批判的に捉える哲学として再生してくるだろう、それが後期ハイデガーと「響き合う」マルクスなのです、という。

 また、「もう一人のマルクス」という考えを補強するものとして、マルクスの最晩年の研究の成果を紹介し(この中で、マルクスが、労働者階級を担い手とする革命ではなくて、村落共同体を基盤とする革命について、その可能性を考えることも必要であるという、驚くべき発言をしているという紹介もある)、以下のように書く。

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最晩年のマルクスは、資本主義発展の中心部である西ヨーロッパとそこにおける階級関係というよりは、むしろ、古代以来の人類の生活と「大地」としての自然の関連というテーマに、彼の関心を集中させていったのです。こうしてみると、最晩年のマルクスは彼の挫折の中から新しいテーマを発見する方向を見出していったのだ、と見てよいでしょう。最晩年のマルクスは、挫折の中から再生に向けて新たなテーマを発掘し始めていたのです。 24〜25p
==


この先、この講演録は
5 近代技術文明批判者としてのマックス・ヴェ^バー
6 ハイデガーと近代技術文明の危機
7 ホロコーストと近代性 ―― 「ドイツの特殊な道」論から「近代批判」へ
8 結び ――環境哲学から環境不公正へ

と続くのですが、疲れたので紹介はここまで。元気が残っていたら、少なくともこの結語部分は紹介したいけれども、気分しだい。


ところで、ローザからミースにつながる本源的蓄積論っていうか、ミースのサブシステンス論はこの発想にかなり近いものがあるようにも思うんだけれども、どうなんだろう。

それにしても、あれだけ多くのマルクス主義者・研究者がいたのに、こんなに大きな晩年のマルクスの転換に誰も気がついていなかったというのは、俄かに信じ難い話ではある。本当にそうなのだろうか?誰かこの問題に詳しい人がいたら、教えてください。




P.S.

この論文の流れにはあまり関係ない部分だが、山之内さんが、戦後日本の社会科学の特徴として、大塚ヴェーバーと山田盛太郎のマルクスがはっきり違った社会科学の考え方に立っていながら、相互に支えあっていたこと を挙げている。どういうことなんだろう。




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