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zoom RSS 《マルクスとヴェーバー」からハイデガーへ》山之内靖 読書メモ その2

<<   作成日時 : 2008/01/17 03:40   >>

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表題の講演録へのメモ  その1の続き。
前回紹介したマルクスの新?解釈から途中を飛ばして、結語部分の紹介。
(ぼくが面白いと感じた順番でもある)

再び引用
===
 今日の私の話は、環境問題が単なる専門科学の一部に属する話では終わらなくなり。その問題が「近代」という一つの時代の終焉を示す大きな転換として現れてきていること、研究者たちも、そのことを強く自覚し始めているということ、そのことをテーマにするものでした。(中略)。デカルト以来のこの「人間中心主義的」な哲学、つまり「近代哲学」は、いまやその終わりを迎えている。それに替わって「新しい哲学」の登場が予想され、あるいは哲学レベルの根本的な「転回」「変換」が予想されるようになってきている。環境問題は、アメリカでも、最初は「環境倫理学」という分野として括られてきたようですが、いまでは「環境哲学」という名称に取って代わられようとしています。この変化は重大です。というのも、環境問題を「環境倫理学」というタイトルで括ってしまえば、それは、文化や芸術や政治、あるいは技術といった、人間社会の多様な活動領域の一つとして受け取られてしまうからです。
 環境問題は、いまでは、どこかの専門分野の一つとして研究されれば済むといった、そうした安易なものではないということ、これが「環境哲学」を掲げる新たな動向の基調となっているのです。近代の哲学は人間を中心において、そこから世界を客観的に眺めるという姿勢に立ってきました。こうした「人間中心的な世界観」の時代は、すでに過去のものとなったのだということ、こうしたきわめてラディカルな主張が「環境哲学派」の論拠になっているのです。地球全体の生命的連関という観点に立ってみるならば、人間もまた、他の諸生命体と同じレベルに属する共生と共存の関係の中にいるのだということ、こうした「新たな世界観」への変換が不可避のものとなっている。これが「環境哲学」の共通認識となっている、と見ていいでしょう。・・・。
===

 ここまでは、かなり了解が可能な話だ。例えば、環境・平和研究会の活動もこの流れの中に位置付けることができるだろう。

 このメモもここで終わろうと思ったのだが、どうもそれだけでは終われないのはなぜだろう、ということで、以下に続く。


 ここから先の展開はちょっと理解に苦しむものだった。この先で山之内さんは「環境哲学派」の発言が一つの潮流として認められるようになったという事態を前提として、「環境不公正」(エンバイロメンタル・インジャスティス)というテーマが急速に広がってきていると解説する。そして、その「環境不公正派」の論者に言わせれば、「環境哲学派」の人々とは要するに白人中産階級であり、大学知識人であるようなアメリカの歴史の中で主流をなしてきた連中の言い分を代表していて、極めて偏った認識に依拠している、ということらしい。
 「環境哲学」という新しい知のありようが「近代哲学」の終焉を告げ、それが新たな主流派として彼らの正当性を確保したと思ったら、途端に、その内部から対抗するように「環境不公正」という議論が新たに出てきたという。
 そして、これを《言ってみれば、「新しい階級闘争」です》という。何がどのように「新しい階級闘争」なのか、これだけ読んでも、ぼくにはよくわからないのだが、そのあたりのことを説明している部分を以下に引用しておこう。そして、この部分が講演録の最後でもある。

===
 ・・・、この「環境不公正派」の人々が挙げている声の社会的背景に、現代を象徴する階級闘争があることは間違いありません。というのも、現代では、階級闘争の根拠が、マルクスの『資本論』が語るような、「労働過程」とか、あるいは「消費・流通・交通過程」だけに依拠するものではなくなってきているからです。現代の下層社会は、むしろ、彼らの居住条件を通して搾取されている。居住環境における格差こそが、現代における階級闘争の主要な要因となっている。そのような議論が今、出てきているのです。ここで居住環境といった場合、海水の上昇によってもはや住むことができなくなったツバルの例がしめすように、事は一つの国の内部だけで考えるべき問題ではなくなっています。それはまさしく、グローバルな、地球全体の規模で考えなければならない問題なのです。
 この問題は、今後、おそらく21世紀の社会科学において、その哲学的な基礎を占める問題として、大きくクローズアップされていくことになるでしょう。私は今、そう思っています。
===

ここでこの講演録は終わり、あとは追記として、いくつかの文献が紹介されるだけだ。「居住条件の格差こそが現代における階級闘争の主要な要因」って、ここに驚かされる。例えば、ぼくは数年前に風呂なしのアパートから連れの所有するマンションとか呼ばれる縦横につながる長屋の13階に引っ越してきて、客観的には居住条件がずいぶんよくなったのだが、入り口には24時間、誰かがいてくれるゲート付きのこの”安心な”空間(とはいうものの狭めの3LDKという標準的な住宅なんだけど、連れが所有者で彼女が思い切り無理して購入したこの家は確かにいろいろ便利ではある)と風呂もなく暖房もない木造2階建てのアパートの間に階級対立があるのだろうか。この13階の縦横長屋とブルーシートの家やネットカフェや公園やガード下での野宿の間には、もしかしたらある種の対立はあるかもしれない。日本の中に限れば、野宿からヒルズとか、豪華な一戸建てまでのグラデーションの中にさまざまな居住環境があるし、ぼくが少し知っているフィリピンでもやはり野宿から本当に豪華なビレッジの中の暮らしまでの幅がある。
 「居住条件の格差こそが現代における階級闘争の主要な要因」というとき、それがどのように表現されるのだろう。野宿者やネットカフェ難民の闘争から何かが始まるということなのだろうか。あるいは第三世界のスラムで住居を求める闘いの中から?あるいは温暖化で水没するかもしれないと言われている南の島の人たちの闘いの中から?
 どうもそのあたりのことが、よく見えないのは、貧乏臭い暮らしをして、貯金だってそんなにないけれども、やはり立場としては『白人中産階級』の側に立ってしまっているからだろうか。

 ぼくがいくら貧乏臭い暮らしをしていても、世界の80%の資源を使う20%の人口の中にぼくは入るのだろう。この話は現状の世界のいびつさを表すためには有効で、そういうありかたのいびつさをどう変更していくのかということが問われていると思うのだが、具体的なグローバル化の歪みに反対する闘争の中で、それをどう表現できるだろうと考える。
 確かに現在は「北」の中にも「南」が存在し、またその逆もある。そして、「北」の中の「南」は広がりつつある。そかし、それでも「北」に住む人間の多くは80%の資源の恩恵にあずかっている。この構造は変えたいと思う。それを変えていこうと呼びかかるとき、「省エネ家電への買い替えが有効です」というような運動が本当に効力をもちえるのかと思ってしまう。田中優さんはそれが有効だと言う。製造や廃棄のコストを考えても計算上はそうなると先日も直接説明してもらったのだが、どうもこのあたりのことが、ストンと胸に落ちない。
 片方で生命を維持するのに必要なものが手に入れられない社会があるのに、・・・なんて思ってしまうのだった。
 そして、「南」の中でも、安価な自動車であれば買いたい、買えるという人が増えているのも事実だろう。だから、TATAは30万円の自動車を売り出すわけだ。
 
うっ、話が大幅にそれてしまった。
「居住環境における格差こそが、現代における階級闘争の主要な要因となる」かどうかという話を、80%の資源を20%の人口が使う世界という現状と重ね合わせたとき、どうなるのか、というようなことを考えたいのだった。

ヴォルフガング・ザックスは「地球文明の未来学」のなかで、こんなことを書いている。
===
世界中の市民は一体どうしたら生計を立て自尊心を得られるのか?どうしたら世界は、将来世代にとって生命圏を荒廃させることなく、現在よりも倍化する人間にとって友好的となれるのか?
 本書はこうした未来のテーマを考える素材を提供している。

・・・。はっきり言おう。従来の開発モデルの無節操な成功は、失敗より始末に悪い。だが、それならば、経済発展にこれまで参加できなかった世界の80%の人々にどんな対案を提案できるだろうか。
 この角度から見ると、重要な課題はふたつあると考えられる。第一は「西」型開発主義を見直し、その隠された前提や技術信奉、経済成長の脅迫観念、物的生活改善志向を検証すること。そして第二は、「西」型開発モデルとの決別を認めねばならないことである。
 その代わりに私たちは、別の文化を迎え入れる道を探さなければならない。環境への影響が少ない先進技術を創造する、執拗な富の蓄積を打ち切る、手段は質素だが結果が豊かな生活様式を認める、等々。本書はそうした議論の活性化のために書かれた。
16p

===
長いこと国際開発政策が目標としたのは、賃労働者と消費者で埋め尽くされた社会をつくることだった。・・・・。円滑に機能する政治経済制度へと社会を変貌させるためなら、いかなるコストも惜しまれず、どんな犠牲もいとわれなかった。
 そして確かに奇跡は訪れた。「南」の国々を大波が襲い、歴史は急転回する。だが沖に災厄が潜んでいたことは、今となっては疑う余地はない。経済がついに世界制覇を果たしたまさにそのときになって、社会崩壊と環境破壊が猛威を振るい始めた。・・・。・・・。経済が王座に上り詰める過程で、人や自然にそれほど過酷でない他の選択肢をすべて握りつぶしてしまったからである。
 人間がもっと素直に生きられ、際限のない富の蓄積の虜にならずに済むような経済制度は、どうすれば再構築できるだろうか。この歴史的課題に取り組むには、第三世界の方が創造力を備えているかも知れない。これまでの経緯がどうあれ、経済実績だけがすべてではない生き方をまだ多くの人が覚えているからだ。 48−49p
===

「居住環境における格差こそが、現代における階級闘争の主要な要因となっていて」「それはまさしく、グローバルな、地球全体の規模で考えなければならない問題なのです。」「この問題は、今後、おそらく21世紀の社会科学において、その哲学的な基礎を占める問題として、大きくクローズアップされていくことになるでしょう。」という山之内さんの予感と上記のザックスの問題意識を重ね合わせたら、何かが見えてきそうな気がするのだが、まだ言葉には出来ない。






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