今日、考えたこと

アクセスカウンタ

zoom RSS 〈帝国〉読書メモ その14 1-3 〈帝国〉内部のオルタナティブ

<<   作成日時 : 2008/05/06 10:31   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

今日の〈帝国〉読書会は2-1 なんだけど、そこを開こうとして、1-3が目に入った。前に読書メモを書いたかもしれないけれども、覚えていないのでメモ。(書いてる途中でローカリゼーション批判だけとりあげたことを思い出した。)

この冒頭で「〈帝国〉の構築は即時的には善いことだが、対自的にはそうではない」と書かれている。

そして、こんなことが書かれている。
==
 革命はその最高の瞬間に、国民的・植民地主義的、帝国主義的な支配がもたらす分断を超えて、さまざまな関係の国際化とグローバル化を指し示していた。しかし、今日ではその分断を超えるというマルチチュードの欲望は〈帝国〉の構築によって処理されている。つまりマルチチュードが〈帝国〉を呼びおこし存在せしめた。

 しかし、その〈帝国〉は植民地主義と帝国主義に引導を渡したものの、〈帝国〉が支配する世界では、無力さすれすれの貧困の中で生きているマルチチュードから吸い上げた莫大な富を、ほんの一握りの少数者が支配し、植民地主義と帝国主義の時代に確立された抑圧と搾取は弱体化するどころか、急激に増大している。

 そうしたことをすべて認めたうえで、〈帝国〉は、マルクスが資本主義はそれ以前の社会形態よりもマシだと言ったのと同じ意味で、それ以前の権力構造よりもマシだ。つまりマルクスが当時、資本主義の誕生・発展は偏狭でがんじがらめの身分制度を壊しただけでなく、解放への潜勢力を増大させた、それと同じ意味で・・・ 65ー66p 
===

これを書いた上で、
<帝国>のローカリゼーション批判
http://tu-ta.at.webry.info/200803/article_11.html
に続いていくのだった。


ローカリゼーションへの批判の後に、再び、問われているのは、マルチチュードに押し付けられた必然性を解放の条件へと変容させることだとし、これこそが、〈帝国〉の展開がそのままそれ自体に向けた批判となり、その構築のプロセスがそれ自体を転覆させるプロセスとなるような、そうした場面の幕開けだという。
 70-71p

その後、プロレタリア国際主義の問題などに触れた後に、20世紀最後の時期のラディカルな闘争を分析し、そのいくつかの闘争はすべて連鎖を起こさなかったことに注目する。それらが有する根本的に新しい特徴として、二つを提示する。
第一に、それぞれの闘争はローカルな状況に固く根づいているが、グローバルなレヴェルへ無媒介的に飛躍し、〈帝国〉の構成を攻撃する。
第二に、それらすべての闘争は経済闘争と政治闘争のあいだの伝統的な区分を無効化する。それらの闘争は政治的であり、経済的であり、文化的なものだ。 

20世紀最後のこれらの闘争が起きた時点で、その闘争のあいだのコミュニケーションがとれなかったのは、共通の敵への認識が不足していたからだとネグリ・ハートは書く。82-83p

(その後の段階で共通の敵は認識されつつあるように思える。少なくともサパティスタは明確に認識しているだろう。それは、もしかしたら、94年の段階から意識されていたのではないかとさえ思う。それがNAFTAが開始されるちょうどその日に蜂起するという選択につながったのではないか。)


そして、〈帝国〉の構成には外部はないのだから、もはや攻撃すべき弱い環もない、だからこそ、その核心部への攻撃が必要だと書く。そこで誰もがイメージするのが9・11なのかもしれないが、これが書かれたのはその前だ。しかし、ここで明確にその中心とはワシントンやジェノヴァや東京というような地理的なものは意味しないとしている。それはどこからでも攻撃可能なのだという。 86p


そして、この章の最後でいくつかの問いが出されている。
革命的な政治的言説は、いかにして再活性化されうるのか?
ポスト近代性の渦中にある私たちは、主体(マルチチュード)と対象(世界政治的(コスモポリティカルな)な解放)を結びつける装置をいかにして構築することができるのか?

そして、「目的論的唯物論」という観念が再発明される必要があるという。

そして、この章の結語はこんな風に書かれている。
==
今日、政治的言説としての宣言は、スピノザ的な予言の機能、つまり、マルチチュードを組織する内在的欲望の機能を果たそうと熱望しなければならない。つまるところ、ここにはいかなる決定論もユートピアも存在しないのである。むしろ宣言は、ラディカルな対抗権力にほかならないのだ。そして、これは、何らかの「未来のための空虚」に存在論的に基礎づけられたものではなく、マルチチュードのアクチュアルな活動性、その創造・生産・力――一言でいえば、唯物論的目的論――に存在論的に基礎づけられたものなのである。 96p
==

ものすごく難しく書いてあるんだけれども、要するに共産主義とかいうあるかどうかわからない未来ではなく、いまどうしたいか、何が必要とされているのかということを基礎にした宣言が必要とされているということなんだろう。







上記の記事が「面白いかも」って思ったら、この下にある「人気blogランキングへ」というのをクリックしてください。
人気blogランキングへ

クリックしてくれた人数のランキングです。クリックするとランキングのサイトに飛び、うんざりするような排外主義ブログのタイトルの山を見ることになります。こんなランキングに登録するバカバカしさを感じないわけでもないんですが、・・・
でも、クリックしてもらえるとうれしかったりもします。

人気blogランキングへ

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文

トップ頁の右上に広告が入るようになっちゃいました。それがいやな人はさらに追加してお金を払いなさいとのこと。というわけで、この広告クリックしないでください(なんて、けなげな抵抗)。==============ブログ内ウェブ検索

ブログ内 を検索
〈帝国〉読書メモ その14 1-3 〈帝国〉内部のオルタナティブ 今日、考えたこと/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる