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zoom RSS 武藤一羊さんの〈帝国〉論

<<   作成日時 : 2008/06/21 05:10   >>

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まだ続いている気流舎での〈帝国〉読書会。

少ない参加者の中の複数の人が食傷気味かもしれない。とりわけ、某(うと*さん)は早く次の読書会に移行したいという意向がありあり。

 ともあれ、少ない参加者のたぶん少なくない部分が少しうんざりしてきているというのは確かな話で、参加者で話をして、〈帝国〉読書会としては7月中に読みきってしまおうということになった。訳者の人も迎える予定。

そこで、ぼくはPP研で〈帝国〉を批判的に読む講座を開きたいと言っていた武藤さんにも読書会への出演を依頼し、一応、内諾はもらっている。

その武藤さんが季刊ピープルズ・プランの最新号(2008年春42号)に書いているのが、「帝国の没落と「もう一つの世界」への道筋を探る (上)」サブタイトルは「ブッシュ政権の終末を目前にして」というもの。

武藤さんが世界の状況を社会運動の側から概観する文章がぼくは好きだ。複雑なことはできるだけ複雑に書きながら、明解でわかりやすい。なかなかできないことだと思う。運動側から世界の大状況を書かせて、武藤さんより書ける人をぼくは知らないなぁ。(すごい絶賛だ。)ほめすぎたから、ちょっと落としておくと、この間のPP研の「私と社会運動」第二部でゲストスピーカーはかなり「私」のことを話しているのに、毎回ホスト兼スピーカーとして、それなりに長い時間話しをしながら、「私」がなかなか出てこなかったのも彼。(まぁ、最近は彼への聞き取りプロジェクトでかなり尋問されているらしいけど)


で、この〈帝国〉がらみの話で、今回の連載に、武藤さんの〈帝国〉論が短くわかりやすく記述されている。その部分をちょっと長めに引用。

以下に少し長めに引用
===
 今日の世界にはグローバルな権力が存在し、何百万、何億という人々の運命にかかわる重大な決定が行われている。世界政府のようなものは存在していないし、単一のセンターもない。しかしそこにはさまざまな権力が結びつき、収束して作り出される事実上のグローバルな決定メカニズムが存在し、矛盾や対立を内部で調整しつつ、世界をある一つの方向へ引きずって行っているのは明白である。中枢部国家群(G8)から、WTOのような国際機関、国家エリート、多国籍企業、金融資本、支配的メディア、体制的知識人にいたる膨大な数の各種のアクターが複雑に相互関係を織り成しつつ、複合的な巨大権力、非公式な誰にも責任を負わない権力が成立しているのである。これはハートとネグリが、ネットワーク権力としての「帝国」と呼んだものに近い。このグローバル権力は、競争による無際限の資本蓄積を社会の組織原理とする「市場原理主義」にしたがって経済のグローバル化を急速に推進してきた。ネグリらはこの「帝国」をアメリカ合衆国と関連付けることを拒んでいるが、それは無理な議論である。帝国は、アメリカ合衆国の似姿でつくりだされたものであるとともに、アメリカ合衆国をその不可欠の特権的構成部分とする権力である。逆に、米国が帝国でいられるのは、アメリカ国家がグローバルな資本主義的支配諸集団の集合的利害をまがりなりにも代表しうるかぎりである。なかでも、その比肩するもののない圧倒的軍事力がアメリカを置き換え不可能な要素としているのである。ここではアメリカ帝国は一個二重の性格をもって現れる。それは国民国家アメリカ合衆国を超えたグローバル権力の機関であると同時に、最大の帝国主義国家としてのアメリカ合衆国という国民国家でもある。九一一後の状況でこの二重の存在は、一時ひとつに融合させられたかに見えた。国民国家米国がそのまま帝国として現れ、承認されたかのような仮象である。ブッシュとネオコンは、この仮象を実体化し、アメリカ合衆国をそのまま特権的な帝国をとして制度化しようと試み、その前提の上にイラク侵略戦争を実行した。だがその結果登り詰めた頂点から滑り落ち始めたのである。

◆一時代としての帝国没落期

 そこでどのような光景が展開することになったか。そこにはアメリカ帝国の没落期の深刻な症状が顕著にあらわれている。そのいくつかをあげてみよう。
 ・・・


1 アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの「〈帝国〉―グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性」(水島一憲他訳、以文社)の帝国理論に私は半ば同意するが、米国の組み込みについてのほか、いくつかの批判点がある。私自身の帝国についての見方については、「アメリカ帝国と〔グローバル化〕の歴史的位相」(拙著「アメリカ帝国と戦後日本国家の解体」(社会評論社、2006、所収)を見てほしい。
==ひとつめの引用、ここまで==

これに続けて、武藤さんは7つの例を挙げている。興味のある人は、ぜひ、購入して読んでください。購入したのに、読んでない人もぜひ。


んで、今回掲載された前編の最後に次号の予告がでているので、そこも以下に引用。

===
・・・。もう一つの世界の実在を、大結集によって相互に確認することは、それ自身が重要な行動である。WSFはそのための空間(スペース)を共同でつくりだす。この場において、数百もの自発的な会議、協議、合意が行われ、それぞれ参加者の責任において行動・運動に移される。WSFそれ自身は全体の承認を要求する宣言や声明を採択しないという原則が厳格に守られてきた。WSFは運動ではなく、空間(スペース)であるという自己定義である。だがやがて帝国の戦争と新自由主義的グローバリゼーションと効果的に闘うためにはそれで十分なのか、グローバルな民衆運動を作り出すことが必要なのではないか、という声があげられるようになる。WSFが二〇〇一年ポルト・アレグレから二〇〇七年ケニアのナイロビまでの歩みを経るなかで、さまざまな矛盾と問題点があらわになり、表面化してきた。これは避けられないし、むしろ当然であった。これらの問題点のいくつかは、本誌No.38の特集「岐路に立つオルタ・グローバリゼーション運動」の小倉利丸論文「閉ざされた「自由な空間」から社会的空間のオルタナティブへ」で分析されているので、それに譲ろう。小倉が引用しているWSFの創始者の一人チコ・ウィケタルは「空間」かそれとも「運動」か、それを厳密な二者択一として提出し、「どんな犠牲を払っても、空間としてのフォーラムの継続性を確実にすること、現在あるいは将来においてさえ、フォーラムを〔運動〕へ移行させる誘惑を生み出さないことが肝要」であると主張するのである。注2
 WSFはいまのところ最大の結集の場であるけれど、唯一の場ではない。ここで問題なのは、WSFの中からであれ外部であれ、アメリカ帝国の衰退と没落という歴史的時期において、帝国とグローバル資本主義をくつがえすグローバルな民衆運動がどのようなものとして生成しうるか、その展開をうながしうるかということなのである。
 次回にその問題に光を当ててみることにしよう。
===


というわけで、楽しみな次号に期待。


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