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zoom RSS 「受苦者のまなざし」序章読書メモその2

<<   作成日時 : 2008/08/02 08:53   >>

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「受苦者のまなざし」序章読書メモその2


小沢牧子と山之内靖、それが〈帝国〉から
(「受苦者のまなざし」序章読書メモ)
http://tu-ta.at.webry.info/200808/article_1.html
の補足

そう、序章を読んで、なんとなく問題意識はわかったような気になったんだけど、よく考えたら肝心なことがわかっていない。

どうして、「受苦的存在」とか言われなくてはならないのか。こんなにうんざりするような社会の中でも、それなりに愉しいことはある。また、この社会を変えようとするプロセスもそれなりに愉しいものにしたいと思う。確かに山之内さんの本を読み続けることはいわゆるお勉強がそんなに好きじゃないぼくには「受苦的」行為っていう側面もないわけじゃないけどね(笑)。
もっと、コンヴィヴィアルでいいじゃないかって思うんだけど、どうなんだろう。

ただ、このことにちょっと付け加えたいのは、いろんなことを軽くしたり、ハードルを下げたり、反権力の姿勢を鮮明にしないということがイコール「愉しい」ってことにはならないということ。

「愉しさ」もいろいろだ。

この本をもう少し続けて読んだら、どうして「受苦的」なのか、わかるかどうか、わかったら、ここで報告しよう。


で、序章には、前回書いたものの他にも〈帝国〉批判はでている。

これもそれなりに面白いので、紹介しておこう。

===
 ネグリとハートの〈帝国〉の議論が、その外見から注目されるほどのインパクトを持ち得ないのも、これと同様な限界にかかわっているであろう。彼らの場合、マルチチュードのもつ無限定的な流動性と多様性の指摘にもかかわらず、この〈帝国〉の抵抗主体が行為動機のレヴェルにおいてどのような新しさをもつことになるかは明らかではない。
===
そう、昔から気になっているのは、「何が人を動かすのか」ということだ。そういえば、その問題意識を鮮明にしてくれたのは山之内さんの「ヴェーバー入門」だった。
何度もこのブログに引用を掲載しているが、再び掲載する。
==
人間の行為を直接的に支配するものは、利害関心(物質的ならびに観念的な)であって、理念ではない。しかし、「理念」によってつくりだされた「世界像」は、きわめてしばしば転轍機(ターンテーブルのルビ)として軌道を決定し、その軌道の上を利害のダイナミックスが人間の行為を推し進めてきたのである。
==

さっき、引用した序章の結語部分でも「『マルクス主義以降のマルクス』が語らなければならないのは、まさしく、この『世界像レヴェルの転換』をめぐる闘争についてなのである」
として、このことが明記されている。

繰り返し引用してきたヴェーバー入門のフレーズを読み返してみて、いま、気づいたんだけれども、「利害関心」に「物質的ならびに観念的な」という説明がついている。「観念的な利害」ってなんだろう。例えば、「これは愉しい」と感じるというのは観念的な利害なのだろうか。愉しい社会運動をというとき、その利害で誘導していると言えるのか。あるいは社会運動の目的である何かは多くの場合、ヒューマンな感情に支配されているのだが、それが実現されなければならないという感情と利害はどのようにつながっているのだろう。ここで山之内=ヴェーバーは「人は理念ではなく(観念的なものを含む)利害で動くのだ」というのだけれども、山之内さんは理念と観念をどう使い分けているのだろう。


ここをこんな風に読むこともできるかもしれない。多くの社会運動は物質的な利害から離れた行為であるがために、社会的には少数者の運動であることが運命づけられている。その少数者が世界像レヴェルの転換をめぐる闘争に参加することで世界像が転換し、それがターンテーブルを動かし、人の価値観の軸が動いていく。(少数者は理念あるいは観念的な利害で動く)

こんな風に整理できるかもしれない。
理念または観念的な利害によって動く少数者(それはもしかしたら、地域的には多数者に転換する場合もある)の世界像をめぐる闘争が勝利し、多数を獲得した場合に、新しい理念が世界像を決定し、その世界像が人々の価値軸を転換させ、新しい価値軸のなかで人々は生活するようになる。

この転換あるいは革命はナイフで心臓を刺すような行為ではなく、多くの蜂が人を刺すような形で起きる。これは、先日来日したホロウェイが話していたと渋谷望さんから聞いた話だ。



話がすごく本から逸れてしまったけれども、〈帝国〉では抵抗主体の行為動機の新しさが不明だというのに対して、山之内さんはヴィルノを紹介する。彼は『マルチチュードの文法』の中で、「近代的社会秩序とはその性格を明らかに異にする行為動機を出現」させているらしい。
(で、ここでまたびっくりしたのだが、この『マルチチュードの文法』を訳したのが先日、話を聞いたばかりの廣瀬純だ。で、この書評を書いてるのが渋谷望だったりする。)

『マルチチュードの文法』
http://getsuyosha.jp/kikan/molti.html
(月曜社といえば、ウラゲツブログというか本のメルマガでリニューアルしたオルタが激賞されていた。これはまた、別に紹介しよう。)

で、山之内さんは続けて、こんな風に書いている。
===
 本書が『経済学・哲学草稿』第三草稿も分析から抽出してきた論点において中心に位置づけられたもの、それは「受苦的存在者」という存在論的「まなざし」であった。「初期マルクス」に姿を現しながら短期間のうちに放棄されてしまったこの論点は、『マルチチュードの文法』で描写されている人類の位置とその歴史的転換に、かなり近いものを感じさせる。この論点をヴィルノもベンヤミンの「歴史哲学テーゼ」から引き出していた。「初期マルクス」からベンヤミンを経由してヴィルノに連なる線こそが、今日、「マルクス主義以降のマルクス」を検出させるための不可欠な、また、中軸となるべき方向なのである。57p
===








ちなみに、最近、ぼくを動かしているのは「好奇心」だなぁと感じることが頻繁にあるんだけれども、それは世界像をめぐる闘争とは違う話だなぁ。









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