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zoom RSS <「農山村再生の課題」(世界2008年8月号)について>へのレスポンス

<<   作成日時 : 2008/08/27 05:18   >>

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「農山村再生の課題」(世界2008年8月号)について
http://tu-ta.at.webry.info/200808/article_11.html
への感想をメールでもらった。

そこで、以下の返信を出した。
===
tu-taです。

とても丁寧な感想、どうもありがとうございました。

ざーっと読んだだけで、まだちゃんとは読んでいないのですが、いくつも考えさせられる論点がありました。

小田切さんは「国家戦略」という書き方をあえてしているのは危機感の表れだというのは大江さんからも指摘されました。

そう、ぼくもあんなことを書きながら都市で暮らすひとりです。そのあたりのことも含めて考えさせられる感想でした。

この感想、もしよかったら、ぼくのブログに転載させていただきたいと思います。匿名でも名前入りでもいいのですが。いかがでしょうか?

===

それへのレスポンスとして、

===
はい、名前入りで構いません。光栄です。

この問題提起を読んで、考えて感想を書いたこと自体、僕としても大変意味のあることでした。
ありがとうございます。

上原

====

とのことだったので、以下に転載。
いちばん、最後にぼくの感想も少しだけ付け足す。

====
突然のメール失礼します。上原と言います。
tu-taさんと面会したことはありませんが、PARC会員の者です。(略)。tu-taさんのMLでの発言、いつも興味深く拝読しています。ブログもよく拝見しています。

先日提起されていた「農山村再生の課題」について、友人の助けを借りて『世界』も読みました。思うところがあるのですが、ブログへの書き込みには長すぎるので、思い切ってメールでお伝えします。



まず、小田切先生の論の解釈について。

今回の小田切先生の提起は、政策化することを前提にしたものではないでしょうか。少なくとも市民運動の流れにはないと思います。あるいは政策化に何としてでも結びつけてやる、というのが彼自身の市民としての役割という意識を持っておられるのかもしれません。
だとすれば、“農山村の資源は「国際戦略物資」であり、それを供給する農山村は「国内戦略地域」である”と言わざるを得なかったのではないか、と思いました。

『第5節 地域再生の取り組み』で触れられている条件は、実はみんな知っていること、そういった地域の人なら知りきっていることです。
問題の本質は、ではなぜこういった経済が農山村を舞台にして起こらないのか、あるいは一つか二つの事例でストップしてしまうのか、だと思っています。その方策として「手づくり自治区」であり、さらにその前提条件としての問題に「誇りの空洞化」があると思います。

また「農山漁村がなくなって、誰か困るのか」という無意識に避けられている議題についても考えてみる必要があると思います。海に囲まれた日本の場合、海辺に人々が暮らし、沖に船を出していれば、それだけでも防衛の何らかの意味を達成しうるだろうと思うので、漁村は国家政策に乗ることも可能ではないかと思います。では、山村や里山の農村はどうか。

いくつかの地域を見て回ると、なりわいとして成立していない一次産業の現状や、地域行事をするのにも精一杯の様子を目の当たりにします。このような地域を日本中の多くの地域で見つけ出すことが出来るだろうということは、容易に想像が出来ます。それでも国家が成立している(崩壊していない)事実と照らし合わせれば、ならばよく言われる「我が国の国土を支え、私たちの生存を支えている」「日本文化の基層」と位置づける農山村の捉え方は、もはや間違いと言えるのではないでしょうか。

政策化の論拠とするのには無理があると、小田切先生自身も考え始め、そこで新たに“農山村の資源は「国際戦略物資」であり、それを供給する農山村は「国内戦略地域」である”と表現したのだと思います。あえてそういう言い方をしてまで積極的な付加価値を見出さないと、もはや国家政策から見放されかねない、という危機感の表れのように感じました。


とはいえ、反論もあります。

ひとつは、『第5節 地域再生の取り組み』の「四つの経済」の構築・確立は、この論の中でインパクトの強い数字とともに取り上げられている、山間、およびその奥地の集落の再生には寄与しないのではないかと思います。地域内の比較的条件のよい地域への移住など、ある意味その消滅を、全集落とは言えませんが、その大部分の消滅を促進するのではないかと思うのですが、ここら辺は触れられていないので、疑問が残ります。

もうひとつは、「誇りの空洞化」について。
そもそも、地域に誇りを持って生きている人は、どれほどいるのでしょうか。例えば都市に暮らしている人の誇りといえば、正確には都市に暮らすメリットを活かした成果への誇りであって、地域への誇りではないと思います。逆に、都市の非エコロジーなどを説く人のほとんどは都市生活者です。

対して農山村で暮らす人々は、論の中で例にあげられた農協幹部と独居高齢者の母の発言から、その人たち自身が地域に誇りを持っていないとは言い切れません。年一回の祭りへの愛着は、一般的に老若男女みんなが持っているものですし、都市生活への嫌気や恐怖は、小田切先生が要求する積極的なものとは言えなくとも、「誇り」と言ってもいいかもしれません。

というわけで、あれほど繰り返し多用されると、困ったもんだと思います。インパクトのある言葉ですし、「空洞化」が流行ったので、使いたくてしょうがなかったのかな、“学者の悪癖”くらいに捉えておくことにしようと思います。


そしてここからは僕個人の意見です。tu-taさんの捉え方にほとんど通じるのではないかと思い、ほっとするのですが、「農山村の再生が必要」という意見は、僕には言えないなと思いました。

僕にとっての農山村という地域舞台は、各地に落ち武者伝説があるように、やっと『国家』的な価値観から逃れられる場所なのではないか、という仮説を持っています。でなければ、農村ネットワークといったところで都市との対立的な関係は超えられない、という考えです。

外から入ってきた人間であれ、その地域の生え抜きであれ、そのようにオルタナティブな生き方を本気で選択した人間が集まる場所が農山村、というより田舎だと。小田切先生が求める「誇りの意識化」にもつながると思います。NGOはみんな、事務所を田舎に移転すればよいのになどと、極端な想像もしたことがあります。

またひとつ、農山村の地域づくりに必要と思われるのは、「社会運動性」ではないかと思います。これがなければ、僕のように田舎もなく、東京で育ってきた人間が“自分のこと”として積極的に関わっていく意味も余地もありません。


以上、長々と失礼いたしました。
思い切ってメールしてみましたが、勝手に送りつけるような形で申し訳ありません。もし気分を悪くされたなら、本メールは無視し、破棄していただければと思います。

それでは 失礼します。

上原

==転載ここまで==


まず、ぼくが書いたことについて、いろいろ考えてもらえたことに感謝したいです。こういうレスポンスがぼくにブログを書かせているという側面もあるのです。

ぼくにはわかりにくい表現もあり、どこまで上原さんの言いたいことを理解出来ているか、危うい部分はあるますが、ちょっと感想を書きます。


<“農山村の資源は「国際戦略物資」であり、それを供給する農山村は「国内戦略地域」である”と言わざるを得なかったのではないか>

という部分については、小田切さんは「戦略的」にそう言っているのだとぼくも思っています。メインストリームを動かすために、そういうロジックが必要なのかもしれません。しかし、ぼくは農山村が重要だという視点は別の地点、簡単に言ってしまえば、いのちの重要性というような視点から、問題を建てたいと思ったのです。耳障りなカタカナ言葉にすると、サブシステンスの視点と言えるかもしれません。

このブログでもいろいろ書いていることではありますが、大きな価値観(世界像)の転換がなければ、地球は生き延びていけないの思っているからです。そこへ向かう「方便」という問題の建て方もあるだろうとは思うのですが、とりあえず大きな流れは主張してしておきたかったのです。


そして、ぼくは里山や山間部は、やはり、「私たちの生存を支えている」と思うのです。専門家ではないのでデータがあるわけではなく、感覚的に思うだけなのですが、地域内でのできるだけ自給的な暮らしが求められていると思うし、そのためには里山や山間部が維持されなければならないと思うからです。

「誇りの空洞化」という問題の建て方について、ぼくはこれは大切な視点だと思っています。農山村で生まれた人たちが、次の世代にこの地でいっしょに生きていこうと呼びかけることのできないような社会というのは、やはり誇りが空洞化しているように思えるのです。そんな風に思える「地域」をどう再生させていくのか、「誇り」という表現にしっくり感じはないでもないのですが、「この地で自分は生き、次の世代の人にもここで生きていって欲しい」と、ちゃんと言えるような地域が再建されなければならないだろうと思います。もちろん、選ぶのは次の世代の人であることは言うまでもありません。本当の意味で選択ができるような、環境もまた必要でしょう。そして、次の世代は血縁である必然性はないようにも思います。上野千鶴子さんの言葉を借りれば、「選択縁」というような形が望ましいようにも思うのですが、確かに、それはそんなに容易な話ではないかもしれません。

また、結語の部分にある上原さんの「社会運動性」の必要という指摘はとても興味深いものでした。確かに「選択縁」とかいうのもそれがなければなかなか成立しないかもしれません。ただ、何をめざす運動を社会運動という風に定義するのかということが必要だとも思います。



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