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zoom RSS <「農山村再生の課題」(世界2008年8月号)について>へのレスポンス その2

<<   作成日時 : 2008/09/04 04:13   >>

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「農山村再生の課題」(世界2008年8月号)について
http://tu-ta.at.webry.info/200808/article_11.html
への感想を、うえはらさんから、メールでもらい、

そこにぼくのレスポンスを加えたものを、
http://tu-ta.at.webry.info/200808/article_24.html
で掲載した。


それに対して、再度レスポンスをもらったので、以下に掲載
で、最後に結果としてとても長くなったそれへのレスポンスも貼り付けてあります。



その前にちょっと情報
このやりとりの前提にしている著者の小田切徳美さんが書いた「世界」の論文とかなり似ているものをWeb(PDFファイル)で読むことができます。
http://www.soumu.go.jp/menu_03/shingi_kenkyu/kenkyu/teizyu/pdf/080214_1_si1-2.pdf

以下、転載
=======

tu-taさま

僕の感想へのレスポンスありがとうございます。示唆に富んだ指摘も、大変興味深く拝見しました。

ひとつだけ、補足を。コメントとして送信しようか迷いましたが、メールでお伝えします。
いくつか新しいトピックがあがった後になってしまいましたが、ご容赦下さい。

僕も、「誇りの空洞化」という問題の建て方はなるほどなと思います。ただ、例の引き方に誤りがあります。これでは、読者が誤解するだけだと思うのです。

農協幹部さんの「いまの若い者は、こんなところには住まない。都会に出るのが当たり前だろう」、独居高齢者のお母さんの「うちの子には、ここには残って欲しくなかった」「ここで生まれた子どもがかわいそうだ」という言葉は、tu-taさんのおっしゃる「この地で自分は生き、次の世代の人にもここで生きていって欲しい」という想いと、同時にあって矛盾しないと思うのです。「ここでの暮らしも、いいところはあるんだけどね」くらいの意見も一緒に、少なくない人が持っています。

結局は、地域で生まれた子に無責任なことは言えない、という時代が続いているのだと思うのです。そこで気にかかるのは、「四つの経済」の構築・確立や地域コミュニティの再編があったとしても、はたして地域は本当に再生するのか、ということです。

また、小田切先生が「誇りの空洞化」を言い始めた背景を想像してみると、おそらく住民組織などの立ち上げに関する苦労話があるのだと思います。つまり、住民の焚きつけにほとんど失敗する。「そんなことやっても意味が無い」といった声も住民からあがることがあるのでしょう。

ですがこういった場合、住民へのアプローチが未熟であったり、またそういったアプローチをこれまで担ってきた地方行政団体が、そもそも住民から信頼されていないということが原因である場合も多分にあると思うのです。こういったことは第三世界の地域開発ならば問題として取り上げられそうですが、国内の地域づくりでは取り沙汰されることがありません。

つまりプロの必要性が認識されないということだと思います。“しかし、不思議なことに、農山村をめぐる議論は、「食料・農業」や「地方」という枠組みほどは、拡がってはいない”という小田切先生の指摘は、僕はこの論の中でもっとも価値のある問題提起だと思います。


語弊を怖れずにあえて言うなら、“農山村(田舎)を目指す”というような気運が起これば、大逆転があるのかもしれない、と思います。そう考えると、課題の所在は農山村地域に暮らす人々にだけ求められるものとは思えません。
そして“何をもって目指すのか”ということを、ざっくり「社会運動性」と言ってみました。まだ答えは出ていませんが、見つかるだろうと思っています。


上原

==========


それへのぼくからのレスポンス
(すでに送ったものに大幅に加筆)

「大逆転」については
山之内靖さんはヴェーバーとマルクスを援用して「世界像革命」が必要だと言っています。

以下、『マックス・ヴェーバー入門』(岩波新書)から引用
===
 ヴェーバーによれば、市場メカニズムは、その存立が可能になるための条件として、内面的な――つまり、倫理的・道徳的な――動機づけが必要です。このようにヴェーバーの方法は、社会的行為の内面的動機づけに注目するものであり、そのために行為の理論と呼ばれています。また行為を動機づけている文化的意味への共感と理解を中心に組み立てられていることから、理解社会学と呼ばれることもあります。しかし、だからといって、ヴェーバーは外面的な客観法則を無視したわけではありません。むしろ問題の中心におかれていたのは、行為の内面的動機づけと外面的な客観法則との間の、複雑で時には逆説的でもある関連を解明すること、これでした。大塚久雄教授がヴェーバーの方法を「複眼的」と呼んだのは、そのためです。(『社会科学の方法』1966年)16p
====
 「人間の行為を直接的に支配するものは、利害関心(物質的ならびに観念的な)であって、理念ではない。しかし、「理念」によってつくりだされた「世界像」は、きわめてしばしば転轍機(ターンテーブルのルビ)として軌道を決定し、その軌道の上を利害のダイナミックスが人間の行為を推し進めてきたのである。」18p
===

この世界像の革命が現在、起こりつつあるのか、まだまだなのか、残念なことにぼくには、よくわからないのですが、必要なんだろうなぁと思っています。

そして、この世界像の革命がめざす先には自然や地域との親和的な暮らしがあるはずです。

また、現状の、新自由主義的とミリタリズムが同居する、うんざりするような価値感が闊歩する世界が、変えられるべき世界として存在しています。現在の北と南の破滅的な格差(北の社会にも南は存在しているという意味で)が解消に向かうためにも世界像の革命が必要だといえるかもしれません。

この世界像の革命が、配慮され管理された「資本制社会」(これをどう定義するのかという問題もあるでしょう)の枠の中で可能なのか、それとも違うフレームを要請しているのか、そこもわからないところです。

また、従来の社会主義が資本主義と共有していた価値としての「開発主義」が社会の持続可能性を奪ってきたものとして見直されなければなりません。同時に硬直した抑圧的な官僚体制を必ず伴っていた従来型の社会主義が、20世紀いっぱいをかけた壮大な実験の結果、失敗に終わったという現実もあります。

そういう意味では、世界像革命によって資本主義と違うフレームが要請されるとしても、その違うフレームは従来型の社会主義とは明らかに違うものになるでしょう。

そこで要請される新しい世界像とは何かということを、いまだに誰も明確には定義できていない(あるいは承認されることに成功していない)ように思います。それはさまざまな「いのち」を大切にするような世界像であるはずです。そこに本来の意味でのスピリチュアリティと響きあうものが存在する場所があるように感じています。そして、そのような世界をめざす実践は、現実に世界各地で行われているのだと思います。新しい世界像に定義や名前はなくても、それを模索し、実践する運動は世界だけではなく、日本国内にも、少なくないのではないでしょうか?

もちろん、その運動ひとつひとつのすべてが、自らの運動を新しい世界像につながるものだと自覚しているわけではないでしょうし、もっと言えば、自ら行っていることが「運動」とさえ自覚していない場合もあるかもしれません。



こんなことを考えていくと、自民党だとか民主党だとかいう争いは、根本的な変革に結びつかないことは明らかです。しかし、現実の日本社会を構成している人の投票行動がそこに集中しているのもまた事実です。マスコミの報道の問題もあるでしょうが、現状の多数派の意識はそこに留められているという現実は直視すべきでしょう。では、それをどのように変えていけるのでしょうか。

現在、めざすべきことはこの根本的な変革を準備するスペースを確保することなのだと思います。どのような運動が、あるいは政治行動がそのスペースを有効に広げることを可能にするのか、そういう視点で見ていくことが重要なのでしょう。

そこで注目したいのは抵抗と再生というふたつのアプローチだというヘレナ・ノーバーグホッジさんの(あるいはISECの)主張です。

それについては
http://tu-ta.at.webry.info/200712/article_5.html
でもう少し詳しく紹介していますが、再び引用します。
=====
抵抗と再生
 社会活動には、レジスタンス(抵抗)とリニューアル(再生)という、異なるけれども関連し合う二つのアプローチが必要です。
 危機感が膨らむ今日の状況の中で、勢いを増す破壊的な潮流をスローダウンさせ、いずれは停止させる目的をもった活動を、私たちは「レジスタンス(抵抗、反対運動)」という言葉で表現します。ここでいう活動には、郊外のショッピングモールの建設に反対することや、小規模な農業を営む農民の生活を脅かす政策に対するロビー活動(議員への働きかけ)、WTOや世界銀行、グローバリゼーションの推進派に対する抗議に参加することも含まれるかもしれません。レジスタンスといっても、攻撃的になったり、革命的である必要はないのです。効果を発揮するレジスタンス活動の多くは、例えば本や記事を回し読みしたり、地方紙に寄稿するといったように地味で継続的なものです。
 「リニューアル(再生)」という言葉は、現行のシステムに対する前向きな代替案を創造しようとする試みを表しています。古き良き伝統や慣習を再発見し、失われつつある伝統をより持続可能なものにする取り組みともいえます。リニューアル活動の一例としては、農民市場(ファーマーズ・マーケット)や消費者協同組合、友達や近所の人びとと共に行う庭づくりなどがあります。
=====

 ここまで書いたような視点から考えると、混乱する政局も違う角度から見ていくことが可能になるでしょう。近々、行われるはずの総選挙も含めて、根本的な変革と具体的な政治行動の連関をもう少し考えてみたいと思います。






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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
mixi経由で一連のエントリーを拝読、お蔭様で小田切さんの貴重な論も読むことが出来ました。
大変参考になっております。
ありがとうございます。
まっちゃん
2008/09/04 08:30

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