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zoom RSS フィリピン旅日記(たぶん2002年)

<<   作成日時 : 2008/10/22 20:00   >>

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労働組合の新聞に掲載した旅日記、たぶん2002年ころにフィリピンに行ったときの記録がハードディスクに残っていたので、ここにも残す。旅日記の後半のみ。

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tu-taです。先月、あんまり中身のないダラダラした旅日記を掲載してしまったこと、反省してます。旅の途中で書き連ねたメモでした。読む人にはそんなに面白くない割に、間違いも多い、いいかげんなものだということに印刷されてから気づきました。ごめんなさい。
というわけで、この続きをどうしようか迷っていましたが、やっぱり続きをお届けします。いくつか残しておきたいこともあるし。とりあえず、今回は読むに足るものをめざしますが・・・。

以下、旅日記つづき

八月十四日
十四日の午前中はすぐ近所のタハナン・ワラン・ハグダナン(TWHI)という六年前に長く世話になった福祉工場へ行った。みんな暖かく迎えてくれる。不景気で状況で経営はすごく厳しいようだ。仕事もかなり減り、レイオフを余儀なくされたという。お菓子や薬の梱包の仕事もほとんどなくなり、ゼンコロなどで寄付したコンピュータの仕事も来なくなってしまったらしい。そのコンピュータは営業や製造の業務のために使われている。自前のブランドの車椅子製造や木工の仕事でつなげているというような状況だ。
長く住ませてもらっていた補装具センターは盛況だ。多くの理学療法士が来てリハビリをやっている。日本大使館の草の根無償援助で新しい設備が入るといっていた。
TWHIで始めたCBRの話を聞く。翌日、ハラハラというリサール県のいちばん外れの村に行くというので連れていってもらうことにした。昼前にプンラに戻る。
午後は久しぶりにレイモンドという自閉の青年と散歩。五年前に彼と散歩に出かけて帰れなくなったことなど思い出す。途中で屋台のバーベキューなど食べながら、一時間半くらい歩いた。

八月十五日
十五日、朝一番でまたTWHIに行き、車で約一時間半かかるハラハラへ向かう。TWHIの新しいプロジェクトだ。CBRの担当者ロッキーに所長のジェスも同行。
修復中の建物に到着。もとは「ヒューマン・セツルメント」というマルコスの時代のイメルダ婦人のプロジェクトとして建設された建物と養魚場のためのコンクリートプール。その後、大学として使われていた時期などもあったようだが、長く放置されてきたらしい。その大きな建物とそれに付随した養魚場をハラハラという町からTWHIが借り受けて、障害者の就労の場を作るという。とりあえず、小さく始めると言っていた。
帰路、すごい雨が降りはじめて、そこいらで水があふれている。とりわけ、山に木が生えていないところからはどんどん水が流れてくる。昼食はぼくが招待するって言ったのだが、結局TWHIの所長にごちそうになった。それからプンラへ戻る。この日も散歩。

八月十六日
昼食の食事当番。こういうこともあるかもしれないと、出発前に偶然スーパー(ダイシン)で買って持っていった「寿司太郎」(混ぜるだけでちらし寿司)で昼食を準備した。この日は日本人のシスターが来る日だったので、彼女に錦糸卵を焼いてもらった。フィリピンの長いつぶのお米でもそれなりに食えるものが出来て評判もまずまず。酢の入ったチャーハンと呼ばれていたことが後でわかったが。それだけでは寂しいので、空芯菜のフィリピン風炒め物(アドボ・ン・カンコン)も作り方を教わって作った。
その昼食後、マニラに戻る。二年前は工事中だったMRTという鉄道にはじめて乗った。そういえば、この電車、出来て早々爆破事件もあっている。乗る前に荷物チェックを受ける。KKFIというメソジスト系のNGOでもあり、地方から来る牧師の宿泊所でもあるゲストハウスに泊まる。ここは五年前に約一ヵ月、マニラで英悟を勉強したときに滞在していた場所でもある。その時は今回ののゲストハウスではなく、神学生のための寮に泊まっていた。このKKFI、メインは女子寮だが、地域で薬物依存の問題や女性の問題に取り組んでいる。以前はストリートチルドレンのシェルターもここにあったのだが、日本大使館からの資金で田舎に行ったらしい。ここはユニバーシティーベルトと呼ばれる学生街にあり、学生運動が盛んだった頃はよくここに逃げ込んだりしたと元活動家の知りあいが言っていた。


三、ドゥマゲティ
八月十七日
十七日、午後の飛行機でドゥマゲティへ。マニラの友人はここの大学院で勉強している知りあいHさんに迎えを頼んでくれていた。彼女は農村における女性の労働の研究をしている。早速、彼女のスクーターに乗せてもらっていっしょに港の船会社へ。すると、
窓口の女性があっさり
「今週(十九日)は運行しないの、エンジントラブルでね。来週(二六日)は大丈夫よ。」
「ガーン」







来週は大丈夫って言われたって、まさか、二六日にここを出発する船に乗るわけには行かない。まあ、こういうアクシデントが旅行の醍醐味って考えるしかないか。さて、困った。これからどうしよう。
 やっと連絡のついたマニラの友人に頼んで、コタキナバルからマニラに向かう帰りの飛行機をキャンセルしてもらう。この日は夜、ここの大学で勉強してる三人の留学生と夕食。海沿いの二階のテラスの気持ちのいいレストラン。 どこに行こうか、これからどうしようか?なかなか決まらない。借りたロンリープラネット(「地球の歩き方」の元祖みたいな本)を読みながらいろいろ考える。手配してもらったのは七九〇ペソのちょっと高級なホテル。五年前は一ペソ約四円だったのに、今は約二.五円。日本人観光客には有利な変化だ。しかし、これがインフレを呼び、賃金はインフレに追いつかない。ペソの賃金生活者にはこれが重くのしかかる。それはともかく、このホテルの部屋、二つベッドのある広々とした部屋にケーブルテレビまで着いていて、NHKだって見れる。しかし、何が悲しくて、こんなところでNHKを見なくちゃいけないんだと思いつつ、つい見てしまう。
プンラで紹介してもらった神父に連絡をした。あすの朝、ここに迎えに来てくれるという。


八月十八日
十八日、エリックという若くて気のいい神父が迎えに来てくれた。ドゥマゲティの教区の神学校の教師をやっている。午前中、車で小さなドゥマゲティの町を一回りしてもらって、市場で果物を買って昼食は神学校の神父たちのための食堂でとる。結局、どこにも行かないで二二日頃までドゥマゲティにとどまる事に決めた。この日まではホテルに泊まるが、次の日からは、この神学校のゲストルームで居候させてもらうことになり、部屋を準備してもらって、そこで昼寝。聖ヨセフという名前のこの神学校はドゥマゲティの空港のすぐ脇にある。空港の建物は空港を挟んで反対側。とういうものの、飛行機は一日に三回しか来ないので、それ以外は静かだ。朝早くや夕方は飛行機が来ないので、みんな滑走路で散歩したり、涼んだりしている。午後から、この神父が司式する結婚式の見学。教区の司教館で。その後、新郎新婦の家の庭で披露宴。これがすごい。運動会で使うようなテントが約四〇(とケータリングの会社の社長が言っていた。)参加者の一〇〇台くらいの乗用車も庭に止めてある。大きなPAがあり、バンドも来ている。エリックの仕事はこの披露宴の最初にお祈りまで。さあ、パーティーが始まるというところで、この神父、次の用事があるらしい。「おまえだけ残って食っていけよ」と言われたものの、神父以外の人は誰も知らないのでさすがにひるんで、パーティー料理に後ろ髪をひかれながら帰った。

八月十九日
神学校に移動。午前中、新しい家をエリック神父が祝福する儀式に立ち会う。ブロックで出来た小さな家。この家の主は船員で、年に一〇ヵ月は航海してるという。ここでも、この儀式の後に小さなパーティー。昨日のパーティーとは比べ物にならない家族と近所の人だけの小さなパーティーだけど、こっちがだんぜん和む。で、結婚式の翌日の午後、向かうところは葬式。神学校の学生の父親がなくなったという。ドマゲティの町から三〇分くらいの農村。教会で葬式の後、みんなで墓地までの葬式行列。埋葬までほとんどの人が立ち会う。そのあと、ほとんどの人が亡くなった人の家にもどって、庭で食事を振る舞ってもらう。墓を掘ってた人たちが飲んでいたトゥバ(ヤシの酒)を少しもらった。
この日から宿泊した神学校、高校を卒業した人のためのもので五年間の宿舎生活。各学年一〇人弱。朝五時に起きてお祈り。昼間は授業で、夜のお祈りは九時、その後も教室で自習している学生もいる。食事の後の短い時間にドラゴンボールをかなりの学生が一生懸命見てるので、笑ってしまったが、いままでテレビを見ないで育ってきた学生も多いらしい。みんな気のいい学生で、とてもよくしてくれる。


八月二〇日
バイクを借りて両替、メールチェック、ドゥマゲティのような田舎町でも日本語が使えるインターネットカフェがある。数通のメールも出す。
 午後はシリマン大学でフィリピン・ビサイヤ地方のゴミ捨て場とスカベンジャー(そこで働く人)の研究をしてる大学院生Iさんの案内でドゥマゲティのゴミ捨て場を見学。ここのゴミ捨て場を歩きながら、ビサイヤ各地のゴミ捨て場の状況も教えてもらった。第三世界ではスラムをそれなりの住宅にする再定住計画というのが各地で行われているのだが、その再定住地が不思議とごみ捨て場の近くにあると彼女は言っていた。彼女に敬意を込めて「ビサイヤのダンプサイト(ゴミ捨て場)クイーン」という称号をあげたのだけど、あんまり喜ばれなかった。

八月二一日
エリックに連れられて、精神病院へ行った。ちょっと言葉にならないくらい悲惨な状況だった。夜、シリマン大学に留学している以前から知りあいの全盲の日本人留学生を含めて数人と食事をした。(エリックは用事で来れなかった。)全盲の彼女のためにマニラのアテネオというフィリピンでいちばん有名な私立大学はいろんな用意を考えてくれたらしい。しかし、その誘いを断って、あえて、不便な田舎の大学を選んだという彼女に乾杯。

八月二二日
午前中、エリックにちょっと山のほうに連れていってもらって、温泉を見学し(風呂はない)渓流を渡ったりした。午後、飛行機でマニラへ。帰る。

二二日から二四日再びプンラに居候して、帰国。


派手な政変劇で変わった新しい大統領の元でフィリピンがこれからどうなっていくのかなんてわからない。アジアの経済危機の爪痕は大きい。困難はみんなかかえている。それでも、みんな久しぶりの旅行者のぼくをやさしく迎え、受け入れてくれた。そんなみんなにありがとう。


==転載ここまで==

ネグロス島からフェリーでマレーシアに渡ることが目的の旅だったのだけど、フェリーのトラブルで行けなくなったときのことだ。
その間の時間を過ごさせてもらったドゥマゲティの神学校。目的とは全然違う旅になったけど、それなりに印象深い旅だった。



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