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zoom RSS 「闘争の最小回路」読書メモ その2

<<   作成日時 : 2008/10/04 07:11   >>

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「闘争の最小回路」読書メモ その2

この読書メモ、前回は「ガルシア・リネラのように、一度は政治的代表制の外で新たな政治空間を構築することに真剣に思いをめぐらせてきたような人々が、なぜ、政治的代表性の枠のなかにその活動の場を移してしまったのか」という問いの紹介まで行い、それが何故かということについて、廣瀬さんの説明になかなか納得できない、と書き、中身は書かないままそこでタイプをやめた。。
http://tu-ta.at.webry.info/200809/article_9.html

続きを書こう。
その問いへの廣瀬さんの回答は明快だ。
===
それは、少なくともガリシア・リネラに関して言えば、一度は彼も十全に把握していたはずの「新たな社会運動」の「新しさ」について次第に懐疑的になってゆき、最後には、そこに「プレ近代」への回帰しか見出せなくなってしまったからなのだ。
===

そう、ここの説明は明快で、その後のガルシア・リネラの説明を読んでも、そのような変化があったのだろうと思われる。しかし、問題はガルシア・リネラがなぜ、そのような変節を余儀なくされたか、あるいは主体的に選び取ったのか、ということだ。どうも、この変化の道筋が見えない。ガルシア・リネラにできるだけ寄り添って、何故、彼が変節したのか、ということを誰かに明らかにしてもらいたいと思う(本人は何か書いてるのだろうか)。これはとても意味のある話になりえるのではないかと思ったりもする。
 また、同時に「ボリビアで幕を開けた先住民族の時代 モラレス政権下、古来の知恵をいかした公正な社会へ前進」掲載:New Internationalist 2008年4月号 No.410 原題:I will return... and I will be millions (ボリビアで幕を開けた先住民族の時代)というような記事も(日刊ベリタに有料記事として掲載 http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200810021003544 )
、廣瀬さんもこの章の最初に触れているように、いまでもあり、廣瀬さんの新しい社会運動との違いという視点とともに、やはりこういう視点も必要だと思われる。


さて、
とりあえず、この本にそって、彼がどのように変節したのか追いかけてみる。まず、変節した後のガルシア・リネラの発言が引用されている。(エル・アルトでの虐殺とは2003年の水戦争のときのこと)

===
ボリビアの将来は近代的なものであって、家族経済ではありません。エル・アルトでは、60人の兵士が30分で70人もの人々を殺害しました。このような条件のものとで勝つことなど可能なのでしょうか。近代的なものを味方に付けない限り、勝利を収めることなどできないのです。プレ近代的なものでは勝つことなどできないのです。伝統的なものやローカルなものは支配の産物に過ぎません。ローカルなものや伝統的なものを賞賛することは、支配を賞賛することにしかならないのです。ローカルなものこそ、まさに世界銀行がその振興を促しているものなのです。
===

すぐ後、このインタビューを廣瀬さんは解説しつつ、このインタビューの結論を紹介する。
===
 ガルシア・リネラは、共同体レベルでの自律的な政治経済空間の構築を進める「新しい社会運動」が「ローカルなもの」と「伝統的なもの」とに根ざした「家族経済」すなわち「プレ近代」への回帰でしかなく、・・(このような虐殺が起こり得るような)・・ポスト近代的「支配」を前にしては、あまりにも無力だと考えているわけだ。そしてさらに、彼は、「新たな社会運動」による「プレ近代的なもの」への回帰それ自体が、そもそも、ポスト近代的な「支配」のなかでこれを利するかたちで産み出された「産物」に過ぎないという理由から、このポスト近代的な「支配」に抵抗するためには、断じて「プレ近代的なもの」ではなく、むしろ「近代的」なものを武器としてそれに対峙すること、すなわち、近代国家としてのボリビアの「自律性」あるいは「主権」を再確立することが必要であると主張しているのだ。「国家だけがボリビアにおいて唯一 <合理的なもの=理性的なもの>[lo racional] なのです」、ガルシア・リネラはそう結論付けている。
===


このインタビューがどのような文脈で行われたものなのかは、この本では明らかにされない。

しかし、どう考えても、世界銀行に象徴される既存の支配者たちはこれまで、ローカルなものや伝統的なものを蔑み、近代化に結びつく開発が必要だという名目で第三世界にお金を投入するように見せかけて、支配を貫徹してきたのではなかったか。結果として、貧しい国は貧しいままにされたというのは、そうかもしれないが、少なくとも言説の上では近代化=開発を追い求めてきたはずだ。ガルシア・リネラがそんなことを知らないはずがない。どうして、こんな主張になるのか。確かに南の国家で低開発が開発されてきたということは言えるが、同時に、ローカルなものや伝統的なものがすごい勢いで、すべて捨て去るべきものとして破壊されてきたのではなかったか。確かに世界銀行などの政策の結果、貧困は維持されている。ただ、世銀などのポリシーによる開発が入る前の貧困と入った後の貧困には質の変化があるはず。そこでサブシステンスという概念が使えるかもしれない。サブシステンスの領域が破壊される前の貧困と、それが破壊された後の貧困。たしかにGDPやGDIだけを基準に貧困を計ると、両者は同様に貧困なのだが、そこには大きな違いがあることは明確だろう。

もちろんぼくもローカルなものや伝統のすべてを擁護する気にはなれないが、そこには残すべき価値も含まれているのではないか。

そして、新しい社会運動はローカルなものや伝統的なものの価値に重きをおき、ガルシア・リネラもそう主張してきたはずだ。それがポスト近代につながるものとして。どうして、このような変節が起こるのか。

確かに重武装した軍に対して、武装していない住民は殺される。だから近代化が必要だという、この論理ではそれ以上の武装を勝ち取れということになる。それが「近代化」なのか。本当にガルシア・リネラはそのように言っているのか、とさえ思ってしまうのだ。エボ・モラレスは軍=武装について
http://tu-ta.at.webry.info/200704/article_5.html
で紹介したように将来的には廃止したいと考えているのではないかと思われる。
近代の知の枠組みでは「暴力にはそれ以上の暴力で対抗」ということになるのか。しかし、そこを超えるための「新しい社会運動」ではなかったのか。

ただ、ここでガルシア・リネラは武装の必要性を語るのではなく、近代の必要を語っている。ここでの近代化とは何を指して語っているのかということが問題になる。そのため「近代的なもの」という表現の後におそらく原文が補ってある[lo moderno] 。それに対してプレ近代的なものは[lo premoderno] 。



しかし、ぼくは現状において、ガルシア・リネラの主張にうなづける部分もある。現状の世界の中で、ボリビアという国民国家が自律した国家として、ある程度の近代化をめざすことには必然性もあるとも思う。逆にその中で「新しい社会運動」が活動できる空間を広げるためにも、そのことは必要なのではないか。それは近代化的でもあり、ポスト近代につながる動きにもなりえるはずだ。そう、当面、国民国家体制というのは消えそうにない。そして、国民国家は人々の生活全般に強い影響力を及ぼす。社会運動もそこからの影響を免れることはない。だとしたら、社会運動と国家権力の関係の緊張を孕んだいい関係というのを目指すことが必要なのではないか。この本のマイケル・ハートのインタビューにもあるようにチャベス政権がバリオの自律的な運動を可能にする空間を押し広げている。
だから、エボやガルシアには、そのようなものとして「新しい社会運動」が展開できる空間を広げるような国家を建設することをめざして欲しいと思う。廣瀬さんの問題の立て方はあまりにも二律背反的過ぎると感じる。当面、国民国家体制がなくならない以上、いままでの国家の枠組みを超えるような国家の枠組みを作るようエボの政権を推したり批判したりという緊張関係をもった社会運動と政権の関係のあり方というのが模索されていいと思う。


ともあれ、このように変節する前のガルシア・リネラの発言を、再び、この本に戻って拾ってみよう。

エル・アルトにおける私企業から人々に天然ガスを取り戻すための「ガス戦争」について、かつてはこんな風に評価していた。
===
[蜂起には]組織者もリーダーもいなかった。バリオと街頭の近隣住民たちによって直接的に実行されたのである。[近隣住民評議会]は動員を組織するためのストラクチュアではなく、地区への所属意識のためのストラクチュアだったのだ。その内部では、別のタイプの忠誠、別のタイプの組織ネットワーク、別のタイプの連帯、滅のタイプのイニシアチヴが、近隣住民評議会それ自体の権限を越えるかたちで、あるいは幾つかの場合には、その余白において、自律的なやり方で展開されたのである。
==

このような発言をするガルシア・リネラがどうして、ローカルな価値を否定するようなことになってしまったのか。彼にとって(そして、エボ・モラレスにとっての)の重要な課題は自律的な近代主権国家の確立で、新しい社会運動の重要な課題は自律的なコミュニティの再建。その両方を同時に追求することは困難なのか。

確かに両者は背反する側面を持つ。しかし、お互いに必要としている部分もある。そういう関係の中で、エボの政権への地主や資本家からの攻撃をともに防衛し、折り合える線を探す方策を導いていくことは、容易ではないかもしれないが、必要なことだと思う。

両者が緊張関係を自覚しつつ共存することが必要とされており、つぶしあう関係ではないはずだ。

廣瀬さんのこの興味深い章を読みながら、そんなことを感じていた。



P.S.
「闘争の最小回路」については実はいままでに既に何回も言及しているということは覚えていたのだが、サイト内検索で調べてみて、ちょっと驚く。ほんの2ヶ月前8月4日に「いろいろメモ」
http://tu-ta.at.webry.info/200808/article_5.html
では、こんな風に書いている。
==以下、引用==
闘争の最小回路
ウェブで急に連載が止まったと思ったら、そのうちに本が出て、買おうかどうしようかと思っていたが、先日、教団蒲田教会でやってた集会で購入。読み終わっていないけれども、面白い。南米の左翼政権と社会運動の緊張関係。ウラル・ツィベキが引用してあって、そこから部分的に孫引き。
「進歩派的な統治性から浮かび上がりつつある国家は、ネオリベラル右派の国家との比較において、より安定しており、より正当化されており、より強力であるように思われる。しかし、だからこそ、下部の人々にとっては、より危険なものであり得るのだ。」

そして、廣瀬さんはこれにこんなコメント
==
私たちは、マルチチュードを飼い馴らすために政府が与える公的扶助を見事なまでに政府の意図に反するかたちで使ってみせるマルチチュードの「主体化」のその瞬間にこそ、闘争の中心があると信じているのだ。
==
135p

==引用ココまで==

国民国家と社会運動の抜き差しならない関係について進歩派的政府のほうが危ないという指摘に関して廣瀬さんも、それを利用しながら超えていく社会運動のチカラを語る。とはいうものの、ここでも「政府の意図に反するかたちで」と記述されており、政府とマルチチュードは徹頭徹尾矛盾する存在として描かれている。チャベスやエボやコレアが社会運動のための空間を、少なくとも以前の政府より提供していることは間違いない。コミュニティの自律やローカルの復権を求める新しい社会運動は常に新自由主義グローバリゼーション、あるいは資本家や地主からの巻き返しの圧力にさらされる。コミュニティや新しい社会運動の力だけで、その圧力に抗することが可能だろうか。そこで、そのような社会運動と親和的な政府というありかたは模索されてもいいと思う。本筋としてはコミュニティの自律を尊重するポスト近代的な政府の枠組みというようなものを求めることは必要であるだけでなく、現状では不可欠ともいえるのではないか。

ただ、そのことに熱中しすぎると方向を誤るだろう。それがガルシアの例なのだろうか。
他方で熱中しなければ、そのような国家の枠組みをめざすことは難しいという側面もある。


社会をどのような方法でどのような方向へ変えていくのか、その方法や方向性の違いがコンフリクトを生むのだろうか。


今回、調べて思い出したのだが、このブログ、ほかにもいろんなところで、この本や今回書いたようなことをテーマにとりあげている。


「月刊オルタの『闘争の最小回路』書評について」 http://tu-ta.at.webry.info/200702/article_24.html では、とても恥ずかしい誤読をしているのだが、ここでもけっこう長くこの本について触れている。

さらに「ボリビアに行った人に聞きたかったこと」 http://tu-ta.at.webry.info/200703/article_19.html にも同様の問題意識はでている。


この関係をどう超えていくのか、という実践もおそらくラテンアメリカでは始まっているのだろう。日本の現状は、その遥か手前だが、たぶん近々行われる総選挙の結果をどう見るという課題ともつながるはずだ。




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内 容 ニックネーム/日時
「闘争の最小回路」早く買って読まなければ!吉田
シモキタコモンズ
2008/10/04 12:59

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