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zoom RSS ラブ イン アクション 非暴力による社会変革 ティク・ナット・ハン著 読書メモ

<<   作成日時 : 2008/10/06 07:49   >>

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ラブ イン アクション 非暴力による社会変革 ティク・ナット・ハン著 読書メモ

どこかで、偶然このタイトルを見かけて、ワンクリックで買ってしまった。買ったとき、「ラブ イン アクション」というメインタイトルの方は目に入っていなかった。「非暴力による社会変変革」「ティク・ナット・ハン」という言葉だけが目に飛び込んでいて、気づいたら、購入のクリックをしていた、という感じだ。この行為自体がティク・ナット・ハンから、とても遠いものだなぁと思う。

読み始めたばかりこの本。まだ最初の章を読み終えただけ。読みかけの本が無数にあるなかで、読み終えることができるかどうか、わからない。

こんなことが書いてある。
===
 どうか静かに坐って下さい。そして呼吸をし、深く見つめて下さい。そうすればアメリカが湾岸戦争によって被った、そしてこれからも被り続けてゆく本当の損害、本当の犠牲というものが見えるでしょう。サウジアラビアに駐屯している50万人の同盟軍兵士たちが、イラク侵攻の命令を待ちつつ、イラク兵士と見立てた砂嚢に銃剣を突き刺しては跳び上がったり叫び声をあげたりしている光景を、心に思い描いてみて下さい。まず自分自身を獣に変えないかぎり、人間に銃剣を突き立てるなどということはできないでしょう。その一方で、100万人のイラク兵士たちが同じことをしていたのです。150万人もの兵士たちが暴力と憎しみと恐怖を実行していたのであって、アメリカの一般の人々は彼らがそうすることを支持していたのです。彼らは、この戦争がなんとなくきれい(クリーン)なものであり、迅速で道徳的な戦争だと思っていました。彼らは橋や建造物が破壊されるのだけを見ていたのです。しかし本当の犠牲というのは、何ヵ月もの間、暴力を実行した後に故国に帰ってきた人たちの魂そのものであるのです。
 そんなことを行って、しかも自分自身のままでいるなどということが、いったい彼らにできたでしょうか。帰還して来た時、兵士たちは歓喜の叫びをあげました。「自分は生きていたのだ!」と。しかし一、二週間もすると、その戦争が彼らの意識の深みから湧き上がって来たのです。そして彼らの家族や社会全体は、これから長い間にわたって、彼らの苦しみに耐えてゆかねばならないことでしょう。 <中略> もしも、湾岸戦争に関する真実というものを分かちあうことができるなら、将来において同じような戦争が再び起こるのを避けることができるでしょう。私たちは戦争の傷痕というものがいかに深いものであるかを見つめなければならないのです。いったい誰が湾岸戦争は勝利であったなどということができるでしょう。いったい誰にとっての勝利であったというのでしょう。  17-19p
===

日本語版が95年に出されたこの本、ここで言及されているのは第一次湾岸戦争のこと。この部分は本当にその通りだと思う。

残念ながら、その後、湾岸戦争の真実は分かち合われることなく、さらに剥き出しの暴力として再発し、いまも続いている。ティク・ナット・ハンは、それが圧制や不公正に対する怒りであっても、その怒りのエネルギーで動くことを否定しているようだ。非二元的な平和のために努力することを説く。

ぼくはそれでも、「許せない奴ら」はいるじゃないかと思ってしまう。そう敵は厳然として存在してると思わずにはいられない。

だから、冒頭の「日本の読者へ」のさらに冒頭のこんな文章をを読むと、とてもそんな状態は作れないし、ぼく自身もそんな境地にはなれそうにないと思ってしまう。
====
 平和とは、ただ紛争がないということではありません。それは、私たち自身の感覚とものの見方の間の不一致をも含めて、いかなる種類の紛争も存在していないということです。平和とは自由のことです。私たち自身のまちがったものの見方や、怒りや、嫉妬や、心配事や絶望から自由であるということです。平和は私たちの真の幸福の基盤です。私たちは自らの内に真の幸福を得るために、そして他者との間に平和を築くために、修行することが必要です。その修行を「深く見つめる法」と言います。深く見つめることによって自らを解放する洞察力が生まれるのです。
===

「怒りや、嫉妬や、心配事や絶望から自由である」なんてことがありえるだろうか。また、本当にそんな状態が望ましいのだろうか。
「怒りや、嫉妬や、心配事や絶望からの自由」。これ、よく読むと「怒りや、嫉妬や、心配事や絶望」がないことだとは書いていない。この文章に続けて、こんな風にも書かれている。

===
 私が非二次元的平和のために努力する方法を見出したのは、深く見つめるという修行中のことでした。あなたが、この洞察を得たら、もはやあなたに敵はいないでしょう。あなた自身の怒りや絶望ですらあなたの敵ではなくなっているのです。あなたは自分自身の怒りや絶望を、最も思いやりがあり、最も非暴力的に処理するその方法を学ぶのです。あなたの怒りや絶望があなた自身であるということを知って、あなたはその怒りや絶望を抑えようとはしません。あなたはもはや怒りによって動かされるということはないでしょう。たとえ、それが圧制や不正義に対する怒りであったとしても、です。(以下略) 2p
===

そう、ここでも一筋縄ではいきそうにないことがあっさり書かれている。
自分自身の怒りや絶望をまったく否定しているわけではなく、逆に「抑えようとはしません」とした上で、その怒りによって動かされるということはないというのだった。
この文章に続けて、「慈悲の心があなたを動かすエネルギーになり、このエネルギーは盲目的エネルギー(原文ママ)と呼ばれる怒りや貪欲とは違う」というのだが、言葉にならない叫びや不協和音、あるいは否定的な感情が出発点だと言っているホロウェイのほうがぼくには入りやすい。
http://tu-ta.at.webry.info/200705/article_17.html 参照
しかし、ホロウェイもまた、「力によらない社会変革」を書いて、このように語っているのだった。

怒りに任せても有効にものごとを動かすことはできないというのはわかる。しかし、怒りはエネルギーになりえるのではないか。とりあえず最初の章までを読んでそんな風に感じたのだった。




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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
怒りのエネルギーを
憎しみに変換するのではなく
愛と平和の希求に変えるのは
まず、自分自身のためです。

憎しみのエネルギーは
抱いている
自分自身をそこないます。
悲観し、絶望し
自分自身を追いつめ
病ましてゆきます。

憎しみの対象を
ゆるすことは

とてもできない と
おもってしまいますが

その存在に
とらわれることから
自分をときはなち

自分自身を
ゆるし

自分自身の現在を
肯定し

自分自身を
そんな
なしがたいことを
なしとげようとしている
すばらしい存在だ と
認識するところからはじまって

自分自身が
誇り高く愛すべき存在だということに
気づいて
そういう存在に変わってゆく
契機になります。

未来指向に変えてゆけます。

参考文献としては
『どうしても「許せない」人』(加藤諦三)
『ゆるすということ』(ジェラルド・G・ジャンボルスキー)
『ゆるしのレッスン』(同上)と読みすすめてゆくと

わかりやすいか と存じます。
cana
2008/10/07 04:32
canaさん、おひさしぶりです。
コメントありがとうございます。

そう、canaさんの話で納得できました。
怒りはエネルギーになるんだけれども、それを憎しみの方向に向けるのではなくて、平和をつくる方向に向けること。そのためには怒りのままじゃダメなんですね。
でも、やっぱり麻生の部落差別とかは許せないなぁ。
tu-ta
2008/10/08 05:30
言動の責任を問うということと
存在をゆるさないということは
別ものではないか と存じます。

そのひとに
自分自身の言動の
責任をとらせる ということと

そのひとの
未熟さを、みとめることは
両立するみたいです。

未熟な存在が
成熟できるように

変化し
成長する方向へ
うながしてゆけたら
いいのかもしれません。


cana
2008/10/08 12:26
 はじめまして。ナット・ハン師の言葉をたどるうちに、ここまでやってきました。

 怒りなどの感情はぼくからずっと消えないものだと決めつけていましたが、消えないけれど、手放せることを知りました。師が言われるように、自らの意志でそうできました。感じていることのすべてを自分で作り出していると知れば、問題が対象にあるのではなく、自分自身にあることにうなづけました。手放すのか、手放さないのか、その選択があるだけでした。
kazesan
URL
2008/10/19 16:17

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