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zoom RSS 「生きていることの肯定」

<<   作成日時 : 2008/11/16 08:19   >>

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「生きていることの肯定」
〜障害学・環境・サブシステンス〜

『軍縮地球市民No.6』2006年秋(10月)、特集「環境平和学のススメ」に収録。
以下、最終校正前の原稿を雑誌をざっくり照らし合わせ訂正したもの。掲載されたものと若干違う部分もあるかもしれない。
====

生きていることの肯定
―障害学・環境・サブシステンス ―


リード
障害学から環境問題を見ることで、現れてくるものについてのラフスケッチを試みる。最初に障害学の視点とは何かを示し、環境問題で障害者がマイナスイメージの象徴として使われる問題を考察する。次に「生きていることの肯定」を提起し、そこからサブシステンスと障害学の視点の連関について述べる。


障害学の視点とは何か

 障害学が登場するまで、障害にかかわる「学」といえば、福祉、リハビリ、障害児教育などに限定されていた。障害学は福祉やリハビリなどを通してしか障害者が語られないこと(それを「医療モデル」「個人モデル」での障害の把握と呼ぶ)を批判し、「障害を作り出しているのは社会だ」という言説を「社会モデル」という名前で、まず明確に提示した。最初にその主張に触れたとき、そこに突き抜けるものを感じた。障害学はそこから始まり、「医療モデル」「個人モデル」を越えるさまざまな視点を提示してきた。

 それを少しデフォルメして例示する。

駅のホームに階段しかなく、車いす利用者が駅を使えないという状況がある。医療やリハビリで、彼が車いすを使わなくても階段を登れるようにするのを「医療・個人モデル」と呼ぶ。それに対し、エレベーターなどの設備がないこと、そして、その設置を義務づける制度がないこと、つまり社会が障害を生み出していると考えることを「社会モデル」と呼ぶ。また、駅を使ったことがない障害者の存在、つまり、そこに存在するはずの人の不在も障害学の課題となる。あるいはそれらを取り巻く問題を障害者の文化という観点から見ていくことも障害学である。さらに公共交通機関が「公共」という名前を持ちながら、その公共に障害者を含んでこなかったということをも障害学は照射する。

 社会モデルを「障害は単に直すべきものではない。ありのままの生が尊重されなければならない」というメッセージとして見ることもできる。

 倉本智明さんは「障害学は、なにかひとつのモデルで代表されるような排他的な学問ではない。さまざまな方向へとむかう複数の言説群が、ときに反発し、ときに共振しつつ、全体を構成するゆるやかなネットワークである」と書き、障害学を一つのモデルに収斂させることを戒め、それに続けて以下のように提起している。

「そこに共通項を見い出すとすれば、問題を個人に帰すことなく、徹底して社会という文脈のなかで捉える姿勢、そして、研究者もまた、なんらかのかたちで問題の当事者であり、自分を棚上げにしたところで対象について語ることなどできないという自覚などがそれに当たろう。」

 さらに女性学を例にあげ、女性学が単に女性を対象にした学問ではないように、障害―健常をめぐる既成の知のありように疑いの目をむけない研究は障害や障害者を対象にしていても障害学ではないという。女性学は男性がすべての基準であるような、いびつな社会のありようを浮かび上がらせ、あらゆる問題をジェンダーの観点から読み解くことを可能にした。それと同様に「健常者」の視点で読み解かれてきた歴史や社会を含むあらゆるイシューを障害という視点から読み解き、そこで得られた知見を持って、社会を捉え返す営みが障害学である。女性学がウーマン・リブ、フェミニズムの運動から誕生したように、障害学は障害者への差別に反対する運動から生まれたという共通点を持つ。

 また、障害学とか社会モデルという名前がまだない頃から日本にも障害学につながる研究はあった。その多くは「障害ではなく差別からの解放を」というスローガンをかかげた障害者解放運動とつながっていた。


障害はマイナスか

 この障害学の視点から環境問題がどのように照射できるだろう。「カタワにされてしまった」という患者さん本人の発言を水俣病に関する集会で聞いた。公害・環境問題の被害として「カタワにされる=障害者にされる」ということが決定的なマイナスとして語られる。障害者になると確かに多くの困難を抱えることになる。その困難の多くは社会に起因する。障害者であることがすさまじい生き難さを生む社会こそが問題にされなければならない。いくら社会が変わっても、残る苦痛や不便はあるが、障害者になることがイコール決定的な不幸であるかのような状況こそが変えられなければならない。そのことを社会モデルから導くことができる。

 しかし同時に、この発言は患者本人の非常に重い告発でもある。チッソ、そして日本政府や熊本県などは加害者としての責任を十分に果たしていないだけでなく、水俣病の認定制度に問題があることを最高裁が確定した後も、開き直りを続ける。それは告発され続けなければならない。ただその理由は障害者という不幸な存在を生み出したからということではないはずだ。確かに被害・加害の関係の中で何かができなくなったことを受け入れることは困難を極めるだろうが。

 環境問題において、このマイナスイメージは水俣特有のものではない。ベトナムでの米軍の枯葉剤使用による被害を訴えるなかで、イラクでの劣化ウラン弾による放射能被害を訴えるなかで、「奇形」を生むことが問題にされ、それを例示する写真が多用されてきた。そして残念なことに、そのような形で生まれてきた本人が「生きていること」を肯定的に語られることはほとんどなかった。その加害を告発するためにしか、その「生」は語られてこなかった。

 劣化ウラン弾がもたらす内的環境を含む環境破壊の問題で開き直りを続ける米国政府を告発することは不可欠な作業であり、そのシンボルとしての被害者は大きな訴求力を持つ。しかし、シンボルとしての彼女や彼は生きて、生活している。そのこと自体が肯定的に語られなければならない。

 また、チェルノブイリ原発事故をきっかけに沸き起こった反原発運動で「不幸な子ども産まないために」というスローガンが使用され、それに障害当事者が反論した。障害学が日本に紹介される前の話だが、問題にされたのは障害者として生きていることは不幸だというステレオタイプな見方だった。

 例えば、ALS(筋萎縮症性側索硬化症)という病気がある。簡単にいうと、筋肉が少しずつ動かなくなる病気で、時間の経過とともに呼吸のための筋肉も動かなくなると言われている。そのため人工呼吸器をつけなければ、生き続けることは困難になる。しかし現在、人工呼吸器を付けた人が生きていくためのケアの制度はあまりにも不十分だ。ケアの体制が作れるにもかかわらず人工呼吸器をつけることを拒否する人もいるが、多くの患者には人工呼吸器を付けた後のケアの体制を組む可能性がない。だから人工呼吸器を装着するという選択肢がないまま、死を待つことになる。

また、ぎりぎりの家族介護で人工呼吸器を選択した後の悲劇的な結末もある。まったく余裕のない家族介護の体制のもと、患者と介護者は社会から隔離され希望を失う。このようにALS患者が生きていくための社会環境が不十分であることは死と直結する。

 そして、ALSという病気の究極の病状はロックトイン・ステイトと呼ばれる。発話はもちろん眼球や瞬きを含むあらゆる筋肉が動かなくなり、すべてのコミュニケーションが不可能になる。しかし、その状況を迎えた人が、生きて存在することが、それだけで他者への影響力を持つ。それは生命の尊厳を感じさせる究極の姿である。

 まず、生きつづけるための環境が整備される必要がある。どんなに重い障害があっても、その人のいのちが尊重され、尊厳をもって生き続けることの可能性が追求されなければならない。その価値こそが中心に据えるべき、という考え方が、障害学に触れる中でぼくに徐々に明確になってきた。環境破壊がもたらす体内環境への直接的な加害を否定することと、被害を受けた当事者の生の尊厳を肯定すること、前者の否定と後者の肯定が明確に区別されなければならない。


 交差する障害学と環境問題

 水俣をめぐって「障害=不幸」というステレオタイプを越える言説が語られ始めている。例えば原田正純さんは、胎児性の患者さんを指して、「『こういう子が生まれてしまうから、そうならないために環境保護を』という言い方はおかしいと思う。この子たちのいのちの価値が低いわけではなく、生まれてはならない子であるというわけではない」と語り、石牟礼道子さんは「一番受難の深い方々のなかに人類の希望がある」という。それは障害をもった人を祭壇に祭り上げてしまうパターナリズムとぎりぎりのきわどいものではあるが、尊厳をもって生きる存在として語られはじめている。

 「水俣展」のポスターに使われる曲がった指の写真や屈折し硬直した身体の写真がある。表面的にはマイナスイメージの象徴でもある。そのモノトーンのポスターは街角に貼られて異彩を放つ。しかし、それは表面的なマイナスイメージを突き抜ける可能性をも含み持つ。そのマイナスイメージの向こう側に生きていることの尊厳がある。

 サブシステンスという言葉がある。もともとは最低限度の生活というような意味をもつ言葉で、詳しくはこの特集の別の記事で触れられると思うが、開発主義や成長志向、効率主義に抗して、それぞれのコミュニティで持続的に、食べて、生き続けることに価値を置く考え方として使われ始めている。
 このサブシステンスの価値観や志向性を基本に、地球規模の環境破壊や貧困による人間の破壊に抗していこうという考え方である。それも平たく言えば、「すべての人のいのちが大切にされなければならない」ということだ。

 サブシステンスという考え方に、障害学が提起する「すべてのいのちの尊厳を大切にするという価値」を提起することでサブシステンスという考え方・視座からの展望がより広がり、更に深いところまで見通すことができるようになる。

 また、逆に障害学にサブシステンスを提起することで、障害学の持つ近代や生産力主義を超えるパースペクティブは明確になる。

 そして、障害学とサブシステンスの視座から環境を考えるということは、自らの立ち位置を確認し、現状にコミットしていくための視点である。いのちが大切にされない世界に対するレジスタンス(抵抗)や祈りを欠いた研究と、この視点は両立しない。開発主義や生産力主義がもたらしている現状の問題を見過ごして、いのちの大切さを説く欺瞞に陥らないようにしたい。

 障害学の視点から環境問題を見るためのラフスケッチを試みたが、その作業は緒についたばかりだ。障害学とサブシステンス視座が照射する「いのちの尊厳を基本とする思考」が地球の破壊を加速させている近現代のシステムに対抗し、それを超える思考になり得るのではないかと直感している。それを検証する作業を続けてみたい。


追記
 障害学が獲得した新たな地平から障害という課題から独立した問題を考える営みはまだ少ない。障害学の視点から現代世界が、具体的には平和や開発、あるいはグローバリゼーションの問題が考察される必要がある。




著者プロフィール
1959年生まれ。社会福祉法人東京コロニー東京都大田福祉工場(障害者を多数雇用している印刷工場)勤務。原爆の図・丸木美術館理事。ピープルズ・プラン研究所運営委員。








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