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zoom RSS 「必ずしも発展に成長は必要ない」について

<<   作成日時 : 2008/11/28 07:33   >>

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「必ずしも発展に成長は必要ない」というルモンド・ディプロ日本語版の記事
http://www.diplo.jp/articles04/0407-5.html
著者はジャン=マリー・アリベ(Jean-Marie Harribey)で、ATTAC学術評議会メンバーという紹介も記載されている。

2004年7月のもので、ぼくが最初にブログで触れたのが2005年8月なので、それからでも3年以上経過している。しかし、今読んでも歯切れがよく、賞味期限はまだ過ぎていない。ぼくの意見とは違うところも少なくないが。

こんな書き出しで始まる。

===
 国連が公式の理念とする「持続可能な開発」は、将来の世代の福祉を犠牲にせずに、現在の世代の福祉を保障するとみなされている。それは、集約農業を熱心に信奉し、整備する諸国政府や、資源を浪費し、恥ずかしげもなく廃棄物を投棄し、ぼろぼろの老朽船をチャーターする多国籍企業の経営者たち、もはや何をすればよいのか分からないNGO、そして自然環境の課す制約に無知なことを暴かれた経済学者たちがしがみついている救命ブイである。
===

そして、この公式見解の主要な欠陥は、「恒常的な経済成長というパラダイムでしか未来を考えられないことだろう」という。

まず、これが前提となる。

そのまま読めば、これは「縮退」に関する議論か、という感じなのだが、話は単純ではない。
ニコラス・ジョージェスク=レーゲンによって打ち出された「縮退」の理論や「開発・発展」を否定する理論をここで否定している。

それは以下のような理由による。
====
 政治的にみて、すべてに満ち足りている人々と必要不可欠なものも得られない人々とに、画一的に縮退を命じることは公正ではない。貧しい人々には、一定期間にわたり経済成長を行う権利がある。極度の貧困を欧米的価値観の投影、あるいは想像の産物にすぎないとする考えは受け入れられない。非識字者をなくすためには学校を、すべての人々が治療を受けるためには医療センターを、そしてすべての人々がどこでも飲料水を手に入れるためには水道網を作り上げる必要がある。

 したがって、地球上のすべての人々が飲料水、バランスの取れた食事、医療、教育、民主主義に手が届くように「開発」を呼びかけ続けることはまったく正当なことである。最低限の必要を普遍的な権利として定義することは、欧米文化による支配を追認することでも、私有財産権のような自然権への自由主義的な信念に追従することでもない。
====

こんな感じで著者は「開発・発展」を支持するのだが、これは賛同できない。

まず、「縮退」論者は南でも北でも同様に経済成長が必要だと主張しているわけではない(と思う)。
少なくとも、ぼくの知っている限りでは。

ぼくも学校や医療センターや安全な水を全面的に否定するわけではないがそれを進める現在の方法の問題を抜きにしては語れない、とりわけ第三世界における学校の推進が西側の価値観を押し付ける役割に深く関わっている現在の状況では。とりあえず、そういう問題がクリアされていたとしても、それらの事業をひとまとめにして「開発」と名づける必要があるかどうかも疑問だ。

で、この著者の主張は、タイトルにあるように経済成長から開発・発展切り離し、救い上げることにある。

その観点から「反開発主義者」への反論へと向かうのだが、この反論はあまり熟していない、と「反開発主義者」の立場に近いぼくは思うが、今日はそのことは飛ばす。興味のある人にはこの文章を読んでもらえばいいと思うのだが、ぼくには「縮退論」の主張を歪曲しているように思える。


とりあえず、最初に紹介した部分での一致こそが重要だとぼくは思う。
いまだに「持続可能な開発」が幅をきかせている現状の日本で。

ただ、「持続可能な開発」論者はまた、「恒常的な経済成長というパラダイムでしか未来を考えられない」わけではないのだと否定するのだろう。

でも、この歯切れのいい「持続可能な開発」批判は好きなので、もう一度最後に掲載しておこう。
===
 国連が公式の理念とする「持続可能な開発」は、将来の世代の福祉を犠牲にせずに、現在の世代の福祉を保障するとみなされている。それは、集約農業を熱心に信奉し、整備する諸国政府や、資源を浪費し、恥ずかしげもなく廃棄物を投棄し、ぼろぼろの老朽船をチャーターする多国籍企業の経営者たち、もはや何をすればよいのか分からないNGO、そして自然環境の課す制約に無知なことを暴かれた経済学者たちがしがみついている救命ブイである。
===

この観点から考えると、やはり、いったん「開発」とか「発展」とかいう言葉から、身を離すことが必要になっている、と考えるのがすっきりするとぼくは思う。




ちなみに以下のような[訳註]がついている。
===
(1) 英語でいう“development”が、文脈に応じて「開発」「発展」等と訳されることは周知の通りである。こうした訳し分けは本稿の内容にも直結しており、あえて訳語を統一していない。[訳註]
===


近いうちにここでジャン=マリー・アリベが批判しているセルジュ・ラトゥーシュ(Serge Latouche)の「開発の自文化中心主義に抗して」
http://www.diplo.jp/articles04/0411-4.html#1
について、コメントしたい。

ぼくはこっちのほうが断然すっきりしていると思う。





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