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zoom RSS 五十嵐さんからのコメントについて

<<   作成日時 : 2008/12/13 07:47   >>

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<「労働開国」の皮肉>へのコメント(オルタでの五十嵐さんの提起をめぐって)
http://tu-ta.at.webry.info/200812/article_4.html

に五十嵐さんからコメントをもらった。
上をクリックしてもらえたら読めるのだが、自分で参照するためにここに再掲載させてもらう。

==再掲載==
ずいぶんと遅くなりましたが、コメント、トラックバックありがとうございました。そして、『オルタ』での僕の発言へのご言及、ありがとうございました。
Arisanさんのブログもいつも拝読して勉強させていただいていますが、今回はとにかく議論を呼ぶ視点を提示することに主眼があったので、批判を招いたとしても、何がしかの議論が起こっているのが最もうれしいことです。

さてその上でですが、tu-taさんのコメントも、Arisanさんのご批判も(コメントを受けていらっしゃらないようなのでここに書いてしまって恐縮ですが)、とてもよくわかりますし、リスペクトすべき内容の文章です。
僕自身、工場でフィールドワークをしたり、パキスタンで取材したりと、少なからず実証的にやってきたので、tu-taさんのおっしゃる可能性を垣間見てきました。
yas-igarashi
2008/12/10 11:29
ただ、この前の『オルタ』の議論は政策論でした。その土俵では、理念的に正しいことを勇ましく主張することは時に無責任であり、ラディカルな理念に基づいた政策が及ぼす意図せざる効果にも配慮をした発言をしなければいけません。国民国家の相対化を前提にラディカルな移動の「自由」の問い直しをしてしまうことが、短期的(=劣悪な労働条件の温存)、あるいは中長期的(=取り返しのつかないレイシズムの構造化)な状況の悪化をもたらす懸念は十分すぎるほどありますから。

ラディカルな理念とリアリスティックな政策論は、どちらも必要なものです。
後者なき前者の声高な主張は、心地よい敗北感をもたらすだけですし、前者なき後者のマネジメントは、単なる官僚主義です。
mixiでもコメントさせていただいたとおり、ラディカルな理念を胸に秘めつつ、ロードマップを描いていくことこそが、必要な局面でしょう。

こういったことを十分わかっていらっしゃるでしょうtu-taさんに、釈迦に説法ですみませんが、webでもいま一度自分のスタンスを表明しておきたくて、あえてコメントさせていただきました。長々とすみません。 yas-igarashi
2008/12/10 11:30

====

ちなみに、五十嵐さんのこのコメントを受けて(ぼくの推測ですが)、Arisanは言いたかったことは批判ではないというのを書いている。
先日の記事への補足
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20081209/p2

さて、このコメントについてだが、どんなコメントでももらえたらうれしいが、言及した本人からの真摯なコメントはとりわけうれしい。考え直す契機を与えてもらったと感じている。
(決して、「釈迦に説法」なんなじゃないですよ>五十嵐さん)

「ラディカルな理念とリアリスティックな政策論は、どちらも必要なものです。
後者なき前者の声高な主張は、心地よい敗北感をもたらすだけですし、前者なき後者のマネジメントは、単なる官僚主義です」という五十嵐さんのコメント。

実現の道筋の見えないラディカルな理念だけ説いていてもしょうがないという話は肯ける話ではある。
そして、「ラディカルな理念を胸に秘めつつ、ロードマップを描いていくことこそが、必要な局面」というのは、あらゆる場合に必要なのだろうと思う。30年近くもいわゆる新左翼系の社会運動などにかかわってきて思うのは、理想は語ってきたものの、ロードマップを作ることの稚拙さがあったのではないか、ということでもある。

しかし、現状から出発するロードマップにとらわれすぎると、問題の本質を見失うこともあるように思う。たとえば、さまざまなイシューで多くのグループが社会を変えたいという理念をもちつつ、行政とのパートナーシップに参加していったが、そこで絡め取られていった例は少なくないように思う。そういう失敗をちゃんと総括して、次のステップに向かうことが問われている。また、ラディカルな理念をかかげた反対運動はあいかわらず、自己満足的な反対行動を繰り返していると見えないわけではないかもしれない。

それはG8に対抗する運動の枠組みの中でも見られた話しだし、国際連帯税・CTTなどをめぐる
通貨取引開発税の導入で「もうひとつの世界」は可能か?
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200808191249232
という議論の構造の中でも見ることができる。













また、五十嵐さんの以前のオルタの記事が
PARCのサイトで読めるようになっている。
http://www.parc-jp.org/alter/2008/alter_2008_1_pride.html
ここで、彼はやはりオルタに掲載された阿部真大のエッセイ(これもまたPARCのサイトで読むことができる)で触れられたデットエンドジョブ(キャリアの蓄積に向かわない袋小路職)の問題を論じ、以下のような結論を書く。一見、凡庸な結論に思えるかもしれないが、やはりこう考えるしかないか、と納得させられた結論で、何度でも繰り返して語られなければならない重要な問題だと思う。


==結語部分転載==
・・・。しかしそれでもあえて、デッドエンド・ジョブにハシゴを架ける模索と同時になされるべきことは何かといえば、それを誰に押し付けるかの議論ではなく、「夢」の持てない袋小路でもとりあえずは生き、安定した家族形成ができるような労働条件を求める地道な交渉でしかないのではないか。そしてその交渉の鍵は、広い意味でわれわれが握っていることも忘れてはならない。

 われわれは労働者であると同時に消費者である。過酷な労働条件のデッドエンド・ジョブを生み出すのは「資本の論理」と安易に結論づけがちではあるが、その資本が何よりも目を向けているのは、あらゆるサービスの24時間営業や、頻繁なケータイの機種変更を求めるわがままな消費者のニーズなのだから。
==転載ここまで==

上の段落の問題はリビング・ウェッジ(それなりの生活ができる賃金)を求める運動として展開されるべきだろう。現に合州国ではそのような運動が展開され、義務付けられている地域もあるという。最低賃金はリビング・ウェッジでなければならない。

そして、この後段の問題の指摘は得てして忘れられがちな指摘だ。「あらゆるサービスの24時間営業や、頻繁なケータイの機種変更を求めるわがままな消費者のニーズ」は確かに存在している。そういう行為がデッドエンド・ジョブを生み出している面は少なくない。そこからひっくりかえしていくことは容易ではないが、必要なことだと思う。しかし、「あらゆるサービスの24時間営業や、頻繁なケータイの機種変更」は本当に「消費者のニーズ」なのか、とも思う。まず、それは莫大な宣伝費を費やして、それが必要だと思い込まされている「ニーズ」だ。先進国の経済はそういう危うい「ニーズ」の上に成立している。そして、言葉の問題として明確にすることが可能だと思うのだが、そういう人工的に作り出された「ニーズ」を「ウォンツ」と言い換えることができ、「ニーズ」と「ウォンツ」を峻別する議論もある。

そのようなガジェットの部分を取り除いて、本当に必要なことにしぼっていくと、いわゆる「先進国」(過剰開発国)の経済は収縮を余儀なくされるかもしれない。そのときに、どのようにセーフティネットを広げることができるのか。それへの金銭的な負担をどう担うのかという課題もある。収縮して、なお人が生きていける社会のためのロードマップがぼくは問われているのだと思う。






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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
またまた丁寧に、どうもありがとうございます。
1月に書いた「ババ抜きゲームは続くのか」は短いエッセイですが、自分としては気に入っているものなので、こうして取り上げていただけるとうれしいです。
確かに当たり前の結論なのですが、当たり前のことを愚直に言っていくことって、大事ですよね。でもこうして、リビング・ウェッジや「ウォンツ/ニーズ」の議論と接続していただくと、単なる当たり前だけではない可能性も見えてきますね。
僕自身は、こうした出口のない問題を考えるときに、tu-taさんと同じく比較的「シュリンキング」な発想をしがちになるのですけど、一方で、ネットを席巻するいわゆる「リフレ派」の発想にもなるほどと思わされるところがあります。今号の『オルタ』では、安里さんが介護職導入に絡めて収縮的ビジョンを一蹴していましたね。
今後また考えていきたいと思っています。
yas-igarashi
2008/12/14 18:45

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