|
去年の6月に出たラルシュのジャン・バニエの本。かなの家の創設者・佐藤さんが翻訳。 去年9月のラルシュのリトリートで購入、やっと読み終えた。 あなたは輝いている〜ラルシュ・コミュニティーからの思索〜 一麦出版社 2008年6月 本の帯には === なぜ人は心に壁を作ってしまうのか・・・。ジャン・バニエが指し示す、さまざまな心の壁。壁の向こう側には、あなたの存在の輝きがある! ラルシュ創設者のジャン・バニエから届けられた、コミュニティーにおける思索の集大成。 === とある。 ラルシュとは何かということについては以下に少し書いています。 ラルシュについて http://tu-ta.at.webry.info/200606/article_28.html この本の重要なキーワードは”コミュニオン” (この本では「ひとつになる親しい交わり」と括弧つきで表記される) カバーの折り返し部分に訳者の佐藤さんによる説明がある。 以下に、ちょっとはしょって引用 == ジャン・バニエは、人間存在においてもっとも意義あることは、”コミュニオン”であると、知的ハンディをもつ人たちから教わりました。ラテン語の語源は”コミュニオ”は「交わり、共同」。それは、人間存在の根源にあるもので、神の愛によって生を受けた私たちは、神に応答し、神との「交わり」のうちに生きることが人間の目指すところであると、バニエは捉えています。この言葉を、日常、繰り返し用いるバニエの真意を表現するために、「ひとつになる親しい交わり」と訳しています。 == クリスチャンではないぼくにはわかりにくい概念ではある。ただ。そのあたりを飛ばしてもうなずける事は少なくない。 「知的障害」と呼ばれる人たちと過ごす時間の豊かさについては、経験した人でなければわからないかもしれない。ジャン・バニエはこんな風に書く。 == 鉄とガラスと孤独によって色づけられている街、細分化され、分裂している社会において、知的ハンディをもった人たちは、人々を分け隔て、幸福を妨げている心の防衛機制の壁を崩す、・・・。 == 同時にこんな風にも書く。 == ラルシュのあり方が単純でやさしいという意味ではありません。まったく逆です。ときには理解しがたく、厳しい部分もあります。知的ハンディをもった人を理想化すべきでもありません。彼らの生涯は、蔑まれ、乱暴に扱われ、どれほど犠牲にさらされてきたのでしょうか。こういった痛みが彼らのうちにずっと蓄積されていき、それが、ラルシュのコミュニティの生活の初期に爆発することがあります。・・・・。喜ばしい時があるとしても、辛い時も、同時にあるのです。 しかしながら、この困難には肯定的側面がありあす。私たち自身の限界、傷つきやすさ、成功への欲求、認められたいという欲求、驕り、・・・、自分自身や他者に隠そうとしてきたあらゆる弱さが認識させられるのです。人とのかかわりが大切なものだと感じ、コミュニティの生活を味わいはじめると、何も隠せなくなり、自分がどういう人間かがすぐにわかりはじめます。各自の心の中に「ひとつになる親しい交わり」を求める渇き、友情への渇きがあるのですが、同時に深い傷や恐れ、そして隠された動きで私たちを支配する闇の世界もまた見出します。この影の部分を認識し、受けとめることで、まことの自己認識に向かうその第一歩が、始まるようにも思われるのです。 == ぼくはトータルしても、1年にも満たない期間しかコミュニティで生活した経験しかない。それもかなり「お客さん」としてだ。だから、どこまで深いところで理解できているかわからない。でも、ここでジャン・バニエが言いたいことの概要はわかるような気がする。(コミュニオンの部分はよくわからないが) しかし、それと同時に「ラルシュのあり方が単純でやさしいという意味ではない」にしても、そこでの生活のありようは単純でやさしいものでもあるのではないかと感じる。人を人として大切にすること、競争に勝つことや経済的な利益や社会的な地位よりも大切なものがあることを実感できること、それはある意味、「単純でやさしい」ことではある。しかし、競争に勝つことや経済的な利益が優先される現実の世界の中で培われてきた価値観がそれを許さない。 また、コミュニオンの部分を佐藤さんが説明するように、<神に応答し、神との「交わり」のうちに生きること>としてしまうと、ぼくにはすごくわかり難いのだが、人と人、あるいは人と自然の深いところでのつながり、そしてそれがつながっていると信じることだとすれば、そういうものへの渇きはあるだろうと思う。 ともかく、この本はラルシュを作り、世界中のラルシュを経験したジャン・バニエの思索がつまっているので、関心のある人には是非読んでほしいと思う。パレスチナの話もアイルランドの話もでてくる。しかし、その中心的な部分はここでは紹介しない。 ぼくにすごく興味深かったのは、終章「平和を選ぶ」のなかの「自分の敵を明確にすべきだ」という話。これが繰り返し書かれている。自分には許せないやつがいる、だとすればそいつは誰かということを明確にせよ、というのだ。そして、その個人としての敵がそのように存在するに至った背景を理解することが説かれる。 政治的な対立に関しては、「グループを裂く壁は、共通の人間性を認めはじめると弱まる」という。 そういう面はあるのだが、活動家のぼくは、じゃあ、構造的な暴力にはどのように対抗していくのか、と思ってしまう。 とはいうものの、「平和への道は、権力、知識によって上がっていく探求や、ますます輝いていくことにあるのではないことを見出すのです。平和への道は、小さな者、弱者へと降りていくことの中にある神秘的で、逆説的なものです」というのは、そういう面はあるかなぁと思う。同時にその転換をどう実現していくことが可能なのか、ということが気になる。ラルシュはそのためのひとつのシンボルになりえるだろう、とは思う。 ジャン・バニエはこの本の結語近くで再び、この貧しいもの、小さいものに目を向けることに触れる。 === 今日、人類はターニングポイントに差しかかっています。テクノロジーを使えば、私たちには何でもできます。この私たちの地球を愛に満ちた、より幸せな場にすること以外は……。・・・テクノロジーは月や星への調査を可能にしましたが、今こそ私たちは再び地球に帰り、人間を再発見し、私たちの心と知性が、感動と共感によって目覚めるように、共に貧しいもの、小さいものに目を向ける時なのではないでしょうか。 === こんな風に結語だけ、引用してもなかなか心は動かないかもしれない。大切なのは言葉ではないとこの本の中でジャン・バニエも言っている。ジャン・バニエを神格化する必要なないと思うけれども、こんな生活を始めて、いろいろなことに気づかせてくれた、とても背の高いじいさんがぼくは好きだなぁ。 上記の記事が「面白いかも」って思ったら、この下にある「人気blogランキングへ」というのをクリックしてください。 人気blogランキングへ クリックしてくれた人数のランキングです。クリックするとランキングのサイトに飛び、うんざりするような排外主義ブログのタイトルの山を見ることになります。こんなランキングに登録するバカバカしさを感じないわけでもないんですが、・・・ でも、クリックしてもらえるとうれしかったりもします。 人気blogランキングへ |
| << 前記事(2009/01/12) | トップへ | 後記事(2009/01/16)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
力に対抗するのは |
cana 2009/01/14 10:01 |
canaさん |
tu-ta 2009/01/15 07:07 |
柔道では |
cana 2009/01/16 10:47 |
| << 前記事(2009/01/12) | トップへ | 後記事(2009/01/16)>> |