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zoom RSS <「可視化されるべき暴力」について>へのレスポンス

<<   作成日時 : 2009/05/28 00:23   >>

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旧おっぺ美術館(大道あやさんの美術館)をゲストハウス風に改装して、知り合いに開放しているきんちゃんっていうぼくよりずっと若い知り合いから

Arisanのノートの「可視化されるべき暴力」について
http://tu-ta.at.webry.info/200905/article_13.html

へのコメントを私信でもらった。コメントの字数制限をオーバーしたとのこと。そこで、ぼくのレスポンスも含めて転載。北朝鮮ネタはこの次も。

最後に少しだけコメント

=====
2009年05月19日 22時49分

tu-taさん、こんばんわ、ブログのほう、500字以内らしく書けなかったので、こっちにコメントしますね。

何回か読み返し、このAとBの暴力について考えてみたのですが、むずかしい〜です。それでも僕なりにおもった事、考えた事を書いてみますね。
北朝鮮でも日本でも僕等一人一人の暮らし、行動が結局その国家や体制につながっているとおもいますので、選択の自由、発言の自由、表現の自由を許された国なり環境の人が、具体的に一人からできることをやってゆくことが大切だと思います。しかし、それらの自由が一応許されてはいても、なかなか生まれたときからすり込まれてきた習慣を変えることは、容易なことではないともおもいますが。
僕等の暮らす国とゆわれてるところで体制、権力を否定してもそこにどれだけの依存があるのか、
その仕組みの中で生き否定することよりも、自由な選択があるならば1人1人が、自主的にできることをまずやってゆくことが大切だと思っています。人間の決めた法を意識しすぎるよりも、マナーとか自然の法の中で。誰も洗脳せず、否定せずやることは難しいかも知れませんが、一人で自主的に動いていたらたまたま似たような人がいた、とゆうようなのが自立をした共同体に繋がるのではないかとおもいます。そして、海向こうの世界にも波状してゆくのではないでしょうか?
そんな共同体がぼこぼこあらわれれば国家も体制も自然になくなってゆく方向なのではないでしょうか?単純に考えると、、、、。
もちろん、ある意味国の力は弱くなり、ねらわれて、つけこまれる可能性はあるとおもいますが。
Aの暴力やBの暴力をなくしたいとすれば、まず自分を無防備にしてゆくのもありなのでは?とおもいます。
疑い、けんせいしあってのバランスでゆくよりも
まず、手放す事が、信じる事が大切なのかなと。
ほんと、うちの家族内のことでもここらへんがリアルでもあり、つい個人的なことと照らし合わせてしまいました。
結局ですね、僕はAはやはりきついですね。自分の行動がその暴力を生み出していることでもあると思うと気づいたことやるしかないです。でもきっと、自分の中にまだふたをしている部分はあるでしょう。いろいろ知ったら、服を捨て、言葉を捨て山奥で四つん這いになるほかないかもしれないし。

Bは暴力となるのかよくわかりません。国境がなくなりその体制や国家から解放された人たちとちゃんと関わってその後のその人たちの暮らしにほんとうの意味での豊かさを確信しているのであれば、少なくとも、体制や国家を否定し、開放された後にそこの人たちと同じ生活水準で生きようと、そして対話を重ねる覚悟があれば、ようするに責任感があれば暴力とも言えないかな〜とおもいます。
それと、北朝鮮の人々を国家や体制に依拠している人々といえるかも僕にはわかりません。かなり圧迫感のある中で生きるのに必死であれば選択肢や創造といったものは難しいのかも知れないし。
ただやっぱり、この暴力の問題もきっとそうなのではないかとおもうのですが、人間社会の中だけ見ていてもなかなか難しいのではないかな〜と。他の生きものとの関わり、バランスを感じてゆくことがもしかしてヒントなのかもな〜とおもったりします。
                            おっぺきん

====

それへの返信

===
2009年05月22日 23時17分
返事が遅れてごめん。

すごく考えてくれてありがとう。
そういう風に考えてくれる人がいると、
ブログ書いててよかったと思います。

で、これ、、いろいろ難しい問題だよね。
ぼくのところに来ているTBや
ArisanのノートへのTBを読むと、また、別の視点に出会えて勉強になります。


ぼくも
> 疑い、けんせいしあってのバランスでゆくよりも
> まず、手放す事が、信じる事が大切
だと思います。
ただ、それはそんなに簡単じゃないよね。
どうしたら、そんな風にできるようになるのか、
そこがけっこう肝の部分かも?

ところで、このコメント、ぼくのブログに転載していいですか?
===

再びきんちゃんから
===
tu-taさん
難しい問題ですね、この地球上で他にも様々な事があるようで、根っこが繋がっているかは簡単にいえないけれど、そのつど出会う問題と自分の暮らし、環境と照らし合わせ
やっぱできることから具体的に僕は向き合ってゆきたいですね。難しく口をあけて流してしまうようなこともありますが、何か知る事で少しでも心が動けばその動いた分だけ少し、何かは動くのではないかと。

ブログに転載してもらってもちろんいいですよ。
またこれからもtu-taさんのブログに書かれることででいろいろ考えてみますね。

それと、6/20.21とおっぺで「夏至の集い」をするのですが、Iさんやこの前の皆さんとあそびにきませんか?まごめ会も来ます。田植えもそのとききた人達と(そのなかでやってみたい人たちと)ちょこっとやろうともおもいます。それで、秋の収穫祭でみんなでまたそのお米を食べれたらな〜と思っています。
        おっぺきんちゃん

=====


このきっかけになったArisanのノートの二つの暴力を対比させるという手法はやはり違うと思うのだが、それでも何かコメントしたいという思いを抱かせ、ぼくの琴線を刺激した。

本当のところ、どうしてそれに反応したくなったのか、自分でもよくわからないのだが、こんなレスポンスがきたことを含めて、やはり、そこに訴える何かがあるのかとも思う。もしかしたら、思い違いかもしれないけど。




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