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zoom RSS <「むらの思想」と地域自治>内山節 読書メモ その1

<<   作成日時 : 2009/06/28 09:08   >>

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この本、「農村文化運動No.186」でもあるのだが、中身はすべて内山節さんの講演録になっている。

すごく面白かった。

紹介は以下
http://www.ruralnet.or.jp/nbu/186.htm

安倍の危ない時代の危機感が背景にある本だと思うが、いま読んでも十分に面白い。安倍がいいかげんなことをいろいろ振りまいてくれたおかげで出来た本なのかもしれない。



序のタイトルは<「伝統的」のもつあやうさ>となっている。
「日本の伝統」と持ち上げているものの怪しさ、危うさがここでは書かれている。

例えば、食い物
江戸時代から同じことをやっている寿司屋には生ものがなにものっていないという。冷蔵庫があるから生ものをのせられるわけで、生に近いものは酢でしめたものか、まぐろなら醤油漬け。また。白菜が日本に入ってきたのは明治になってから、ということで白菜の漬物もけっこう新しい。

「先祖代々の墓」も近代的な家制度の産物だという。墓はもともとは一人一墓だった。そもそも庶民意は墓がない時代が長かったらしい。近代的な家制度が天皇家を本家とする家みたいなものに位置づけられて、先祖代々の墓ができてきたのだが、その天皇家には先祖代々の墓はない。

そして、天皇制の話だ。こんな風に書かれている。
===
 いまの天皇制の体系ができてくるのがじつは江戸の中期くらいのことで、天皇制のとらえなおしが儒学者の手で行われ、そこで位置づけなおされた天皇制が今日に続いています。もちろん、その後も明治や戦後の変動がありますが、いちおう流れとしては江戸の中期くらいに儒学者がつくった天皇制が今日にいたるということです。天皇制の精神もじつは儒学である、と断言してもかまわないと思います。ですから、天皇制が日本の伝統といわれると片腹いたい。
===

天皇制にかかわる話は後でもでてくる。

いろんな人が自分の主張にそって、歴史の一部分を切り取り「これが伝統だ」と語っている。そのあたりを「かなりきちっとみていかないと都合の悪い時代だろう」と内山さんはいいます。何が変ったのか、何を変えたらいけないのかを見つけ出す必要がある、ということです。




で、本論をとばしてまとめてしまうと(すごく面白いし簡単な言葉で書かれているのでぜひ、読んで欲しい)、日本の村には「伝統的に」強い共同体としての自治があり、これをなんとかしないと国家管理が出来ない、国民国家が形成できない、そこで中国から儒教をもってきて、国家・国民の形成に使おうとしたという話なわけだ。

職業は違う「士農工商」だが、それらはみんな「日本国民」だというように「国民」の形成が江戸時代に目ざれるようになったというわけだ。
しかし、「国民」を設定するためには非「国民」が必要になる。外国人が少なかった当時、非「国民」は国内に作るしかなかった、その役割が穢多・非人にきた。そして、彼らを非国民扱いするために、皇国史観が必要になったと内山さんは書く。血を嫌う天照大神の子孫の日本国民と血を喜ぶ神からできた非国民という構図が必要になったということだ。

そして、天皇家が神の世界とこの世界をつなぐ宗教行事を行っていることが、天命を受けていることの証明として必要になり、天皇家が現在行っている宗教行事のほとんどはこのときに再発見されたものだという。それが再発見されたとはいうものの、「大嘗祭にいたるまで、あれだったら昔あったような気がするし、なかったような気もするし、という程度のものなんです」という。そういうものを将軍の命を受けた古学の学者によって発見されたのだが、それが幕府を滅ぼすことになる。つまり、天命の証明ができたのだから、天皇に政を返せばいいという王政復古派を生む出すことになった。

このように江戸時代に国家のあり方が儒学にもとずいて議論され、デザインされていくのだが、現実にはそれは実現しなかった。国家に優先する村・共同体があったからだ。その共同体は生きている人の共同体であるだけでなく、死の世界、霊の世界まで持っていたから崩せなかった。神仏を習合して信仰にまでなっている死の世界をつぶすことが支配者としてはなんとしても必要で、そのために明治政府が、その意思決定システムさえ決まっていない段階で最初にやったのが神仏分離令だというのが内山さんの話だ。

日本の民衆は信仰でもそうだが、自分たちに言葉を与えてくれるものはどんどん取り入れるので、土着信仰に道教的なものがどんどん入り、次に仏教と融合するのだけれども、一つだけどうしても入らないのが儒教だった。共同体の世界には儒教精神は一滴たりとも入らない。儒教は都市の武士たちに入った。内山さんがこのような話にこだわるのは「日本の伝統とは何か」ということをきちんと見ておかなければならないからだという。こんな風に繰り返しを含めて書いている。
===
いい悪いの話はおくとしても、江戸期に儒学をてこにしてつくられた神の世界、そして天皇制のつくりなおし。そういうものを日本の伝統とみるのは、僕は絶対に間違いだと思っています。あれは儒学の理論からできたもので、靖国神社なんてその最たるもの、儒教神社として儒学理論でできているわけです。だから、あそこに日本の伝統があるといわれると困ってしまう。素朴な意味で、うちの息子が戦死して、靖国に祀られているという、その遺族の気持ちはそれはそれで大事にしていいと思いますが、あそこに日本の守らなければならない伝統があるといわれると、これはどうみても片腹痛い。日本の守らなければならない伝統があるとしたら、儒学を入れなかった世界、村の世界であり、そこに日本人の伝統的な精神世界があったということです。
===

そして、霊的世界をも含んだ、強力な自治の力をもった共同体の中で個を形成していくという個の形成の仕方は、個を他人との関係で形成するというありかたと違う、前者は内部に向かって深める形の個の形成の仕方であり、それには争う対象がないが、後者は他人との違いを強調する個の形成であり、それ個を形成すればするほど争う対象がでてくる、前者のようなような個の形成の仕方をもう一度見直してもいいのではないか、という話で第二講が閉じ、第三講に入る前に質疑が置かれる。



この質疑がまた、とても面白いのだが、長くなったのでとりあえず今日はここまで。


P.S.
結局、ほとんど要約だけで終わってるので、そのうち感想も書きたい。
何か、正木高志さんの神社の見方にもつながるものを感じるし、花崎皋平さんの主張にも近いものを感じる。





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