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zoom RSS 尊厳とは何か(メモ)

<<   作成日時 : 2009/06/29 06:29   >>

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障害学のMLで「尊厳とは何か」という問いかけがあったので考えてみた。

まとまらないのだが、そこで考えて書いたメモに、少しだけ補足して、以下に転載。


まず、その問いを引用

===
エストロゲン大量投与による重症児の成長抑制療法の一般化を狙うシアトル子ども病院のDiekema医師らの、このたびの論文を読んでいるのですが、

その第1例となったAshleyケースに際して障害学や障害者運動から出ていた「尊厳を侵す」との批判に対して、論文は「尊厳は定義なく使用されても”useless concept"である」と一蹴しています。1月のシンポでも、冒頭のあたりで「この議論では尊厳については取り上げない」と最初から除外されていたように思います。

しかし、尊厳が無意味な概念として一蹴されたまま仮に成長抑制が一般化されてしまうとしたら、今後の(当面は米国の)医療においてコスト削減など社会的目的での障害児・者への医療的侵襲に対しては、もはや「尊厳を侵す」との批判は無効となり、いかようにでも論じることが可能な「本人の最善の利益」を盾に推し進められる「すべり坂」が始まるのではないかと、とても危惧しています。

私はAshley事件の後で個人的な興味で調べたこと以外の知識がないので、とりあえず手元にあった国連障害者人権条約の文面をざっと探してみたのですが、尊厳について明確に定義されている箇所は見つけ切れませんでした。

障害者に対する医療の侵襲という文脈で「尊厳」が定義されている文献があったら、教えていただけませんか。

===






定義なく使われても、使えないコンセプトだからって一蹴するという対応は、問題外だというしかないと思います。
自分たちが考えている尊厳とは何で、どのようにそれを犯していないかってことを明らかにして欲しいものです。

とはいうものの、
一方で、確かに「尊厳」という言葉のもつ両義性みたいなものもあるので、そこは注意する必要があるのだと思います。まさに「尊厳死」とかいう使われ方もあるわけです。



「尊厳」をもった存在として扱われなければならない。
尊厳ある生を営む権利がある。

そういうときの尊厳って何なのでしょう。

定義しなさいと言われたら、確かにぼくには難しいです。


まず安直にWebで検索
こんなのが出てきました。

===
旅先で美味しいものを食べたとき、それをお土産に持って帰り家族や友人にも味わって貰おうと考えるのは、決して哀れみや施しではありません。
同じ感動を共に分かち合おうとする衝動が、自然に生まれるのです。
その思いを何処まで広げることが出来るかということです。

普通の生活の中にある、平凡ではあるけれども、安らかな平和を皆で共に分かち合いたいとする願い。
人が人を思いやる心、それを大切にして行こうとする意思が人の尊厳だと私は思います。

ただ、それは「個人の尊厳」に留まっています。
残念ながらこれだけでは差別の解消には繋がらないでしょう。
個人は「点」です。
差別は社会全体の問題ですから、点の作用では解決出来ません。
連鎖反応的に「面」として広がって行かなければ効力がありません。

架け橋というものは、相互に行き来があってこそ価値があります。
価値があるから大切にされ、崩れないようにと皆が支えるのです。
人と人とが互いに相手の苦しみを想い、悲しみを憂う。
相互理解と相互扶助があって初めて「人間の尊厳」となります。
差別意識を暴走させないためには、相手を知り、理解し、信頼して行かなければなりません。

人間の尊厳は、与えられるものでも、要求するものでもありません。
築き上げるものです。
「厳かにして尊い」ものを自己の中に築き上げて行くことは決して弱者に対する施しや、哀れみなどではありません。
「我は人なり」と宣言する資格を得る為のものです。
http://www.geocities.jp/wan_ojim/sub4b.htm
===

調べてみたら、着床前診断を望む立場の人のHPでした。
世の中はいろいろ複雑です。

もちろん、もっと調べればたくさん出てくるのだと思います。
法律的な定義もあるかもしれません。
アカデミックな人たちにはそういうことも必要なのでしょう。

で、「尊厳とは何か」ちょっとだけ考えたのですが、やっぱり難しい。

でも、一方で、そんなに難しく考える必要があるのかとも思うのです。
人が人として大切にされる、とりあえずそういうことだという理解でいいんじゃないかと感じました。

で、具体的に「Ashleyケース」ではどうなのか、
成長抑制剤を投与した側は「大切にしたいから投与したのだ」という主張になるのでしょうか?

他方で障害者運動の側では、「それは大切にしたのではなく、可能性を踏みにじる行為で、尊厳を冒す行為だ」

ということになるのでしょう。

そういう意味では「尊厳」とは何かということが確かに問題になってくるのだと思います。

「尊厳」はパターナリズムとは無縁な感じですが、「人が人として大切にされる」といってしまうと、パターナリズムが忍び込んでしまう余地があるかもしれません。


もう少し詳しく書くとすると、例えば森田ゆりさんがエンパワメントと人権に書いている以下の文章は「尊厳」という言葉の中身を表しているように感じます。

===
 エンパワメントの思想は「人間はみな生まれながらにみずみずしい個性、感性、生命力、能力、美しさを持っている」と信じる。生まれたばかりの赤ちゃんは、障害があろうがなかろうが、男だろうが女だろうが、人種や国籍や貧富の差や、家庭環境の違いにかかわらず誰もがみなそれぞれかけがえのないすばらしさをもって地球にやってくる。 16p
===


こんな風に「能力」とか持ち出してしまうと、また混乱しそうな感じもありますが、おおよそこんな感じだろうなと思います。


「Ashleyケース」で向こう側の人たちは、たぶん尊厳の議論に入ることを恐れているようにも感じますが、しかし、このように尊厳の意味を考え始めると、確かに、それを定義しないで、「尊厳を冒している」と主張するより、自分たちの考える尊厳とは何かを明らかにした上で、「尊厳を冒している」と主張することは、より説得力を持つと思います。

「Ashleyケース」を推進する人たちが考える「尊厳」とは何でそれに反対する障害者運動の「尊厳」とは何かというのは、少なくともぼくにとっては興味深いテーマです。

spitzibaraさんの論考が進んだら、また教えてもらえたら幸いです。

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生命倫理は「治外法権的な聖域なき議論の土俵」なのか?
[http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/53559405.html 6月30日のエントリー]で 米国大統領生命倫理評議会の論考集「人間の尊厳と生命倫理」の第1章の概要をまとめましたが、 ...続きを見る
Ashley事件から生命倫理を考える
2009/07/07 09:33

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは。TBありがとうございました。
あれから、いろいろ考えて、くるっと回って、こちらで書いてくださったことに戻ってきました。「自分たちが考えている尊厳がなにで、どのようにそれを侵していないか」を説明して欲しい、その説明責任はまず、やった側にあるんだから、順番をごまかさないで、そちらから、どうぞ、ということ。ただ、それだけでは、おっしゃるように「尊厳死」議論での「尊厳」はどうなんだとか、じゃぁ、障害者の側の言う「尊厳」はなんだという話が残っているので、まだまだ先は長いのですが、とりあえず、いろいろ刺激してもらって、ちょっとウハウハしました。ありがとうございました。これからも、ぐるぐる、シコシコ考えていきたいので、そのつど、ご教示いただきたく、よろしくお願いいたします。
spitzibara
2009/06/29 14:00
spitzibaraさん、こちらこそよろしく。
tu-ta
2009/08/24 00:58

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