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zoom RSS <「むらの思想」と地域自治>内山節 読書メモ その3(最終)

<<   作成日時 : 2009/07/03 02:46   >>

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その1
http://tu-ta.at.webry.info/200906/article_16.html
その2
http://tu-ta.at.webry.info/200906/article_18.html
の続き



その1とその2で扱ったのは以下の部分。
====
序 「伝統的」のもつあやうさ
■第一講 “家業としての流通”と“農村の持続”
I 地域内流通と広域的流通の役割
II 家業における「持続」と「信用」
III 村の儀礼や祭りから地域社会の持続を考える

■第二講 われわれが守らねばならない伝統思想とは
I 「日本人は個の確立が弱い」という俗説は本当か?
II 日本人の宗教観と西洋の精神論──科学で解明できない世界
III 仏教はいかに土着的思想と融合していったか
IV 国家権力は共同体をどう解体しようとしたか

■質疑応答
・共同の力が弱まった理由は?
・政府や自治体の本来のあり方とは?
・ナショナリズムとは?
===


残りは
===
■第三講 国家の歴史でなく、民衆の歴史をどうつかむか
I 歴史とはなにか
II 民衆の歴史をどうつかむか
===
となる。

ここで面白いのは、「外の思想でなく、うちの思想で叩く」というところ。このあたりの発想は花崎皋平さんと重なる。

再び長い要約(読み返してみていないが、たぶん、本文を読んだほうが早いし、わかりやすい)

====
最初に書いたが、安倍政権の時代の講演記録で、安倍流ナショナリズムへの警鐘という側面も含まれていた。しかし、同時にインターネット上の若い人のナショナリスティックなものにも向けられている。

そして、そのような動きに対して、いままでは欧米系の思想をもってきて、思想的根拠をつくって、抵抗の思想のようなものをつくってきたが、「これはもう力にならないという感じがするのです」「日本の思想で日本のあやしげな思想を叩く、あるいは批判する、そうしないと決着にならないという気がしている」という。そして、そういう気持ちがあるので、日本の歴史とは何か、日本の思想とは何かということにこだわりを持っていると書く。


また、この20年くらいで江戸時代の評価が暗い封建時代という認識から明るい資源循環もできている江戸という風に変ってきているというのを例に「歴史とはこういうものだ」と内山さんは書く。そこでは新しい資料が発見されたわけではない。それは認識された歴史であり、認識する側に動機があることを見て取ることができる。うまくいっていると思えた時代には過去は暗く見え、現状に疑問が出てくると過去が明るくみえるらしい。

 内山さんは国家の歴史としての日本史ではなく民衆=村の歴史から見た日本史の必要性を説く。「本当の日本史とは、そういうものでしかないといいますか、それが民衆史なんだろうという気がします」という。
 そして、「日本史として語られていくあやしげな歴史に対して、自分たちの歴史を書き直さないとまずい。書き直すということは自分たちの思想をもう一度つかみなおすということ」なのだが、「証拠物件は少ないので、民衆史を書くこと自体がととてもむずかしい」と。

 その証拠の少ない民衆史を書くためには、そのなかに入って、それゆえに見えてくるものをたえずつかんでいかないとかけない、文献史学としての歴史学が制度史に特化していったのは、「なかに入る」ということがなかったということ。内山さんが上野村に入ったのはそんな目的ではなかったのだが、村の社会や自然とは何かとか、そのなかで自分もばたばたやって「ああ、村人は自然とか社会をこのようにつかんでいるんだな」となんとなくわかってくると。

 そのようになかに入ってみて、すごく不足しているのが「民衆の思想史」だという。それは「文献に出てくるような高邁な思想史ではなく、人々がどういう思いで生きてきたかに近い。たとえば、自然に対して、あるいは神様に対してどういう思いを抱きながら生きてきたのか、さらにいうと、昔の人が稲を収穫するとどのような気持ちになったのか、なかに入って生きていると、1000年前の人たちもこの気持ちは同じだったんだろうというものを見つけ出すことができるという。

 この後、内山さんは無意識のうちに展開してきた精神史に注目する。それは、その土地・風土・あるいはその村とともにあり、その村的な空間・時間の中で見える。それは歴史を研究する個人が発見するというものにしてしまうと、いままでの歴史学のレベルを克服できない。その土地や風土の中にいて、「それがある程度感じられている、そういうものでないかなという気がする」という。

 次に相対的にはみることができない絶対的な村について、語る。それを象徴的に表すおばあさんの話がある。「私はね、この村から一歩もでたことがない人間だから、間違いない。この村が日本で一番いいんだ」。そういうことはフランスにも、という例も紹介される。

 村の人たちが、「村とともに生きている」という感覚が洋の東西を問わず、存在している。そこから「民衆史とは民衆の人間史ではなくて村の歴史なんだと思えてくる」という。そして、村の歴史は国家史の付属のような形で郷土史として扱われてしまうのではなく、つまり、国家史に包まれた村の歴史ではなく、村の歴史が国家を包みなおすことをやっていかないと、民衆史は書くことが出来ないのではないかと。

===
 そういう形で日本史とはなにか、日本とはなにか、日本の思想とはなにかといったものを見つけることができたときに、中央史として語られる国家史のいかがわしさやあやしさを、もう一度指し示すことができるのではないでしょうか。
===

これが、第三講のひとつの結論だ。この膨大な作業の合作こそが日本の歴史であることをイメージできる形で書くことが問われている。一人では出来ない「その作業の積み上げが日本史から民衆の歴史を奪回し、変な日本史を克服するための一つの方法だろうと思っています」
とこの本は閉じられている。

==あまり正確でない要約ここまで==


村に民衆史があると内山さんは言う。「そうか」と思う。
しかし、村以外のところにも民衆はいるし、いた。まちの民衆を無視していいとは思えない。そのことを内山さんはここではあまり触れていない。村の人に向けた話だからだろう。そして、まちの民衆史のような話はけっこう残っていたりするからかもしれない。

まちのコミュニティのもつ密度、というのは高度成長を経て劇的に変化しているだろう。また、もともとまちに住む人と、都会に流れてきた人がもつ感覚はかなり異なるだろう。また、まち毎の温度差も大きいだろう。

例えば、ぼくが住んでいようなマンションと呼ばれる大きな縦長屋で、コミュニティが復権できるかどうか。不可能ではないが、遠い道のりだろうと思う。ここでは多くの人がコミュニティとしての密度の低さを当然のこととし、管理業者に面倒なことをまかせることがメリットとされている。コミュニティの中の苦情も主に管理業者を通して伝えられる。メインテナンスも含めたすべてが、「管理組合」という自治組織を通した形にはなっているが、業者が行うことが前提になっている。

正直、いろんな社会運動を抱えているもに、そのことには、ちょっと興味を持ちつつも、現状ではまったくかかわっていない。これは言ってることとやってることが違うと非難されてもしょうがないかなぁと思う。

アパートとかマンションに自立的な空間をつくることが出来るのかというのは、ひとつのチャレンジングな課題にはなるだろうと思う。

ただ、価値観がこんな風な時代には、かなりの困難が伴うことは前提だろう。そういう意味では、かなり同じ気持ちの人が集まっているコーポラティブハウスとかエコビレッジとかの可能性のほうが高いはず。

そういう実験が、失敗も含めて、蓄積される意味はあるように思う。偶然に隣り合わせたアパートやマンションでエコビレッジ的なことがどこまで可能なのか。面白そうだけれども、けっこうしんどそうな課題ではある。


さて、内山さんの話に戻ろう。
村に生きている人が村に息づいているスピリッチュアルなものを含めた歴史を形にして示すのはかなり不可能に近い困難な作業だろう。内山さんのような「よそ者」はめったにいない。ただ、内山さんが上野村に住んで感じ取ったその経験を明らかにすることで、その感じ取り方を追体験することは可能かもしれない。似たような手法でそれを読んだ人が「村」を感じたとき、似た感覚を味わうことは可能だろうし、それを「よそ者」やUターンしてきた者が書き表すことは出来るだろう。その異同が表出できればそれは面白いと思う。

そして、そういう「村の感覚」は限界集落の増加の中で、日々、消されつつあるというのも事実だろう。

また、内山さんはここでは書いていないが、「村の感覚」の持つネガティブな側面はないわけではないはずだ。それはマスコミや社会的な風潮の中で過大に描かれているかもしれず、田舎の息苦しさが必要以上に演出されてきたという側面は確かにあるのだが、息苦しさというか一種の閉塞感のようなものは確かに存在するようにも思う。そこをどのように超えていくか、「村」のネガティブな面を見据えて、それでも「村」を見直そうという呼びかけが必要なのだと思う。

とか、書きながら、都会から離れられない自分がいるんだけどね。




<「むらの思想」と地域自治>内山節
「農村文化運動No.186」
紹介は以下
http://www.ruralnet.or.jp/nbu/186.htm




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