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zoom RSS 新たな「公共」的社会と南部メキシコ

<<   作成日時 : 2009/08/08 05:47   >>

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友人と歩いていて、彼がインパクションのバックナンバーを探してて偶然入った本屋で見つけた雑誌『アジェンダ 未来への課題』 第25号(2009年夏号)
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAY32547/

Web上で目次がどこかにないか探したが見つからない。

特集 格差社会のオルタナティブ

榊原裕美さんの「スウェーデンのコスト感覚に学ぶ」というの文章の、スウェーデンではベーシック・インカムを主張しているのは右派という指摘なども面白かった。(実際、日本でもGDPベースの経済成長さえすればなんとかなると主張している飯田泰之とかいう経済学者もB.Iを主張しているようだ。)


が、今日、メモを書きたくなったのはその話ではなく、北野収さんの
==
新たな「公共」的社会を模索する地域(南部メキシコ)の取り組みについて
==

北野さんは最初に「公共」とは何かを提起する。
1、従来型の「政府」「国家」という活動領域のイメージ
2、ネオリベ型の公共
3、第三の「公共」観(本論でとりあげる「公共」説明は以下)
===
公共性とは万人に共通(common)なもので、公共空間とは「官」「私」(市場経済・私企業)「共」(市民社会)を横断した経済社会の便益と福祉の増大のための対話と交渉の「場」と定義する。この第三の「公共」概念を「人間社会が本来的に内包するもの」としている。しかし、それが可視化されるようになったのは「市民社会を脅かす『何か』との相関的関係性によるところが大きい」と書く。
最初に結論として提示しているのは「身の丈に合った、身の回りの生活実践こそが『公共』の実践であり。公共社会の基礎である」ということ。

そして、北野さんは南部メキシコについての記述に入る。とりわけオアハカ州について、サポテコ文化を中心とした独自の社会・政治的風土に、さまざまな「知識人」が合流し、一般市民も巻き込み、草の根ポストモダニズムともいうべき、新たな「公共」空間創出の社会運動が進行している、という。

この文章の多くは、その社会運動の紹介・説明なのだが、その要約は省略。

「公共」空間創出を求めることが必要だと問題を立てることが妥当なのかどうか、何か回りくどいようにも感じる。しかし、ここに紹介してあるそれぞれの運動はそれなりに興味深い。

いつか北野さんの厚い本のほうも読んでみようと思う。その後の「女の町フチタン」の話も掲載してあるようだし。
(『南部メキシコの内発的発展とNGO―グローカル公共空間における学び・組織化・対抗運動』
 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4326602147.html )
で、公共性うんぬんの疑問は飛ばして、結語の紹介に向かう。

結語として、
●「格差社会日本」への教訓
という節が置かれている。
そこでは、まず単純な比較を戒める。
その違いとして第一に掲げるのは、ネオリベ政策を支持してきた一翼として「排除」されてきた人々自身であったという問題。彼らは政策を支持したというよりも、現下の閉塞感のブレイクスルーを求めて、わかりやすい保守系「パフォーマー」達に期待をしたのかもしれない、という。そこに見られるように「インターネットは日本では自律的市民の道具になるのではなく、資本や権力への『無意識的従属化』のためのポピュリズム培養装置として機能している」としている。このようにインターネットの問題を指摘して、最後の段落へ。

その最後の部分を引用
===
 私達に決定的に欠落しているのは、実践、実地、現場に目を向けるという、当事者的、主体者的態度である。実践の現場に身をおけばいやおうなしに、自ら思考することが求められる。パウロ・フレイレは主著『被抑圧者の教育学』のなかで、識字教育を通じた「意識化」という概念を示したが、格差社会に住む私達に求められることは、実践を通じた新たな「意識化」の場の構築ではなかろうか。日本における「新たな公共空間」論は、こうした議論を避けて通ることはできないはずである。
==引用ここまで==


意識化をもたらすような実践の現場を、どのように準備できるかというのは、日本の社会運動のひとつの課題ではあるだろう。そういえば、以前、フレイレの意識化っていうのは、一つ間違えたら危ないんじゃないかと書いた。
tu-ta.at.webry.info/200604/article_3.html
今回、再びこのフレイレの意識化とは何かということを少しグーグルに乗せてみたら、いろいろ出てきた。

池住さんのメルマガの解説がわかりやすかったので、以下に部分転載
====
B「対話」を通して抑圧からの解放

 フレイレ教育思想の最大の特徴は、「対話」を通して抑圧状況を分析しながら、そこからの解放を目指すという点にある。「対話を通して」でなければならない、とフレイレは強調する。何故か。

 そもそも抑圧状況は反対話的行動から作られる。権力者(抑圧者)が自分たちの思いのままに社会を作ろうとする時、まず民衆が持っている文化、価値観、潜在的可能性を否定し断ち切る。そうすることで、民衆が持っているエネルギー、表現力、創造力を衰えさせる。思考する力を押さえる。そのために権力者は、自分たちが持っている文化、価値観、世界観を民衆にただただ一方的に「伝達」「注入」する。この結果、民衆は声を挙げられなくなって被抑圧者となり、「沈黙の文化」(Culture of Silence)のかなに閉じ込められる。

 権力者(抑圧者)によるこの支配を正当化するために、彼らは自分たちの持っている(または知っている)ものが優秀であって被抑圧者のものは劣っているという神話をつくりあげる。こうして被抑圧者は抑圧者のための存在へと飼い馴らされ、「大衆操作」と「文化侵略」はさらに強化される。これが「銀行型教育」(Banking Education)だ。銀行型教育は「対話性」を否定し、抑圧者と被抑圧者を分離し、それを維持し続ける。

 そうして作られた抑圧状況から被抑圧者が解放されるためには、抑圧状況を作り出している方法そのものを否定し、それに替わるものがなくてはならない。フレイレは、そこに「対話」を置き、その大切さを強調する。フレイレにとって対話は人間の本質そのものであると考える。

 フレイレの協働者であったモアシル・ガドッチは「人間は対話の中で育つ。だから、人間は本質的にコミュニケーティブな存在なのだ。対話なしには人間に進歩はない。対話は、現実を変革し、進歩するための人間の出会いのモニュメントである」と表現してフレイレの思想を語っている。

C “沈黙の文化”からの解放

 一方、「問題提起教育」(Problem-Posing Education)は、こうだ。教育者(またはファシリテーター)と学習者による弁証法的な対話を基礎にして、教育者は、@学習者の社会的実践の表現を重んじる、A被抑圧者の切実な要求や選択に耳を傾ける、という二つの「対話の能力」を最重要視する。身近な事柄を学習者の言葉で「問題化」し、両者がともに学ぶ。

 教育者は必要に応じて学習者が問題発掘、問題認識をより意味あるかたちで可能となるための「きっかけ」(フレイレの識字運動でいう『コード表示』)をつくる。

 こうした過程で学習者は自らの力で自らを「意識化」(Conscientization)する。自らの力で「沈黙の文化」から自らを解放する。抑圧から自らを解放する。これがフレイレ教育思想の根幹である。
==引用ここまで==
http://civilesocietyforum.com/?eid=1780 から

長々と引用したが、読書メモに戻ろう。
「格差社会に住む私達に求められることは、実践を通じた新たな『意識化』の場の構築」だと北野さんは書く。

そのような実践が新しいユニオン運動の中に見られるように感じる。また、地域の再生をめざすいくつかの運動の中にもその萌芽はあると思う。それはとても肯定的な変化だ。

しかし、他方で(おそらく)抑圧された人たちによる排外主義的な運動も勢いをつけてきているように感じる。そのような形での「実践」の場もある。彼らは安倍や麻生が内包している排外主義的な本質を見抜き、擁護し、政権交代に反対し、マスコミを批判し、某たもがみを持ち上げる。

両方の「実践」をわかつものは何だろうと思う。
排外主義的な運動の中には「対話」的な側面はないと言えるのか。排外主義の方向での「意識化」も行いえるのではないか。

この北野さんの論文が提起している問題はとても興味深かったから、メモを書きたくなったのだが、この結論を読んで、そんなことの感じたのだった。








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