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zoom RSS 「工場労働者」という表記について

<<   作成日時 : 2009/10/30 03:18   >>

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この10日くらい、「読書メーター」 http://book.akahoshitakuya.com/ っていうのに嵌っていて、今年読んだ本はなんだったか、読みかけの本で、まだ続けて読む気があるのはどんな本か整理している。
で、読みかけの本が25冊になった。多すぎだよなぁと思う。

で、どんな本を読んだか調べるために、ブログで振り返ってみていた。

さっき、ブログの1月を見ていたら、以下のようなコメントがあった。
けっこう痛いところをつかれているので、忘れないように、ここにも掲載しておこうと思う。
http://tu-ta.at.webry.info/200910/article_24.html から転載です。

=======

たまに読ませてもらっていますが基本的に通りすがりのものです。

tu-taさんはご自分のことをものすごいインテリだと思っているのが文からビシビシ伝わってくるのに必ず「工場労働者」と付け加えていますよね。ご自分でもいい訳に使える、とおっしゃっていますが、豊かな日本でぬくぬく育ち、義務教育は最低でも受けたはずの私たちが工場労働者というタイトルを自分の知識が中途半端なのを突っ込まれないためのカバーとして使うことのグロテスクさを感じてるのは、私だけでしょうか。

お気に召さないでしょうから削除してくださっても結構ですけど、昔はいってたメーリングリストであなたのメッセージを開けてしまうたびに何だかハラスメントを受けたような感覚がありました。

とおりすがり
2009/01/28 06:49

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とおりすがりの人に呼びかけても、振り返ってもらえるかどうかわからないのですが。

自分では自分のことをインテリだと思ってるつもりはないんだけど、そう感じられてもしょうがないくらい生半可に知ってることを振り回すことはあるかもしれないなぁと感じました。

だいたい、このブログの目的は生半可に知ったことを忘れないための備忘録でもあるのですから。

ぼくの存在と発言からハラスメントを感じる人は他にもいるのだと思います。直接、ぼくにわかるように言われたことはないんですが。

知識が中途半端なのは確かです。だけど、中途半端でいいじゃん、と思ってるのもまた事実です。

で、書かれていることで、違うと思うのは、ぼくは突っ込んでほしいと思ってるのです。突っ込まれたら、また、そこから考えることができます。

難しいことはわからないことが多いし、それを始めに誰が言ったかとかいうことにはあまり興味がないのですが、気持ちよく生き残っていくために何が必要なのかということは考えたいと思っているつもりなのですが。

tu-ta
2009/01/28 07:54

======

とおりすがりのわたしのような者に応答していただいてありがとうございます。

気持ちよく生き残る。誰もがそうしたいと思ってると思います。

でも、知識人でしかない知識人だと知識を使って何ができるのかを自分にも外にもきちんと提示しなければならないし、労働者でしかない労働者なら労働ばっかりしている自分と向き合わないといけないわけです。

あいだ にいることをそんなに強調するのなら、あいだから何ができるのか、あいだだからこそ何ができると思ってるからこそ「工場労働者」という名前を自分のもちもののように見せ付けるのか。それがわからないのです。

工場労働者としてPPあたりのインテリとかお坊ちゃまに何かを訴えたいのならそのメッセージをもっと明確にされたらと思ってました。

とおりすがり
2009/01/28 18:06

======


転載ここまで

ここから先にレスポンスを書いていない。
書けなかったのか、書かなかったのか。


工場で働いていることは、ぼくのアイデンティティの大きな部分を占めているのは間違いない。とはいうものの最近は下級管理職としての業務ばっかりなんだけど。

某としまるさんに「あっ、流行の残業代減らしの職位ね」と指摘されて、「そうか」と思ったのはずいぶん前だ。

確かに、同じ年齢の正規雇用の就業者の平均から比べると、かなり低いはず(50歳で年収500万、一昨年までは400万円台だった)の年収で、管理職として残業代ももらえないのはひどい話だ。(ま、それなりの仕事しかしてないという指摘もあるかもしれないし、400万とか500万とかいう年収が低いって言いにくくなっている最近の状況もなんとかして欲しいもの)

とりあえず、そんな状態で「工場労働者」と自分のことを言い続ける最近の大きな理由は「自分は研究者じゃない」ってことを声を大にしていいたいからということではある。そのあたりの意識の背景にあるものを、このとおりすがりの人に的確に指摘されているのかと思う。

しかし、工場で毎日、朝から夕方遅くまで拘束されているのは間違いない。ときどき書いているのだが、ぼくを動かしているのは好奇心なので、好奇心のおもむくままにいろんな本を読んだり、集りに参加したりしているが、それらはみんな仕事が終わってから。


それにしても「自分のことをものすごいインテリだと思っているのが文からビシビシ伝わってくる」というのは正直、意外な話ではあった。そういえば、肩書き的にはインテリと呼ばれる人と話す機会は多いかもしれない。で、「研究」を生業にしている人は、いろいろ勉強して論文書いて、専門分野についてはいろんなことを知っている。それはそれで尊重はするし、そういう人と話してると面白いことも多いけど、でも、それだけじゃんとも思う。

そう「疑似(えせ)インテリの疑似(えせ)工場労働者」という汚名は、ある面からぼくのことを的確に表してるかもしれない。

「あいだ」だから何かできる、というのも、あんまり意識してなかったように思う。指摘されれば、確かに「あいだ」のようなところにいるかもしれない。

あと、ぼくの自覚的な身の置き所として「社会運動の活動家」というのがある。ま、たいしたことはしてないが。

でね、活動家なんて、みんな、ある意味、「あいだ」みたいなところにいるんじゃないのかなぁって、いま思った。

っていうか、だれだって「あいだ」は持っている。

労働者も本を読むし、研究に関係ないバイトする研究者も少なくない。研究だけを生業にしてる人だって、飯を食ったり、作ったりするだろう。

働いて、遊んで、本を読んで、寝て、食って、社会運動に参加して、美術館に行って、孫に遊ばれて、連れに怒られて、それぞれでいろんなことを感じて、・・・・そういう全体をぼくは生きているし、他の人だって、それぞれの割合は違うかもしれないけれども、全体を生きてることは間違いない。ぼくにはぼくのバランスがあり、他の人には、その人のバランスがある。均衡という意味でのバランスがとれているかどうかは、自分でもわからない。ま、ただ、その割合がうまくいかなくて苦しいことはある。苦しんでいる人もいると思う。自分の全体のバランスのことはなんとかしなくちゃと思うし、明らかにバランスを崩して、苦しんでいる人を見ると、うまくそこから抜けられたらいいのにと思う。


ともあれ、そんな全体の中で生きていながら、何か肩書きが求められることがあり、そこでぼくは「工場労働者」とよく使ってきた。そこだけ切り出すのはどうしてなのか、という問いかけでもあるのだろう。

ぼくが顕在的に自覚している理由は単純だ。活動してる時間の中で、そこに拘束されている時間がいちばん長いからだ。

肩書きをなにか一つにまとめようとするところに無理があるのかも知れない。そもそも肩書きなんていらないって考え方もあるかなぁ。





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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
興味深く読みました。
「工場で働く時間が長いから」とかかれていますが、たぶん質問者の方の指摘は、「プロレタリアート」「ブルーカラー」をイメージさせる「工場労働者」という書き方でなくても、たとえば「印刷業」などと業種を書くこともできるのではないかということではないかと思います。僕自身も業種で書くのでなく、今は出向して株式会社にいるので「会社員」とも書けるのだけれど、そう書くと自分が「背広を着て通勤電車に揺られるふつうのサラリーマンなんですよ」というイメージを与えたがっている感じがします。そういうことを自覚していますか、ということなのではないでしょうか。
ココペリ
2009/10/30 09:19
自分がブルーカラーだっていう感じは、確かにあるなぁ。
スーツなんて、年に着るのは1回か2回だし。
ぼくのような下級管理職はブルーカラーじゃないのかなぁ。

で、確かにぼくは学校を卒業するとき、意識して工場労働者になろうと思った。ぼくのなかで、まだ、それなりにマルクス主義が生きていた時代だ。

ぼくのなかのマルクス主義はほとんど消えてしまったけど、工場労働者っていう呼称はいまでも好きなんだと思うなぁ。

tu-ta
2009/10/30 12:33
なるほど、肩書き一つとってもいろいろ深読みできるものですねー。そこに書き手の対外的なアイデンティティーが凝縮されるという“こだわり”ですな。そういえば大学の先生方でも肩書きに職位を付けずに「○○大学“教員”」と書く人が結構いますね。どう書こうと実態は同じでも、表記の仕方に本人の思想的立場や社会との関係の持ち方(本人の希望?)が表されているということでしょうか。

しかし、その伝でいくとすると自分なんか表記のしようがなくて困ってしまいます。拘束時間の長短も、自分の意識もすべて中途半端で、“研究者系”の人に対しては「非常勤やってます」などと称し、“国際協力系”の人には「JICA/NGOで専門家してます」「ビデオ制作者です」などと使い分け、外国での出入国カードをはじめ公式書類などには「会社員」と表向きは書いてはいますが・・・

似非どころか存在そのものが怪しい私の戯言でした。
魔太郎
2009/11/02 14:15

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