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zoom RSS 『ブッダとそのダンマ』メモ

<<   作成日時 : 2009/11/01 07:51   >>

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http://book.akahoshitakuya.com/b/4334032656

ティク・ナット・ハンの小説ブッダの日本語版のための解説(クリストファー・クイーン)に出ていたので、読んでみた。
同じエンゲイジド・ブッデズム(社会に関与する仏教)ではあるが、そこから受ける印象は大きく異なる。

訳の口調からの印象もあるのだろうが、この本は攻撃的な感じさえする。


著者のアンベードカル、確かにすごい人ではある。ウィキは今日の時点で書きかけ。

ガンジーと激しく対立した様子を、この本の解説で佐々井秀嶺さんが書いている。

この佐々井さんもまた、すごい人ではある。(この人のこともwikiにある)
今年、44年ぶりに帰国した話は聞いていたが・・・。
いま、Wikiで彼が米子東高(定時制)を出てることを発見。

そして、JVJAの山本宗補さんが本格的に追いかけている。
http://homepage2.nifty.com/munesuke/india-sasai-ambedkar-buddhism-etc.htm
豊田直巳から彼の畑と彼のお母さんの畑仕事について、先日、聞いたところだった。
ここではこの本の訳者である山際素男氏の葬儀についても触れている。
山際さんが無宗教だったというのが、また、驚き。

さて、
話をこの本に戻そう。
佐々井さんの紹介によると、アンベードカル生涯、「最後の一大使命」として書かれたこの本。
===
……それは仏教の本道にしてその肝要を、やさしく、たとえ無知無学の人にでも、誰にでも理解できるように書き残す、すなわち印度仏教徒の何時でも捧持すべくそれによって歩んでゆくべく彼らの一大道標、すなわち印度仏教徒のバイブルとして誰でも読み、誰にでも理解、実行出来得る一大肝心の書物を書き残しておくことであった。
===

それがこの本だという。そして、この本、世界的なベストセラーであるらしい。


いくつか気になった点

快楽について

「快楽は喜びではない」というブッダの主張が紹介されている。

美しい衣服や諸々のものは単なる飾りでしかなく、苦痛を和らげるためのものにすぎない。例えば、水は乾きをいやす、食べ物は飢えをいやす、家は風雨や太陽の熱から身を守る、というようなことが例に挙げられる。51p

しかし、どう考えても、おいしいものを食べることは喜びだとぼくは思う。


中道
感情、特に官能に依拠するものに習慣的に淫すること
苦しく無意味で何の益もない苦行と禁欲
この二つの極端を避ける
87p

ブッダは神の子でも、神に遣わされた予言者でもない。ふつうの人間。
求道者であって、救済者ではない。
147p

つまり、このアンベードカルの仏教では神の存在への信仰に、かまり否定的だ。激しい一神教への批判が散在している。

例えば、人間社会の道徳的秩序について、それがいかに生まれ維持されてきたのかを問い、「神の存在を信じるものにはこれは容易い質問だ。それは神が定めたものだ」というもの。だとしたら、なぜこれほどもでの無秩序があるのかとアンベードカルは問い、神を信仰する人のその問いへの答えは不十分だと書く。

そして、彼によれば、
===
世界の道徳的秩序は良くもあり、悪くもあるだろう。しかし、それはあくまで人間に依るものであり他の何ものによるのではないとブッダは説く。 
===
ブッダの宗教においては、道徳性が神に代って重視される。
===

という。162-163p

こんなブッダの言葉も引用している。
===
 総ての被造物に祝福、悲しみ、行動、善、悪、あんであれかなえてやれる全能者がいるとしたらそのものは罪で真黒でしょう。人が自らの意志で生きてゆくのでないとすれば、人を動かす神は不正、不善、そして盲目ということになるでしょう
169p
===

また、アンベードカルは宗教とは何かを問う。 205p
そして、「ブッダがダンマと呼ぶものは宗教とは根本的に異なっている」、それは欧州の神学者が宗教と呼ぶものに似ているが、類似性よりも相違性のほうが遥かに大きい、ブッダのダンマを宗教と認めない欧州神学者もかなりいるが、そのことで悔やむことはなく、悔やむのは彼らのほうだ、という。つまり、その主張の中に欧州の宗教が欠落させているものがあると。

宗教は個人的なものという主張に対して、ダンマは社会的だという。
社会にはダンマによる調整が必要だと。  206p

では、ダンマとはなにか、
それは智と慈・悲から成り立つ。
宗教は物事の初まりを明らかにすることとかかわりがあるが、ブッダのダンマにはない。
==
宗教の目的は世界の初まりを説くことであり、ダンマのそれは世界の改革である。
210p
==

ダンマに神という存在はないがダンマにおいて道徳は神の位置を占める、ということである。……。ダンマの道徳は人間の人間への愛という直線的不可欠さから生まれる。それは神の承認を必要としない。人間が道徳的であらねばならぬということは神を喜ばすためではない。人が人を愛するということは自らのためである。 211p
==


神の存在を前提としないという部分はぼくにはとてもわかりやすいのだが、彼の容赦のない一神教批判が、批判を集める要因にもなっているのかもしれない。また、神の存在を信じている人へのこの容赦のなさはどうなのかとも思う。論理にも決めつけが多いようにも思える。



この容赦のなさはアンベードカルのガンジーに対する評価にもつながるのかと思う。


アンベードカルとガンジーについて佐々井さんはこんな風に書いている。
===
アンベードカはガンジーを指して「我が最大の政敵であり法敵である」と喝破してガンジーに対するアンベードカルの攻撃はその止まることを知らなかった。ハリジャンという呼称に対してアンベードカルは烈火のごとく怒った。理由は、元不可触卑民といわれた階層の頭上にハリジャンなる非人間的、非宗教的、淫し淫靡な歴史をもつ言葉で呼んだからに他ならない。 416p
===


これを読んでいて、ちょっといいなぁと思ったのは、釈尊の妻であったヤショーダラーの最後。彼女は釈尊を尊敬していたが、78歳で今夜死ぬという日に、彼と会うのだが、その時、彼は釈尊に帰依したいとは言わず、「私は私自身に帰依します」と告げたという。このような態度をアンベードカルは評価している。



結語の章で科学者や宗教者のブッダの評価を紹介している。

E.G.テイラー『仏教と現代思想』
「人間は長い間、外在的権威に支配されてきた。もし人間が本当の意味で文明化されねばならぬとしたら、自分自身の原理によって自分を制御することを学ばねばならない。仏教は、人は己れ自身によって制されねばならぬということを命じた最初の倫理体系である。……」

レスリィ・ボールトン(ユニタリアン)
「私は仏教の精神心理学に最も強い援軍を見出している。ユニタリアン教徒は仏教徒と同様、教会の経典、信条といった外在的権威に反対し、導きの灯火を人間自身の中に見出そうとしている」

ドワイト・ゴダート
「世界の宗教指導者の中で、ブッダのみが外部からの援助を借りず、人間は本来授かっている偉大な内在的能力によって自らを救済することができることを証明した唯一の、栄ある存在である。……」    


この本のいちばん最後、佐々井秀嶺さんの解説の結語部分で風に書かれている。
===
 …、この『ブッダとダンマ』たる一書を除いて、他書によるインド民族の人間解放とこの娑婆世界、この世・人間世界における仏国浄土建設は不可能であることは右記に私は度々口を惜しまずして述べている。 430p
===


アンベードカルも佐々井秀嶺さんも、火傷するくらい熱そうだ。でも、ちょっと苦手。



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