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zoom RSS 『蝶文明』メモ 後半部分

<<   作成日時 : 2009/11/21 08:26   >>

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前半 http://tu-ta.at.webry.info/200911/article_7.html はグラウンディング=自然回帰がテーマだった。後半のテーマは戦争。
ここでも前半同様、西洋のパラダイムでは解決しないという。
以下のような言葉が引用される。

A・トゥインビー「新しい文明は古い文明の崩壊の原因となった問題を解決して救世主の役割をはたす」

アインシュタイン
「ある問題の発生につながったのと同じ思考方法によって、その問題を解決することはできない」

これらの指摘は「西洋文明に変る、戦争をしない平和な文明が興る」ことが示唆しているという。

そして、「世界はひとつにならざるをえない」ともいう。
それは一者が支配するグローバリズムではなく、多数がひとつに響きあうハーモニーだと。

9条を条文どおり、選びなおし、武器を本当に捨てるのか、どうか。

9条を選びなおすのが地球人として生きる道で、いつまでも日本というナショナルな枠組みにしがみつこうとするというか、アイデンティティを日本に置いているのが改憲派だという。

http://tu-ta.at.webry.info/200707/article_14.html
でも紹介したが正木さんは明治維新をよく例に出す。
この本でも紹介されている。維新前は日本人というアイデンティティなどほとんどの人がもっていなかったのに、わずか10年でドラスチックに変るのだと。


それから、興味深いのが「百済のカルマ」という部分の冒頭。
そこで、埴原 和郎(著) の「日本人の成り立ち」が紹介される。
それによると、日本人の8割は大陸・半島から渡来してきた人の子孫で、2割が縄文人の子孫だという。そう、もしかしたら、ぼくのオリジンがどっちなのかはわからないが、それはありそうな話だと思う。

たとえば、

http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-56.htm
では以下のように書かれている。
===

5.弥生人の渡来
 縄文文化、本質的に、中石器時代文化(彼らは土器を作るような新石器時代の特性を表示するが)は、B.C.11世紀から本土からの移民の波によって置き換えられた3世紀まで日本で繁栄した。これらは弥生人であった。そして、彼らの起源は中国の北にあった。中国北部はもとは森林、流水および降雨でいっぱいの温和で繁茂した場所であった。しかしながら、それは、西暦紀元前数千年に、外に乾き始めた。この乾燥、それは世界で最大の砂漠のうちの1つ、ゴビ砂漠、を結局うみだした、は、南と東の先住民を追いやった。これらの諸民族は朝鮮へ押し寄せ先住諸民族に置き換わった。結局、これらの新しい入植者は、中国北部からの移住の新たな波によって置き換えられ、そして、彼らのうち多数が日本列島へ渡った。この理由のために、ほとんどの言語学者によれば、中国北部の言語、朝鮮の言語および日本語は、同じ語族の中にすべてある。さらに、モンゴル語(中国北部で話されている)がこの語族の一部であり、さらにモンゴル人が遙か西方に世界征服したので、日本語が属する語族が日本からヨーロッパへ地理的な地域を横切って話される。この語族の中の最西の言語は、ハンガリーで話されているマジャール語である。また、この語族の中の最も東にある言語が日本語である。

6.農業、金属器、新宗教
 弥生人は彼らで農業、青銅と鉄の道具、およびはるかに後になって神道と呼ばれるようになる新しい宗教をもたらした。彼らの移住が原住民に何をもたらしたかについては、いくつかの可能性がある。日本で広く受理されている理論によれば、弥生の移住者の波は非常に小さく、彼らは新技術をもたらしはしたが、彼らは全て在来の縄文人に同化した。この説明によって、特に神道によって代表される日本の文化は太古からの日本固有のものである。
 ごく一部の日本人研究者は、縄文人がアウストロネシア語を話していた、すなわち、縄文人は、より密接に南の太平洋の島人と関係があったと考えている。西洋の歴史家は、弥生人が先住縄文人に置き換わった、したがって永久に縄文文化を終了させた、と信じている。弥生人は先住民の言語、社会様式および宗教を置き換えた。この考え方では、日本文化が中国北部および古代朝鮮に由来する外国の輸入品ということになるが、現代の日本人にはあまり人気がない考え方である。
 日本の文化の源が何であっても、日本の言語、社会構造および宗教は弥生の移住者より以前までさかのぼるができないことは明らかである。それゆえ、実質的に弥生文化は、日本の文化における新たな始まりである。これらの新しい移民によって日本の文化は劇的に変えられた。8000年間の文化的平穏は、農業の時代へと劇的に飛躍したのである。
====

これらを見ても、いまいわれる天皇制を始めとする「日本文化」のオリジンが海の向こうにあったことは間違いなさそうだ。


次に正木さんは金 達寿 (著) の『 日本古代史と朝鮮 (講談社学術文庫)』から日本の教科書の「帰化人」に関する記述を紹介するのだが、これは85年の本だ。いまでもこんな「帰化人」とかいう間違った説明がされているとは思えないのだが、どうなんだろう。このあたりはもう少しアップデートした情報が欲しいところだ。いまでも教科書に「帰化人」とか書かれてるとしたら悲惨な話だけどね。

ただ、80年代に学校教育を受けた人間は「帰化人」と聞かされてきて、それが多くの人に残っているのは間違いない。こんな歴史認識が80年代まで主流だったことの意味を考えるのも興味深いかも知れないと思う。

とにかく、正木さんはこのように日本人の歴史認識の間違いを強調している。そこは確かにもっと強調されるべき点だと思う。

日本の人口の8割が弥生時代に渡来してきた人の子孫だという議論をパレスチナにあてはめると面白いかも知れない。もし、縄文人が世界の別のところに生き残って、お金持ちになっていたりしたら、ここは縄文の地だから、渡来系の人は出て行け、という話になるわけだ。日本に住む8割の人を追い出されることになる。そして、実際にパレスチナの地ではそのような事態が61年も続いている。


そして、ここに書かれている古事記と日本書紀にどうして朝鮮半島についての記述がないかというのも納得できる話だ。



最後に9条の話に戻る。
正木さんは国民投票で9条を選びなおすことの積極性を提起している。どんな形でこの国民投票が行われることになるのかが問題だと思う。現状では、それを積極的に選びなおすことを可能にするような国民投票が行われるとは思えない。国民投票でそれを選びなおすというのは尊重するに値する考え方だと思うが、もう少し具体的に提起しないと、危険な流れに巻き込まれてしまいそうだと思う。


また、ここで正木さんは肥大化した物質文明を制御する装置とか戦争の問題を「心の成熟」の問題と結びつけるのだが、そこは少し物足りない。心の平和を育てることは確かにすごく大切だと思う。それはスピリチュアリティの重要性ともつながる。しかし、現代のシステムや制度を具体的に変えていく運動やビジョンも同じくらい重要だとぼくは思う。それをどうつなげるかというところに大きな課題が残されていると感じる。


しかし、ここで同時に正木さんが提起しているように、本当の意味で平和憲法を選びなおすときに韓国との和解が必要だというのはその通りだと思う。もっと言えば、東アジアの近隣の国ぐにとの和解をどう実現するかというのは大切な視点だろう。



P.S.
ついでの話なのだが、この本の中で正木さんは
松江の近くの佐多神社を紹介している。
===
・・・立派だけど飾り気がなく、古びた風格があって、どっしり落ち着いていながら権威的でなく、おおらかなお祖父さんの御殿といった雰囲気がありました。
 参拝してから、社殿の左側の石段をのぼってみると、山の中に磐座(いわくら)がありました。脇に立っている大きな木の根元に、すっぽり抱かれて・・・
===
この磐座(いわくら)にぼくも坐ってみたい。


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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
最後のところ、
佐太神社の間違いです。たぶん。
tu-ta
2013/10/24 04:22

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