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zoom RSS 「無主、無縁、無所有」について (『無縁・公界・楽』メモ)

<<   作成日時 : 2009/11/10 01:17   >>

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http://tu-ta.at.webry.info/200903/article_11.html
で、「無縁」というのがよくわからないと書いている。以下、そこからの引用。

====
4節 田中正造が問いかけていること

 ここから、本題の「田中正造が問いかけていること」という節に入る。

 この節は@〜Eに分けて記述されている。
 @ 田中正造が最終的に到達した原理
 それは「無主、無縁、無所有」の原理だという。この原理を歴史哲学の原理として打ち出したのは網野善彦であり、田中正造が明確な原理として、この思想を説いたわけではないが、この思想の担い手であり、最終的にこの境地に立っていたという。花崎さんはこの原理をよく持ち出すのだが、なんだかわかったようでわからない。
 「無主、無縁、無所有」。
 ここでの花崎の説明によると、網野の説では、人類史の出発点はこれを原理としていたし、人類史を貫いてこの原理が息づいているという。
 「無主」というのは主従関係がないということだろう。これは理解可能だ。「無縁」というのがいちばんわかりにくい。網野にあたる必要があるのだろう。「無所有」というのはわかりやすいが、所有していいものと所有してはならないものがあるのではないか。個々の努力に対するなんらかのリターンはやはり必要なのではないかと思う。無制限の所有は問題だと思うし、中村尚司が書いているように売り買いしていいものと悪いものがあり、それは所有の問題にもつながる。ある程度のモチベーションを維持するための一定の所有はあってもいいと思う。
==このブログからの引用ここまで==


というわけで、この「無縁」というのを調べるために『無縁・公界・楽』という本を読んでみた。サブタイトルは「日本中世の自由と平和」となっている。

表紙には以下の紹介文が掲載されている。
===
近世の縁切寺、中世の市、古代のアジール、また遍歴する職人や芸能民たち――
歴史の表舞台に登場しない場や人々のうちに、所有や支配とは別の関係原理、〈無縁〉の原理の展開と衰微を跡づける、日本の歴史学を一変させた決定的書物。
===

で、「無縁」とは何かという話だが、amazonのレビューにわかりやすいものがあったので、部分転載 By ib_pata さん
===
ネガティブなイメージのある「無縁」という言葉は、徴税される義務などからの縁を切る、という意味のポジティブな意味合いを持ち、「駆け込み寺」のように、公権力の及ばない場所に逃げ込めば、縁を切ることができる、という救いへの希望であり、西欧などでもあったアジ―ルにほかならない、と。無縁坂なんていう場所の名前は今でも残っているが、坂とか河原とか、境界のような場所は日常空間ではなく、古代からの残されたきたような意識を働かせれば、それは神の宿る場所でもある、と。
===

というわけで、「無縁」という言葉はポジティブに使われている。


その「無縁」を知りたくて、この『無縁・公界・楽』を読んだのだが、読んで、数ヵ月後の今、メモを書いている。記憶はほとんど飛んでいる。

以下、やっとぼくの読書メモ本題。

どうも、この「無縁」こそが、この本のキーワードである。

「まえがき」に網野さんが高校教員時代に受けた質問の中で、鮮明に残っている二つの質問が紹介されている。簡単にまとめると、
1、平安末期以降、何度か天皇の力が弱まったのに、なぜそれは滅びなかったのか
2、なぜ、すぐれた宗教家は平安末期・鎌倉という時代にのみ輩出したのか

前者の質問について、「伝統の利用」とか権力者の弱さとかの説明で質問者を黙らせることができたが自分で納得できず、また後者の質問には一言の説明もできなかったという。

この二つの質問について、考え続けた結果がこの本だと網野さんは書いている。



そして、この本のサブタイトル「日本中世の自由と平和」の「自由」と「平和」について、西欧近代以降のそれとは異なるということを明記されている。カッコつきで表した「自由」と「平和」を基盤にして、近代以降の自由と平和の理念は生まれたという。

ここに続く部分がぼくにはわかりにくいことを含むというか、正直、よくわからなかったので、そのあたりを引用してみる。

====
……。しかし、「自由」と「平和」はあくまで原始以来のそれであり、その実態は時代とともに衰弱し、真の意味で自覚された自由と平和と平等の思想を自らの胎内から生み落とすとともに滅びていく。だからこそ、世俗の世界から、この「自由」と「平和」の世界に入ることはできても、その逆の道を戻ることは次第に困難、かつときには「絶望的」と思えるほどになっていくのである。そして、滅びるものの否応のない宿命として、「自由」と「平和」も、見事に滅び去ることも、淋しく消え去ることもあろうし、また、頽廃し、ときには「悪臭」すら放ちながら、姿を消していかざるをえないこともありうるであろう。
====
「頽廃」(たいはい)がわからなくて、タイプに苦労した。

ぼくにはこの説明から、西欧近代の自由と平和と、原始以来の「自由」と「平和」の違いを読みとることができない。

とにかく、何度も読み返して、この部分の意味の把握に努力してみた。(ぼくみたいな人間にもわかるように書いてほしいよ、中沢新一のおじさん)

つまり、世俗から離れた自由や平和の概念の世界(それは精神性・スピリチュアリティの世界とも呼べるだろうか)に世俗の人は入ることはできるが、世俗に自由や平和を呼び込むことはすごく困難だということなのだろう。

まえがきのメモに戻ろう。この直後に「無縁」がとても大切な概念であることが披露される。つまり、この世俗の権力や武力とは異質の「自由」と「平和」を本書では「無縁」の原理というと書いてあるのだ。。

この「自由」と「平和」つまり、「無縁」の原理が、
<<人類史と、その日本の自然の中に生きてきたわれわれの祖先たちの生活に及ぼしつづけてきた、はかり知れない影響の大きさ、その「再生」への展望を、私はできるだけ強調したかったのである。>>

とまで、書いてあるわけだ。そう、この「再生」への展望こそ、わたしが望んでいるものでもある。

重要な部分だと思うので、続きを引用しよう。

===
 もしも読者が、この粗野な叙述の中から、われわれ日本人の歴史が、他の諸民族――人類の歴史に共通した法則に貫かれているとともに、われわれの祖先たちも、決して他の民族にひけをとらないだけのものを、自らの生活そのものの中から生み出したことを、多少とも知っていただければ、それで私の望みは叶えられたといってよい。
===

もう、これくらい重要な位置に「無縁」はあるわけだ。



今日は前書きまで
(続きは書けるかどうか不明)








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