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zoom RSS 「怯えの時代」メモ その4

<<   作成日時 : 2009/12/13 10:08   >>

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前回の読書メモの続き

第四章 冷たい貨幣か、温かい貨幣か

読み終わってからずいぶん時間がたって、書かれていたことをほとんど覚えていない。付箋をもとに再読してメモ。


この章の冒頭で以下のように書かれている。
===
私たちはいまどんな記憶を回復したいと思っているのか。私には未来はこの思いからはじまるという気がしてくる。
===
いろんな世代にいろんな記憶があり、どうすればそこから未来が見えてくるのかわからないが、とりあえず、この章のメモを始める。

この文章に続けて、今の社会を少しマシにはできるだろうと内山さんは書く。しかし、それではどうにもならない状態がある。だから、この状況を直視するとき、「私たちはどんな記憶を回復したいのか」と問いたくなり、私たちはどこに戻りたいのか、と問う。
そして、過去には戻れないので、記憶を回復したいのだと。
振り込み詐欺に容易に引っかかってしまう人を例に、内山さんは「温かいお金」への願望があるのではないか、と書く。
それは人と人との関係の中で、あるいはそのために使うお金だと。
どんなお金もある意味、人と人との関係の中で、そのために使われるお金ではあるのだが、ここで内山さんが書きたいのは、利殖や自分自身の生存や自由の拡大のためだけに使われるのではないお金ということだと思う。

彼が記憶が回復したがっているのは「温かいお金」の世界だ、と書かれている。

内山さんは社会を根本的に変えなければいけないときが来ていて、そうでなければ「冷たいお金」に振り回されながら無力な人間として生き続けるしかなく、ここには幸福感はない、という。だから、温かいお金なのだ。そして例に出されるのか「無尽」や「講」だ。山梨ではそれがまだ生きていて、40〜50代以上の人なら、3つ4つの無尽に入っているのは普通らしい。
壊れた時代を根本から問い直すための出発点はこんなところにあるというのが、内山さんの解決に向かうひとつのヒントとして提示される。

そして、彼の記憶が回復したがっているのは、
===
人間が自分たちの力で生きていると感じられるようなローカルな世界である。
===
と書かれている。

ただ、なかなかこのローカルが取り戻せない体制の中で、自滅していくしかないのか、いう。

その自滅していくしかないのか、という問いの後にくるのが「信仰」の話だ。
ここで内山さん個人が信仰と呼びたいと書いているのは山神信仰や水神信仰といった宗教になることのない信仰。村ではいまでもそれが大切にされていて、その「信仰を通して村人は自分たちが暮らす自然と人間の里をつかみ、共有している。自分たちでつくりだしてきたローカルな世界があることを確認する」という。

ここで彼の記憶が回復したがっているローカルと再びつながる。

再びここで江戸時代の「講」が例に出され、それは信仰と娯楽と助け合いの機能を持っていたという。そのような場を通して共有された祈り、この祈りを通して人々がつかみとっていたのは「私たちの生きる生命世界のありかただったような気がする」と書かれている。

明示されてはいないが、この生命世界とのつながりをどのように取り戻すのかが課題として提出されているように感じる。

この本の結語を以下に引用
===
 この状況に対して新しい巨大なシステムを提示することは有効ではない。ローカルな世界、ミクロな世界、「里」の世界、どんな言葉を使ってもよい。生命が結び合う確かな世界をつくらないかぎり、私たちは喪失によって手に入れた自由人であり、自分を守ろうとする怯えた存在でありつづける。
===

こんな結語がこの本には準備されていた。「生命が結び合う確かな世界」を回復する手だてはあるのだろうか。



そのヒントはエピローグにいくつか記載されている。

その冒頭に
===
これから私たちは、「連帯」という言葉を少しずつ取り戻していくことに。なるだろう。そこからしか未来は語れないからである。何と連帯するのか、連帯の意味とは何なのか。
===
と書かれている。その答えはすぐには提示されない。

それは説明されずに本文でもされてきた現状の分析について再びここで記載され、近未来の予測もされる。

例えば、恐慌、1920年代末からの世界恐慌のときにはまだ、支えあう民衆の力が残っていた。しかし、現代にはそれはほとんど残っていない。この状況下で恐慌が発生したら、町は途方に暮れた個人が漂流する場になり、人類史上経験しなかった事態を発生させるかもしれない。裸の個人を恐慌が襲ったとき、社会がどのように劣化していくのかは未経験だからだ、という不吉な予言がある。
こんなに怖いことが書かれているのだから、冒頭に「連帯」という希望の言葉を持ってこざるをえなかったのかと思う。

さらに不吉な予言は続く。それはおどろおどろしい不吉な予言としてでなく、淡々とした事実の積み重ねのように記載されている。
===
 おそらく私たちはこれから資本主義と市民社会、国民国家が、三位一体の体制であることを直視せざるをえない状況を迎えていくことになるだろう。経済の劣化が市民社会を劣化させ、国民国家をも劣化させていくかたちを、である。
===

市民社会の劣化という話でぼくが想起するのが「在特会」の活動だ。いままで、表立っては言われることはあまりなかったような排外主義の表現が表面化されるようになってきた。日本の「市民社会」(そんなものが本当にあるだろうかとも思うが)
は目の前にある排外主義とどう向き合うことができるのか、というのはひとつの試金石になりそうだと思う。

内山さんはその「劣化」の結果としての2種類の「内乱の時代」を生み出すのではないかという。ひとつは未来の希望とつながらない絶望的な内乱。もうひとつは国民国家が維持できなくなっていく内乱。近代的世界がその内乱の時代を回避しようとすれば、戦時体制の確立しかなく、それもまた悲惨な破滅への道だと。

この不吉な予言はここで閉じられ、エピローグの4節に入る。

ここで、この本で書かれていたことが別の言葉で要約されている。
===
 本書のなかで私が述べようとしたことは、近代から現代にむけての発達原理が今日では劣化原理として働いている、ということである。
===

近代とは違う枠組みが求められる。

そして、問わなければならないことは。私たちはどうしたら劣化の連鎖から抜け出すことができるのか、である。

ひと昔前ならこの問いに社会主義という答えを唱える人々が登場しただろうが、私はそう答えない、と内山さんは書く。それはソ連型社会主義が破綻したからではなく、社会主義と資本主義は根本的に同じ問題をかかえた体制だからだ、と。

そして、世界を統合していくような「大きな物語」を否定する。その根拠として書かれているのは、
===
近代の指導者たちが思い描いた「ひとつの普遍的な思想によって世界を統合していくという発想自体が、世界を「経営」するための資本主義と市民社会、国民国家による三位一体の体制を成立させ、その成立が今日の破綻を生みだしているのである。
===
ということだ。この根拠はあまりにも脆いと思うが、ぼくも大きな物語はもういいかなぁと感じている。とりあえず、これだと思えるようなものは思いつかないし。

ただ、いま、南米で起こっている社会主義にはちょっと興味がある。こんな時代に「社会主義を」いうというのはどういうことだろうと思う。彼らが社会主義の負の側面を知らないわけはない。同時代を生きているのだから。にもかかわらず、「社会主義を」というその中身は知りたいと思う。以前、「ラテン・アメリカは警告する」という本があったが、編者の佐野誠さんや内橋克人さんは、その事態をどう捉えているのだろう。

閑話休題、「大きな物語」は必要ないという話を引用してみる。
====
・・・もはや世界を統合していくような「大きな物語」は必要ではない。世界はこうあるべきだというような発想自体が、近代主義の枠内である。私たちは「大きな物語」にもとづいて未来を語るべきではない。
 そうではなく、私たちは自分たちが生きている時空を語り、そこにどのような存在の世界を創造したらよいのかから、思考をはじめる必要があるのだと私は思っている。あまりにもバラバラになり、あまりにもボロボロになってしまった私たちが生きている時空。この劣化した時空をどうつくり直すのかから、私たちは歩みをはじめるべきなのではなかったか。
 私はその出発点に「連帯」という言葉があるように思う。結び合うこと、助け合うこと、支え合うことである。
 そしてこのことは、次のような問いを生むだろう。私たちは何と連帯すればよいのか。
====
ここでエピローグの4節は閉じられ、5節に続く。内山さんが「連帯」に希望を見い出すところは、すごく同感だし、近代の枠を超えなければいけないという提起もその通りだと思うし、前に書いたように「大きな物語」もかなりあやしいと思っているのだが、ぼくは現在について内山さんほどには絶望していない。たしかに大きくバラバラになり、あまりにもボロボロではある。でも、そこを越えようと努力している人は少数派であってもそんなに少なくはないはじではある。ま、これが内山さんに「連帯」という言葉を吐かせる根拠になっているのかもしれないが。

そして、「私たちは何と連帯すればよいのか」に続く5節だ。この本の常であるように、ここでもすぐに答えは提示されないと思ったら、ここではわりとすぐに答えが提示されている。このスタイルにあと数ページという段階でやっと慣れてきたのに。まず、連帯という言葉からの連想から始まる。それは人と人との連帯。そして、近・現代史の中で「連帯」は提起され続けていたのに主流にはなりえなかった、その課題を考えるために連帯の対象から外されてきた自然との連帯の話になる。それは単純ではない。禍を与える自然もある。それと連帯できるのかが問われる。そして、6節ではそれは人と人との連帯でも同じだとされる。

対立する部分も含めてどう連帯するのか。対立する他者のかけがえのなさをどう認めるのか。

日本社会ではどうか。
第一に個人と個人の連帯ではなかった。個人の基盤には共有された世界があり、村は個人が集合している場所ではなく、共有された世界に個人が参加している場所だった。この基盤があったから、自然とも他者とも連帯することができた。(だから、そのルールに従順でないものは息苦しかったのだと思うが)

第二にその共有された世界をとおして成立する連帯の基本は、折り合いをつけることにあった。正しい理念にもとづいて連帯するのではなく、他者と折り合いをつけること。

対立と折り合いをつけるために共同の力が必要になる。

近代以降の連帯は正しい理念、正義が基礎にあり、その出発点は個人の意志にあった。しかし、それに対して日本の伝統的な民衆の発想は、正義を求めることではなく矛盾を受け入れることであり、連帯の出発点は共有する世界の方にあった。

ここで6節は閉じている。

ここからエピローグの最後、つまり本当の最後の7節、こんな風にはじまる。
===
これからの社会ではさまざまな連帯が求められていくことになるだろう。
===
まず、例にあげられるのが労働と労働の連帯、労働者と労働者の連帯。ここでもその関係の中にある矛盾をどう受け入れるかが課題になる。その折り合いをつけることが可能な自分たちの共有された世界をどう築くかと問う。
そして、こんなふうなことが書かれる。
===
 自然との連帯、地域社会での連帯、都市と農山漁村、高齢者と若者、健常者と障害者、異なった文化のもとで暮らす人の連帯……。それをひとつひとつみつけだしていく積み重ねに先に、今日の社会システムとは異なる未来の姿が見えてくるような気がする。
===

そう、障害学が障害をテーマにしながら、もっと深い射程をもった学問だという根拠がここにある。

これに続けて、これらのことから「私は何をみつけだそうとしているのか」と問い、こんな風に答える。
===
それは生命と生命の結びつきのなかに私たちの世界は展開しているのだということがみえる、感じられる世界の創造である。
===

これを取り戻せというのが、ひとつの結語だ。

生命が結び合う世界をつくるための緒(いとぐち)として、連帯という言葉の意味をみつけだすことではないかと思うと内山さんは書く。

最後にこんな風にこの本は閉じる。

====
 連帯のために知恵を使い、言葉を使い、時間を使い、お金を使うことのできる人間だけが、そしてそのことを実行に移せる共有された世界を築こうとする人間だけが、現代とは違う未来をみることができる。
====

なんだか、もう付け足すことはないような気がしてきた。











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