今日、考えたこと

アクセスカウンタ

zoom RSS 「‘文化’資源としての炭鉱」展への雑感

<<   作成日時 : 2009/12/20 05:39   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 6 / コメント 1

今日、っていうかもう昨日だけど表記の展覧会に行ってきた。

目黒区美術館
「‘文化’資源としての炭鉱」展
http://www.mmat.jp/event/tanko/index.html

切り口も面白いし、美術館の新しい可能性を感じさせる企画だと思う。
担当の学芸員の正木さんにも少し話を聞かせていただいた。「‘文化’資源としての炭鉱」という展覧会の名称に言葉に出来ない違和感を感じないわけでもないが、文化にコーテーションマークがついているところに何か含意があるんだろうと思う。聞いてくればよかったが、自分でその違和感が説明できないのがダメなところだなぁ。

展覧会は12月27日の日曜日まで。僕としてはすごくお勧めなので、行ける人には行ってほしい。で、図録のテキストを読むとさらに興味は深まる。残念ながら重厚で豊富な内容の図録はもう売り切れていた。なので、美術館で少しメモしてきた。

そこでメモしたものを中心に以下。この図録、ぼう大なテキストが含まれているので、読めたのはここに引用する2本のテキストだけ。買えなかったのは残念だけど、もし買ってたら、こんな風にメモすることもなかったかもしれないので、まあそれはよかったかもしれない。図録の内容をWebで公開してもらえたりするとうれしいと思う。


まず、読んだのが富山妙子さんへのこの展覧会の担当学芸員の正木さんのインタビュー。

以下、富山さんインタビューから少しだけ転載
このインタビューのタイトルは
「炭鉱から広げた「美術」と「世界」」
(この括弧の使い方は日本語表記法的には正しくないんだろうけど)
====
富山:・・・・炭坑の専門家の正田誠一先生・・・現在の産業を支えるエネルギーの世界史的な視線を教えて下さり、「これは社会的な大変なテーマに飛び込んでしまったな」と思いました。アートの視線で社会的な問題をえぐり出すというのはとても難しいんです。下手をすると、社会主義リアリズムになってしまい、ケーテ・コルヴィッツになってしまう。日本の目にならないんです。木版にすると、今度は土俗的になってしまう。そうではなく、私は近代の目で描きたいと思っていまsた。叙情の歌は歌いたくない、貧乏物語もやりたくない。それはカメラで土門拳がやりましたね。絵でできる領域は何か、ということを考えはじめていました。炭坑の表現で迷っているうちに・・・・


富山:・・・1950年代の時はまだ30代で、画家に成り立ての頃でした。また、私は否定しているのに「日本のケーテ・コルヴィッツになれ」と言われたりしました。

正木:「ケーテ・コルヴィッツにならないようにする」とお考えだったのは、すごいですね。あの当時50年代は、多くはケーテ・コルヴィッツ風に描こうとしていたのでは・・・・。(略)

富山:ケーテ・コルヴィッツは19世紀的な表現だと私は思います。彼女が描いたのは、一つ前の時代の労働争議の雰囲気ですね。私が描くのは近代日本の炭坑閉山の状況ですから。ケーテ・コルヴィッツの時代に引っ張りもどされるのがこわかったんです。

正木:いわゆるルポルタージュアートというのは・・・写実一辺倒ではなく、シュールレアリズムが混在した形で描くという形になってきた。富山さんの絵がそういう意味でいうと、今、そうじゃないことがはっきり分かるんですけど、シュールレアリズムの混在がないことで、社会主義リアリズムの方への傾倒とみられたのではないでしょうか。・・・のプロレタリアリアリズムと、・・・らのルポルタージュアートとの狭間に入り込んでしまったといえるのではないでしょうか。

富山:そうかもしれませんね。

正木:シュールレアリズムっていう形は取られてませんものね。また、いわゆる社会主義レアリズムという切り口ではなく、自身で見て、個人の見解だけでなく、歴史的背景を照合して解釈を伴ったリアリティーを出したいということが、個人の主観のリアリズムだと取られたということは合ったように思うんです。

・・・

正木:これは歴史的にも、美術史的にも新しい領域に踏み込んだ作品と言わせてください。


===富山さんインタビューから引用ここまで===

最後に引用した正木さんの「これ」っていうのが何を指すのかもう一つわからなかったのが残念だったけど(「これ」も聞けばよかった)、富山さんの作品がこんな風に位置付くのかというのは面白かったし、富山さんのケーテへのちょっと複雑な思いも興味深い。

ただ、ぼくから見ると富山さんの作品はプロレタリアリアリズムとかルポルタージュアートという潮流にこだわらずに書きたいように書いているようにも思える。もちろん、その主題と社会的なテーマは密接にからみあっているし、たぶん、そんなに暮らし向きは楽じゃなかっただろうから、そういう葛藤もあっただろうけれども、それでも彼女が自分が書くべきだと考えるテーマをそういう潮流とかを飛び越えたところで表現していたし、いまもそうじゃないかと、ぼくには思える。

そして、彼女自身はここで「近代の目」という表現をしているのだけれども、最近の作品は「近代の目」も超えるところから書いているようにも感じる。



次に気になったのは以下の論文。再び、適当にメモしたものを転載
====
北海道炭鉱労働者の共同制作
1950年の<人民裁判記録画>をめぐって

ジャスティン・ジェスティー

・・・このようなプロの美術家でもない労働者による共同制作の作品は、鑑賞に値するものかという疑問が沸き上がるだろう。確かに、この時代に典型的なリアリズム絵画は、現代美術の立場からは評価が困難であるかもしれない。しかし、今日の現代美術ではもはや単体で存在する作品そのものには捉われない「作品」の考え方も、一つの傾向として大きな勢力を占めつつある。より具体的に言えば、そうした傾向の中では、作品とは、作品を生むプロセスそのものであり、そのプロセスの中にこそ美的価値が認められるのだ。

 この考え方に沿って、美術というものを人と人をつなぐプロセスーー視覚的な新鮮さよりも、社会構造における新たな可能性を協働して模索することーーだと見なすならば、本作品が持つ制作と展示の社会的プロセスは、極めて刺激的な先駆的事例として評価に値するものだと提案できる。(注5:「版画と版画運動」「現代思想」臨時増刊「戦後民衆精神史」)


最後に、最も大きく最も困難な、「リアリズム」の課題に触れて締めくくろう。・・・(戦争記録画を描いた画家が、戦後になって自分のスタイルを一切変えずに左翼的な美術運動に転じて・・。この(ことへの)批判は、1955年前後から噴出したが、近年の針生一郎が論じた「アリバイ」としてのリアリズム批判にも、その反響が認められる。

・・・・

確かに彼らが用いたリアリズムの理由や意味は大きな問題点であるが、安直なリアリズム批判は、この場合には見当違いに見える。むしろ、リアリズムこそが彼ら炭鉱労働者の美術家たちにとっての内発的なモティーフがあったことを、改めて確認すべきではないだろうか。

==抜書きここまで==

注5の「現代思想」臨時増刊「戦後民衆精神史」に掲載されている「版画と版画運動」は読んだ記憶がある。いま、見つからないんだけど。

<単体で存在する作品そのものには捉われない「作品」の考え方>
例えば、ここで取り上げられているこの絵、この長い説明の論文があって、興味がわくのだけれども、あの絵が単体で展示されていても、そんなに面白いものとは感じなかったはずだ。そのあたりの難しさがあるのだと思う。

「彼らが用いたリアリズムの理由や意味」にどのような「大きな問題点」があるのかわからない。「文化冷戦」という英語の本が話題になっていたが、リアリズムと抽象表現主義、そこにどんな政治があり、アートシーンはそれにどのように影響されてきたのだろう。

ここでジャスティンさんが書いている<最も大きく最も困難な、「リアリズム」の課題>、もう少しその中身を考えてみたい。



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(6件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
「‘文化’資源としての<炭鉱>展」
目黒区美術館にて開催中の 「‘文化’資源としての<炭鉱>展」に行って来ました。 ...続きを見る
弐代目・青い日記帳 
2009/12/22 10:50
私と炭鉱
学生の頃、赤瀬川原平らの「超芸術トマソン」が好きだった。街の中に機能を果たさなくなった建築の残滓を追い求める行為に、意味を剥ぎ取られたオブジェに対する偏愛を感じた。 ...続きを見る
中年とオブジェ〜魅惑のモノを求めて〜
2009/12/23 09:58
文化資源としての炭鉱展 (目黒区美術館)
会場は目黒区美術館とお隣の区民ギャラリー。そして東中野の映画 館で映画まで上映しています。私は美術館・ギャラリーの展示のみ 観てきました。 ...続きを見る
徒然と(美術と本と映画好き...)
2009/12/23 22:41
「文化資源としての炭鉱展」 目黒区美術館
目黒区美術館(目黒区目黒2-4-36) 「文化資源としての炭鉱展」 11/4-12/27 ...続きを見る
はろるど・わーど
2009/12/27 16:19
‘文化’資源としての<炭鉱>展
昨日の話、終了前日に観に行って参りました。&darr;&lsquo;文化&rsquo;資源としての<炭鉱>展11月27日(土)〜12月27日(日)様々なアートブログさんでのレビュー公開が相継いだり、全国紙のベスト展覧会に選出されたりもしたため、果たしてどれほどまで素晴らしい展覧会な.... ...続きを見る
南武蔵発ぶろぐ
2009/12/28 00:48
今朝、PPMLに投稿したもの
記録のためにこっちにも保存 ...続きを見る
今日、考えたこと
2009/12/28 18:19

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
TBいただきありがとうございます。
はじめまして。
中年とオブジェのテツです。
私は現代美術を中心に建築などに興味を持っておりますが
今年は、横浜の桐蔭学園で初めて原画を観た「原爆の図」
越後妻有アートトリエンナーレでの回顧展で知った富山妙子さん
目黒の炭鉱展が強く心に残っています。

富山さんの映画「はじけ鳳仙花」も鑑賞することができ
炭鉱展の意義は本当に大きかったと思います。
テツ
2009/12/23 10:08

コメントする help

ニックネーム
本 文

トップ頁の右上に広告が入るようになっちゃいました。それがいやな人はさらに追加してお金を払いなさいとのこと。というわけで、この広告クリックしないでください(なんて、けなげな抵抗)。==============ブログ内ウェブ検索

ブログ内 を検索
「‘文化’資源としての炭鉱」展への雑感 今日、考えたこと/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる