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zoom RSS 「この世界の片隅で」山代巴編(岩波新書1965年)読書メモ

<<   作成日時 : 2010/02/16 06:22   >>

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こうの史代の漫画「この世界の片隅に」を探して出会った本。そっちはまだ読んでいないので、このタイトルの類似の意味はわからない。

まえがきの冒頭に、この本は「広島研究の会」の最初の成果とされ、(最後に少し紹介する)《故川手健の方法と不可分に結びついています》と書かれている。

編者の山代さんはこのタイトルについて以下のように書く。
 この本の名を、『この世界の片隅で』ときめました。それは福島町の人々の、長年にわたる片隅での闘いの積み重ねや、被爆者たちの間でひそやかに培われている同じような闘いの芽生えが、この小編をまとめさせてくれたという感動によるものです。……
ここが片隅だとしたら、中心はどこにあるのかという問いは残るが。


ともあれ、この本の内容は何人かによる被爆者の暮らし(主に50年代から60年代にかけて)のルポルタージュ。

冒頭の「相生通り」(文沢隆一)を読むとこうの史代の『夕凪の街』をよりリアルに感じることができる。例えば、相生通りに関する発表された数字を記載した後に、その数字は信頼できないとして、こんな例が
「最初はAの廂を借りて住んでいた人が、家族の増加とか、どこかで手ごろな古木材を見つけるかして、土手下まで建て増しする。そこへ知り合いのCが入り込んできて横っぴらに継ぎたす。それらが迷路のように入り組み、土手をすべり下りたところに入り口があるかと思えば、床下と思ったところに思いがけなく人が住んでいるというふうだ」


ぼくにいちばん印象深かったのが「原爆の子から二十年」(小久保均)。被爆後の混乱の中でヤクザになって生き延びてきた山本を紹介し、こんな風に書く。
あれが許されるのなら、この世にはもはや許されないものはないと考える山本宏之にならって、極悪非道の大悪人になることを許される人が特別にあるとしたら、それはほかでもない、あれ(傍点で強調)を身をもって体験した人たちだけだといってみたい気持ちが私にある。135p


また、「かたきをとってください」と言いながら死んでいった被爆者を紹介した後で
 この人たちは知っていたのだ、自分の死が天災による、嘆くしかない死ではなく、人災による(だから必ずしも死ななくてもいい)死であることを。自分はいま人間の仕掛けた罠にかかって死のうとしている! 犯人がいるのだ! そやつを許すことはできない! 143p



そして、”原爆エレジー”。これは『原爆の子』編者の長田新が愛用する言葉だったらしい。それが意味するのは原爆をただ単に受動的に悲劇としてのみ捉え、敗北主義的な人間喪失の世界を描く作品群のことだ。そして、こんな風に書かれている。
 武内利忠は師(長田のこと)にならって、原爆エレジーを奏でることは観念的な平和への祈りにはなっても、主体的に平和を創造してゆく原動力にはなりえないと考えてきたが、現在ではさらにそれを進めて、それを奏でることはむしろ悪だといってみたい気持ちになっている。その理由は、そうした悲歌を誰がもっとも歓迎するかを考えてみるときおのずとあきらかになるであろう。それは原水爆をかざして世界政策を推し進める勢力に加担することになっても、その力を殺ぐ結果にはならない。悲歌は人々の心に絶望を呼び、そして原水爆の力は絶対化され、神格化される。人間によって作られ、人間によって使われるという視点がずり落ちる。


ここを読んで、はたと思い浮かぶことがあった。それは『夕凪の街』にでてくるあの台詞だ。
主人公の皆実は死を前に独白する。
嬉しい?

十年経ったけど
原爆を落とした人はわたしを見て
「やった! またひとり殺せた」
とちゃんと思うてくれとる?


この一言は『夕凪の街』を”原爆エレジー”から引き離すものとして書かれたはずだ。確かに現実には”原爆エレジー”として受容された面はあったかもしれない。しかし、こここそがこうの史代が描きたかったことではないかと、いま、思えてきた。





P.S.1
この「原爆の子から二十年」の終わり近くに、労働組合の書記長になった武内利忠が語った言葉が引用されている。
「原子力は悪をもたらす性質としてだけ捉えられるべきではなく、偉大な善をもたらす性質も他面に同時に持っていると考えるべきです」 この発言の真意がわからない。とりわけ、原子力発電が温暖化対策として賞賛される現在、これはかなり危ない。


P.S.2
この本の最後に書かれているのは『沖縄の被爆者たち』(大牟田稔)だが、さらにその最後には運動の中で遺書も残さず1960年に自殺した川手健の『原爆に生きて』のあとがきから引用されている。そこには被害者の立ち上がりを遅らせた根本原因は占領体制にあると書かれた後で、それだけではなく原爆を平和の立場から取り上げようとした人々の側にもあると書かれている。そして、こんな風にいう。
…。これらの人々(当時の平和運動 引用者注)はたしかに原爆を人類最大の罪悪と非難し、原爆の禁止を全世界に訴えはした、だが彼等はその運動を当の原爆被害者の中から引き出そうとはしなかった。疑いもなく戦争を望む勢力にとっては最も打撃となるに違いない筈の、原爆被害者の団結と被害者の組織的な平和運動に対しては余り関心が払われはしなかった。被害者が苦しい中をどの様に生き抜いていこうとしているかについての関心さえ極めて薄かったと云える。212p

川手がこれを書いたのが12年前とされている。この本の発行が65年なので、50年代の初頭のことだ。


2016年11月29日、デザイン変更

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山代巴さんについて
『原爆文学研究8』メモ http://tu-ta.at.webry.info/201001/article_4.html を書いたときは気がついていなかったこの本での山代巴さんへの言及。 ...続きを見る
今日、考えたこと
2010/02/21 07:37
『この世界の片隅に』(こうの史代) メモ
この漫画、知人の激賞を聞いて、読もうと思って大田区の図書館でまず探した。すると、『この世界の片隅で』という山代巴さんが編集した1965年の岩波新書がでてきた。山代さんの本は数人の人が、戦後、被爆者が生きてきたことのルポルタージュ。 ...続きを見る
今日、考えたこと
2010/03/06 08:43
『この世界の片隅に』『この世界の片隅で』関連のメモをまとめてみた
映画『この世界の片隅に』を見て、こうの史代さんのことや『この世界の片隅に』のことや『この世界の片隅で』のことをいくつかメモしたものがあったのを思い出したので、一応まとめてみた。 ...続きを見る
今日、考えたこと
2016/12/03 10:54

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