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zoom RSS 「清浄なる精神」(第五章)メモ 信仰について

<<   作成日時 : 2010/02/19 06:08   >>

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「清浄なる精神」(第五章)メモ 

前回のメモ
「清浄なる精神」(第四章)メモ その2
http://tu-ta.at.webry.info/201002/article_16.html
の続き。


第五章 神仏の水脈

最初の節は「近代日本の敗北」というタイトル。内山さんはアジア・太平洋戦争の話に触れた後、「いったい日本は何に敗北したのか」と問いをたてる。

米国の戦力に敗れたという以上に、根本的な何かに敗北していたはずで、とすればそれは何かとさらに問い、
「日本の近代化の敗北だったのではないかと思うようになった」と答える。
日本の近代化についていくつか書いた後、節の最後にこんな風に書く。
===
 1945年8月は、そうやって生まれていった近代国家日本のあり方が敗北したのではなかったか。とすれば日本の近代化とは何だったかを、私たちは問い直さなければいけないはずだ。
 このような視点をもって、私は神仏とともにあった伝統的な精神文化とその近代以降の変化を考えていってみようと思う。
===

それがこの章のテーマになる。
しかし、「これ本当に新聞の連載か」と思う。

次の節は「日本的信仰」
この節はいきなり結語部分を紹介
日本の伝統的な信仰としての、教義を持たない自然信仰。よくわからないけれども神や仏を大事にするという日本の人々の心情を紹介した後で、こんな風に書かれている。
==
 このようなことが「心のなかの祈り」のようなものは案外強いのに、教義を学ぼうとしない日本の信仰的世界をつくりだした。今日においても結構根強い信仰的世界を、である。
==
ぼくは本当に、今日においても信仰的世界が結構根強いと言えるのかどうか疑問だ。確かに初詣に並ぶ人は少なくない。うちの連れも行く。しかし、どれだけそのような信仰的世界が継承されているかといえば、とても心もとないような気もする。「そんなことしたら、ばちがあたる」とか言わなくなってるんじゃないか。日本人が教義を持たない信仰心を持ってきたという部分はそうだと思うのだが、その信仰的世界はかなり壊されているのではないか、信仰の対象は「モノ」や「カネ」になってはいないか、と思う。

この問いに答えるのが。「信仰の復権」という節だ。内山さんは、現在の若者のなかに、特定の宗教とのかかわる生活はしていないのに仏教や日本の神々の教えには、もっと大事にしなければいけないものがあるという視点をもつ人がふえているという。内山さんは去年まで大学の教員をやっていたから、ぼくより若者と出会う機会は多かったのだろう。でも、内山さんの近くにいる若者は特別じゃないかとも思う。

そして、内山さんは若者のそういう傾向をとらえて、この節では以下のようにいう。宗教が社会の変化に合わせて、自分の悟りをとおしてのすべての人の救済というかたちから、「自分のため」の宗教に変わっていったのだが、若い人たちの宗教観は、伝統的な信仰観を取り戻すことによって、環境問題を解決する突破口をみいだそうとしている、という。そして、近代世界のさまざまなゆがみを前に「この社会を変えるために自分は何ができるのかという思いが、日本の伝統的な信仰観を回復させはじめたのである」 それがこの節の最後の文章。

そんな風に垣間見えることもないわけではない、それは従来の社会運動とは少し違うシーンの人たち、例えば「懐かしい未来ネットワーク」関係とかにもそういう人はいそうだ。そうあって欲しいという思いはある。よく考えてみたら、ぼくの信仰(ブリーフ)観もそこに近い…っていうのは旧世代のものかもしれないけど。


「精神の基層」という節では、中国人のAさんを例にする。彼だか彼女だかわからないが、「Aさんは、日本がこれほど近代化したのに小さな寺や神社が健在で、人々にとって無くてはならないものでありつづけていることを、面白く思っているのである」と内山さんは書く。

その小さな寺や神社もどんどん維持できなくなりつつあるのが現実ではないか、という思いもある(データはないが)。
だいたい、そういう小さな寺や神社がいまという時代にどのように維持できるのか、役割を果たせるのか、というのは、ちょっと興味深い問いではある。そういうことにチャレンジしている寺があることは知っているが、そんなに多くはないんじゃないのか、とも思う。

「人生の価値」というのがこの章の最終節になる。ここから少し長い引用をしよう。
====
 人間の価値が日々の関係のなかにある。そして日本の伝統的な発想では、この日々の関係と離れないところに神や仏がいた。自分と結ばれている自然に神をみいだし、自分の生きている世界をつくりだしてくれた先輩たちをご先祖様として手を合わせた。神も仏も、自分たちが暮らす個別的で共同的な世界のなかにあったのである。
 だから、日本の人々の多くは、普遍的な宗教を求めなかったのだと思う。…
====

そして、内山さんは「今日のグローバル化は、個別的な関係のなかに人生や人間の価値は存在するという発想と対立するものとして存在する」という。そんな社会の中でローカルを取り戻そうとするとき、日本列島社会に昔からある信仰や世界中の先住の人たちの信仰がなんらかの役割を果たせるのではないかと、感じたりもするのだが、自信はない。それがぼくの軟弱なブリーフだったりする。(下着じゃないからね)




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