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<<   作成日時 : 2010/02/21 07:37   >>

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『原爆文学研究8』メモ
http://tu-ta.at.webry.info/201001/article_4.html
を書いたときは気がついていなかったこの本での山代巴さんへの言及。

竹内栄美子さんの報告のタイトルは「山代巴の文学/運動」

松本麻里さんに先日(っていうか、かなり前になるが)、カフェ洗濯屋(店の名称はほんとはスペイン語でカフェ・ラバンデリア、カフェ洗濯屋が断然言いやすいんだけどなぁ)での会で会って、『原爆文学研究8』に書いてることを聞いた。それで探してみたらあった。山代巴の報告へのコメント、報告とあわせて読んだが、両方面白い。ちょっと恥ずかしい話なのかもしれないけど、ぼくは山代巴という人をこれを読むまで知らなかった。

このメモのもとになるつぶやきを掲載したのはずいぶん前なのだが、その後、知り合いがツイッターで「この世界の片隅に」(こうの史代)が面白いと書いていたので、大田区の図書館にあるかと思って検索してみた。そこででてきたのが、「この世界の片隅で」という山代巴さんが編集した岩波新書(1965年)こっちの読書メモは先日、書いた。
http://tu-ta.at.webry.info/201002/article_14.html

で、こうのさんの「この世界の片隅に」(上中下)については、大田区の図書館にこの本は取り寄せるんじゃなくて、ぜひ入れて欲しいと、自分は読んでもいないのに知り合いの絶賛を根拠にして、頼んでいた。窓口では「それではそのように伝えます」といわれ、昨日、メールで本が準備できました。という連絡あり。今日、取りに行くんだけど、さて、購入されてるかどうか。
(購入されてました。大田区の本を借りることが出来る人はどうぞ。)


以下、もとになるのはツイッターに書いたこまぎれのメモ
それに大幅に加筆。とはいうものの、竹内さんの報告の筋を追っていつわけではなく、気になった断片を抜いているだけ。


===
谷川雁は上野英信、山代、木下順二らが「究極の現状維持の態度」を生み出していると批判していて、わかりやすい物語の「健康さと衰弱」の両面を指摘し「感動しました、震えました、それで終わり」では何事も変らないと主張した、と竹内は報告する

谷川は山代の『荷車の歌』の主人公の発想をなじり、「こんな主人公を描いている限り、家族からの解放もなければ、古い共同体へ風穴をあけることはできない」と激怒した口調で攻撃したと山代本人が書いている。谷川はわざわざ批判するために九州から広島まで行ったらしい。それは山代を認めていたが故の批判だったようだ。。

竹内さんは
==
山代によれば「最も体制的に飼いならされた人々」が自分で気づくことが何よりも大切。

牧原憲夫は谷川を北風、山代を太陽と規定。山代は都市生活者とは異なる農村での行き方に立脚し、谷川とは異なる戦略を自覚的に選ぶ。ひとびとの自覚的な行動を促しinvolveしていく戦略
==
という。


ここでもか、という感じで上野千鶴子さんが登場する。50年代の女性運動に対する谷川とは別の観点からの批判という文脈で。
ここで引用されるのは「戦後女性運動の地政学――「平和」と「女性」のあいだ」(『歴史の描き方2戦後という地政学』2006年 収録)。上野さんは55年の第1回母親大会宣言にみられる「女性=母親=平和主義者」という本質主義に強い批判を示し、谷川雁の「皆さんは、戦争中赤飯を炊き、日の丸を振って僕らを戦場に送った」という発言を引用して、以下のように書いていると紹介されている。「戦後的な母性平和主義は、かつて『母性』が積極的に戦争に動員された事実を忘れ去る点で、歴史的健忘症」

また、加納実紀代さんの山代巴評価も紹介されている。
===
山代さんは「一人の百歩より、百人の一歩」ということを基本にしておられますね。そして明日の解放を信じて今日の苦労を堪える。それはとても立派なことだと思います。ただ私自身は、遠い彼方に理想の目標を置くのではなくいまを生きる、人のためではなく自分自身を生きる、と言い切る金子文子に共感します。座談会「女たちの山代論」(小坂裕子『山代巴 中国山地に女の沈黙を破って』所収)
===
山代巴のことを何も知らないぼくはコメントすることができないのだが、「リブ体験」という言葉が浮かんでくる。

この加納さんの評価について、竹内さんは以下のように書く。
===
 理想のため、誰かのためにではなく、いまを生きる、自分自身を生きることの輝きは、誰にも否定できないことだろう。それは、父権もしくは男性に守られた存在としてではなく、女性が女性の問題を自分自身の課題として自ら語ることをなによりも重視する。そのような姿勢につながるものに違いない。ただ、そのことをじゅうぶんに認めながらも「一人の百歩より、百人の一歩」という言葉の重みもまた了解されるのである。
===


ちょっと引用をはじめると収拾できなくなりそうだ。とりあえず、この竹内さんの文章の結語だけ引用してみよう。
==
…以上見てきたような民衆自身の「集団的意思」の形成に信頼を置いてきた山代巴の思想は、戦後文化運動をとらえ直すとき、改めて検討されるべき内実を持っている。
==

《民衆自身の「集団的意思」の形成》かぁと思う。ずいぶん遠いところの話のようなきがしてならない。あるいは社会運動の目的と《民衆自身の「集団的意思」の形成》とか、考え始めると、全然収拾できなくなりそうなのでやめておく。


さて、この報告に松本麻里さんのコメントが寄せられている。タイトルは『山代巴を読み継ぐことの希望』

松本さんの視点は今日的フェミニズムに山代の実践と模索を再配置し、フェミニズムが50年代の「女性運動」をどのように捉え返すべきか、というもの。

この松本さんのコメントに谷川雁の山代への批判が引用されてる。
==
検事ふうの表現をすれば、上野英信とあなたは「大衆にわかるふうに書けるはずだ」という安手な信念の具体的な根拠を与えた点で、告発されなければならない
==
松本さんは山代の目的について「大衆にわからせる」ことではなく、「大衆に自らをゆだねる」ということではないか、その確信犯ぶりを谷川が見抜いたから、「刑」を言い渡したのではないか、と書く。

松本さんのコメントからの抜書き&メモの続き。
===
このように山代が工場内、農村、獄中にといった既存の家父長制的な体制の中にあって「後進的」かつ、「底辺」として存在する女性たちに一貫して注視のまなざしを向け、実際に向き合い続ける中で「一人の百歩より百人の一歩」、個人の解放よりも、類としての女性の解放をあくまで志向しつづけ、「集団的主体形成」を思考した点は、今現在、新自由主義下の影響でフェミニズムが直面している女性間の格差、または女性間の連帯の困難という課題を考えなおす上では、示唆的なのではないだろうか。
==引用、ここまで==
松本さんのこの整理がぼくは好きだ。


P.S.
ちなみにこの山代巴さんについて竹内さんは、丸木俊との深い交友があったことを紹介している。女子美の同級生で山代の最初の小説の挿絵も書いており、終生の友だったらしい。



P.S.2
この『原爆文学研究8』について、小沢節子さんが感想として言及していて、小沢さんも言及されている最後の研究会評
===
飼い馴らされることのない
詩(うた)と批評の力を今ここに
柿木伸之
===

この文章についてもいつか感想を書こうと思いながら、そのままになっている。




今日も眠くなってきたので、読み返さずにアップロード



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