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zoom RSS 「清浄なる精神」(第六章)メモ その3 近代を超えるために

<<   作成日時 : 2010/03/13 21:50   >>

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前回のメモ
主に「共同体と個人」について
「清浄なる精神」(第六章)メモ その2
http://tu-ta.at.webry.info/201002/article_24.html
の続き。

この章で、次に気になったのが、《国民精神》という節

近代社会が成立する前は民衆にとって戦争は迷惑なものでしかなかったのに、近代社会が生まれてくると、その民衆もまた、戦争を支持するようになる。この変化は何から生まれたのか、なぜ国家による戦争を「妥当」と考える「国民精神」が形成されていったのか、内山さんはそのように自問し、その最大の要素は国民国家の成立自体にあったのだと書く。

国民国家論はそれなりにあり、それを相対化する視点は提示されてきつつあるが、国家という概念はしみついてしまっている、そこに私たちの苦しさがあり、ここから出口を見つけなければ、戦争の可能性は残り続けるかもしれない、というのがこの節の結語になる。

ここもまた、深く同意するところだ。とはいうものの、国民国家がどうのとかいう文章はぼくも見たことがあるが、じゃあ、それをどう超えていくのか。国民国家のあとに来る社会が展望できるかといえば、まだかなりおぼつかない。


順は前後するが、《「信任」の限界》という節も興味深い。
中国餃子事件を例に、自分たちの手の届かないシステムを信用して判断するしかない時代のありようについて、「あえて、それでいいのか問いたい、なぜなら、よく知らないシステムを信用するしかないという構造こそが、国家が遂行した戦争の基盤のひとつだから」という。では、国などのシステムに依拠しないどのような生き方がこの時代に可能なのかということについて、この節では言及されない。関係を持つことができる人がつくったものを食べることというのは追及されるべきだろうし、安全保障については、民衆の安全保障という考え方をつめていくことが必要なのではないかと思う。


《国家神道》という節での、それと自然信仰の異同の話も興味深いがパス。

《現代の権力》という節の結語は内山さんの解決に向かうビジョンのヒントがある。サブプライムは米国が悪いとか、中国餃子は中国は悪いというような認識の単純化をとおして近代以降の戦争が発生した、敵国が措定され、その国を倒すことが自分たちを守るかのような意識が醸成されたという話を受けて、以下のように書く。
===
 そして私はそこに、共同体のような結ばれた世界、自分の生きる根が張っている世界を失った人間の姿を見る。自分が生きるローカルな世界を失って、社会という大海のなかに個人として投げ出されたとき、人々は「お金」や「地位」や「国家」に依拠して判断する世界に巻き込まれていく。
===
ローカルを取り戻すことの必要については、本当にそう思う。都会では都会なりの、人と人がつながるローカルなコミュニティが作られる必要があるのだと思う。それを失った姿を在特会などの動きに見ることができるだろう。しかし、例えば近代の戦争、とりわけアジア・太平洋で日本が起こした戦争はコミュニティが色濃く残っていた世界で発生していたのではないだろうか、そのことをどう考えたらいいのだろう。

そして次の節は《倫理的な視点》となる。
<「お金」や「地位」や「国家」に依拠して判断する>のではなく、《倫理的な視点》で判断しろということだったっけなどと思いながら読み返す。
しかし、ここでの直地点は倫理的な地点に立つことではない。こんな大事なことも忘れてる。内山さんは相対的なものでしかなく頼りない「倫理」によってしか近代社会の荒廃が防げないなら、私たちの社会はたえず問題を発生しつづけることになり、ここに近代的社会の泥沼があるという。

倫理によって荒廃から救うのでなく、無事に暮らすことが無事な世界をつくり出すような社会の仕組みが必要なのだという。

倫理じゃなくて、「無事社会の仕組み」がというのはそうかもしれないと思う。でも、ちょっと重箱の隅をつつくようなことを書かせてもらえば、社会が問題を発生させない状況なんて作りえないと思う。社会は常に新たな問題を生み出し続ける。問題はそれに対処する知恵や工夫を持ちえるかどうか、そのための継続した努力はやはり必要なのだと思う。

ともあれ、大きな見取りとしては、この内山さんの「倫理じゃなくて仕組みだ」という指摘は確からしいと思える。そして、この節の最後で、内山さんは時代認識として「近代世界は発展期から克服期に入ったのだと思っているという。

そして、この章「戦争の社会史」は《ある時代の終わり》という節で終わる。

この時代の終わりの環境・資源・食料問題などをめぐるさまざまな混乱が、対立を生まないようにするために対立を生み出す要素を排除すればいいが、それは容易なことではないという。近代人の型にはまった精神にとらわれない根本からの問い直し、それを近代前の持続可能な社会を参照しながら行うことが、いま必要なのだという結語でこの章は閉じる。








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