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zoom RSS 「くるみくるまれるいのちのつどい」について

<<   作成日時 : 2010/04/20 19:42   >>

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花崎さんから以下のメールが来ました。問い合わせたら、ブログに転載してもいいとのことだったので、転載します。いのちの問題、こういう角度から考えること、大切だと思います。
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小さな会を立ち上げようとしています。出発はハンセン病の問題であり、いまもその続きではありますが、より広いいのちの倫理の問題を考え行動する会です。ちらしと趣意書(ちょっと長いです)を添付します。生殖や生命倫理に関心を持つ方々へ、情報として流せる ところがあれば流してくだされば幸いです。花崎皋平
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呼びかけの文書

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 「くるみくるまれるいのちのつどい」を立ち上げます

 この会をつくるきっかけは、「ハンセン病胎児標本と取り組む市民の会」で出会った数名が、ハンセン病療養所を訪ね、話し合いを続けたことからです。ハンセン病療養所入所者が、強制堕胎をこうむり、その胎児が標本にされて残っていたという問題へのかかわりをつうじて、「いのち」について、より広く、より深い次元での反省、思索、倫理感情のとらえ返しに導かれて、市民として、現在のいのちの倫理を考え、声を上げ、行動するところへ進みでようと考えたのです。

 詳しくは、この会の趣意書(別に用意)をお読みください。いまこの会を立ち上げて、皆さんといっしょにやっていきたいと思っていることは、いのちの倫理に関する勉強会や情報の共有と話し合いが第一です。そして、一つの具体的な活動としては、ハンセン病療養所で闇に葬られた胎児を記憶するよすがとして、産着を縫い、展示公開するという企てがあります。

 しかし、まずは、関心を寄せてくださる方々とつどい、話し合い、趣旨を理解していただき、いっしょにやってくださいませんかとおさそいしようと、この会を企画しました。

 この会は医療や倫理の専門家主導ではなく、普通の市民が市民の立場で考え、声を上げるという趣旨の、どなたでも参加できる会にしたいと思っています。


日時 2010年5月15日(土) 午後2時から4時まで

場所 ピープルズ・プラン研究所会議室(文京区関口1−44−3 信生堂ビル2F、電話03−6424−^5748)

進め方は、呼びかけ人(アイウエオ順)、関正勝、孫和代、花崎皋平、松浦順子の4人がそれぞれの思いを述べて、皆さんから意見や質問を受けることにしたいと思っています。

連絡・問い合わせは,メールで、inochikurumikurumare@gmail.com 宛。

または、158−0082 東京都世田谷区等々力8−22−1 日本郵便 玉川支店留 澁川和代宛郵便でおねがいします。

場所案内図
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/tinyd1/index.php?id=5
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趣意書
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「くるみくるまれるいのちのつどい」

 この集いは,今はまだ数名の小さな集まりです。「くるみくるまれるいのち」という会の名前に、私たちは、私たちの思いをこめています。この会の名前の由来の一つは、岡山のハンセン病療養所邑久光明園に入所している在日韓国人の崔南龍(チェナムミョン)さんの話です。崔さんは一〇歳から六〇年以上療養所に暮らしている人です。崔さんが五歳のとき、生まれて数ヶ月の妹が亡くなりました。父が妹の服を脱がせ、古い布にくるんで背負って運んで行きました。「俺の人生はそこから始まったんや」と、崔さんは語りました。崔さんは、「いのちとは」という問いに、生まれて産着にくるまれるいのち、死んでまた布にくるまれるいのちの姿を示してくれました。

 もう一つの由来は、私たちが語り合う中で出てきた「包み包まれるいのち」という言葉から来ています。「包」は、まだ形が定まっていない胎児が母の胎内にある姿をかたどった象形文字から来ています。「包む」には「くるむ」という読みもあり、「くるむ」ほうが「つつむ」より大切に包む感覚、感情を込められるのではないか。また、「くるむ」は「くくむ」とつながっています。「くくむ」は万葉集に「我が子羽ぐくめ 天(あま)の鶴群(たづむら)」という歌があり、羽でかき抱く、また乳を吸わせる、などの意味があります。「は-ぐくむ」は、「育む」として現代語としても生きています。

 いのちは、個々に切り離された個人に帰属し内在しているのではありません。個人においても、呼吸や新陳代謝を通じて外界と行き来している流れですし、声や言葉を通じ、文化的社会的活動を通じて、他の存在に働きかけ、働きかけられる交信もいのちの表出です。それ以上に、個を越えた類の担い手である遺伝子を通じて、古い昔からの情報や無意識の記憶や形質などを受け取り、子供を産み育てることを通じて次の世代に伝えていくプロセスであり、個人とは、そうした過去、現在、未来を集約して生きている存在です。

 そのいのちのあり方がゆがんできていないか。私たちは、そういう危機感にみちびかれて、このつどいを始めました。

 私たちのつながりは、ハンセン病胎児標本問題をきっかけにしています。ハンセン病をめぐる熊本判決以後の動きについて述べていると長くなりますので、省かせてもらい、胎児標本問題について簡単に説明します。ハンセン病問題に関する検証会議最終報告書で、全国の療養所に114体の、ホルマリンに漬けられた胎児が残されていたことが明らかにされました。報告書は、この標本は「研究が目的であったとはきわめて考えにくい」、「使用の目的もなく残され続けてしまったものと考えられる」と記述しています。ハンセン病療養所における人工妊娠中絶が違法に行われてきたこと、「新生児に対して刑法上の殺人がおこなわれてきたのではないかと考えざるを得ないケースも存在する」ことなどを指摘しています。そして「この検証の中で最も指摘されるべきことは、国立ハンセン病療養所における医療倫理感の欠如であろう。中でも医師達の倫理観の欠如には恐ろしいものがあったし、現在の療養所等にも少なからず影響が及んでいることである」と指摘しています。

 しかしながら、この報告書は「提言」のなかで、4ヶ月以上の胎児は、丁重に供養されるべきものであるが、4ヶ月未満の胎児は医療用廃棄物に属するものであるから、然るべく処理されるべきであるとしていました。4ヶ月未満の胎児は医療用廃棄物であるという胎児の分類に、私たちは疑問を持ちました。4ヶ月未満でも胎児がいのちの芽を育んでいたことにかわりはないのではないか。母は生んで育てたかった子であったろう。そうした思いや悲しみやむごい処置の記憶を切り捨て「医療用廃棄物」と名づけて捨てるというのは母子双方のいのちへの冒涜ではないか。そういう思いに駆られました。

 孫和代さんは、以前から日本全国及び韓国のハンセン病療養所を歴訪し、入所者から聞き取りをしてきており、高齢の女性から強制堕胎を受けた経験や新生児が医師、看護師によって殺された実例を知り、自分の子がホルマリンに漬けられて残っているなら供養して葬りたいので返してほしいという要求も聞いていました。孫和代さんの文章「盛命包」は療養所巡礼の中で聞き取ったことやそこから出発しての思索をつづったものですので、読んでください。

 2005年11月、厚生労働省は胎児標本の処理案を発表しましたそれは、2006年3月までに、親の調査をせずに各療養所で一斉に焼却するという案でした。私たちは、きちんと調査せずに一斉に焼却するという処置は標本にされた胎児をまた闇に葬ることであると思い、「ハンセン病胎児標本問題と取り組む市民の会」を作り、胎児標本、強制堕胎の検証と反省、人権侵害に対する謝罪、生命倫理、医療倫理の見地からの総括などを提起し、処理案の撤回を要求しました。

 2006年3月、私たちは厚生労働省に、私たちが集めた17、210筆の署名と29の団体署名を提出して私たちの要求を述べるとともに、6名の強制堕胎の経験者、見聞者を含む療養所入所者などの生の声を聞いてもらいました。女性の当事者が声を上げ、自分の体験を述べ、厚生労働省の官僚に訴えたのは初めてで、画期的なことでした。私たち以外からも抗議や撤回を求める声が上がり、処理案はいったん撤回されました。

 その後、胎児票本の扱いは各療養所にゆだねられ、順次、焼却と慰霊行事が行われ、2007年から2008年にかけてすべて終了しました。しかし、その処理の過程において生命倫理や医療倫理についての総括がなされたとは言えず、私たちとしては、当初の目的が不十分にしか達成されないことを残念に思いながら、会をいったん解散しました。

 ハンセン病胎児標本問題へのかかわりを通じて、私たちは「いのち」についてのより深い次元での反省、思索、倫理感情のとらえかえしに導かれました。たとえ胎児の存在が消されても、その歴史は闇に沈めてはいけない。差別とか人権とかの一般論で片づけ、こういうことをくりかえさないようにしようという啓蒙運動で自己満足してはならない。世に生まれなかった胎児のいのちを汲み取り、私たちのいのちと触れ合う近さで記憶するにはどうしたらいいかと、私たちは考え続けてきました。

 この小さな会では、強制堕胎でいのちを奪われた胎児の産着を縫うという企てが発議されています。それもできるだけ療養所で暮らす方々が身につけていた衣料を頂いて作ろうという企てです。存在のないものたちのいのちを、いのちの指先でたどり、形作ってみませんかという呼びかけです。

 それともうひとつ、私たちは、いまも、これからも療養所を訪ね、入所者の方々と交わりを続けたいと考えています。その方々はハンセン病療養所に隔離され、治癒後も暮らし続けている方々です。その方々から、いのちとは、人が生きるとは、ということを学びたいと考えています。生命倫理といい医療倫理といい、高度な知識と情報を身に付けた有識者、研究者の高みからの議論ではすくい取れない、無縁、無所有の位相に生きてきた人々のまなざしで、「いのち」のありようを考え、発言するあり方をしたいと考えています。

 というのも、ハンセン病罹患者に対する国と医療の政策は過去のこととして克服されたかと考えると、いのちを国や医学会が管理し操作する技術はますますいのちの核心に触れつつあり、いのちの操作可能性の拡大深化を進歩であり、善であるとする思想は、疑問や批判を浴びながらも、なお先端医療の推進力として働いているように思えます。それでいいのか。私たちは疑いを持っています。もちろん、臓器移植で健康をとりもどす人たちがおり、人工授精や代理母出産を望む人たちがおり、そのことによって自分の人生に新しい意味を見出す人たちがいるという事実を、乱暴に否定することはできません。事柄は複雑に絡み合っています。原子力エネルギーの開発と核爆弾製造とが不可分に絡み合っているという科学技術の状況は、深刻な倫理への問いを投じています。それと同じ問題が、「いのち」のはじまりに関わる生殖医療における出生前診断、体外受精などでの受精卵の扱い、ES細胞の問題、また脳死を前提とする臓器移植の問題等々、医療技術のいのちと死への介入が拡大する事態に関しても生命倫理からの問いかけが要請されています。生殖や臓器移植について、技術が一方的に先走りして倫理が置き去りにされているような医療現場の状況を仄聞するにつけ、技術至上主義に立ち、生命の管理、操作、処分などを無反省に進めるならば、ハンセン病患者に対しておこなわれた管理、操作と同様類似の過ちが繰り替えされる危険は杞憂ではなく、むしろ増大しつつあるのではないかと憂慮されます。産んでよい(生きてよい)いのちとそうでないいのちが、国(あるいは医学専門家)によって管理・操作・処分されかねないという恐れです。専門家でなければこうした問題に発言できないような権威主義を乗り越えて、一人の市民の立場から、ハンセン病患者の隔離と差別が、医療にかかわる専門家によって支えられ推進された歴史を風化させないよう、その反省に立脚して生命倫理を問いかけてゆく必要があると考えています。

 私たちは、さしあたって次のようなことをしようと考えています。


1、 医療倫理と生命倫理についての勉強会を通じて、この問題を考える市民のつながりをひろげる。

2、 いのちの管理や操作が、専門家や利害関係者だけの手によって進められる傾向に対して、警告したり、提言したりする。

3、 ニュースレターを作って情報を共有し、意見の交流を図る。

4、 ハンセン病療養所で闇に葬られた胎児を記憶するよすがとして、産着を縫い、展示する(別紙呼びかけ「産着を縫いませんか」参照)。(文責 花崎皋平)





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