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zoom RSS 「親米と反米」吉見俊哉著の読書メモ(追記あり)

<<   作成日時 : 2010/12/20 04:57   >>

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PP研のシンポジウムに吉見さんが来るというのであわてて読んだ。2007年に出た岩波新書。サブタイトルは「――戦後日本の政治的無意識」

本のHPから
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0704/sin_k347.html


われわれの内なる存在としての「アメリカ」を問う

 戦後日本社会は、特異なほどに親米的な社会だったのではないか。単に支配層のレベルだけではなく、大衆的な意識や感覚のレベルにおいて、基本的に深く親米的であり続けてきたのではないか。そしてその感覚は、表向き「反米」の世論が高まったときにおいてさえ、通奏低音として流れ続けていたのではないか――。

 本書では、戦前戦後にわたる、大衆的なレベルでの親米感覚を、天皇やマッカーサーをめぐるメディアの表象、「基地の街」の変遷、アメリカン・ウェイ・オブ・ライフの浸透ぶりなどをたどることから描き出し、その日本の近代や戦後天皇制や戦後ナショナリズムの構造との不可分な関係について考察していきます。日本における「アメリカ」の受容について考えていくと、否応でも戦後日本社会の姿そのものが浮かび上がってきます。己れを探り、その未来を計る、スリリングな一冊です。
(新書編集部 上田麻里)


■著者からのメッセージ
……全体として本書が照準しているのは、占領期から60年代までの日本におけるアメリカニズムの重層的な作用である。この戦後日本のまなざしの重層的変容において、何が切断され、忘却されてきたのか。またそのことで、どのような戦後的主体が構築されてきたのか。それらは全体として、どうポスト帝国的秩序を、戦前から連続的な仕方で支えたのか。 (中略)  本書が目指しているのは、日本における「親米」と「反米」のさまざまな配置を二項対立的に図式化することではない。そうではなくて、「親米」や「反米」といった解釈を生じさせるさまざまなテクスト化の実践、単純な二項対立図式には収まりきらない解釈の連鎖と衝突、複数のレベルのテクストが交渉しあう半ば無意識的な諸実践のなかで、近現代の日本人がどのようにして「親米的」ないしは「反米的」と名づけられるような表象との結びつきを獲得していったのかを明らかにしていくことである。こうした分析を進めることで、わたしは20世紀のグローバルな軍事‐政治的な地政学と、人びとが日々の生活のなかで経験している意味や欲望、感情を、けっして下部構造と上部構造、ミクロとマクロ、テクストとコンテクストというような二元論ではないかたちで結びつけて理解していきたい。
(「序章」より)


いくつか興味深かったところ、抜書きとかメモとか

「民主主義」を強制したかった占領軍による検閲。それは検閲の跡さえ残してはいけないというもので、戦時中の思想弾圧と同じものだったと吉見さんは書く(81-86p)のだが、検閲の跡さえ消すというのは、戦時中の思想弾圧以上に巧妙であり、今でさえ、あまり知られていないのではないだろうか。「原爆」に関する記述も禁止されていたという事実は知っていたが、そのことがどこまで対象化できていたかというと、かなりこころもとない。



原水爆禁止運動と反米闘争の関係というのは興味深い。50年代の中盤にそれが始まったときは、明確に反米の影を背負っていたのだと思う。「社会主義の核兵器」をめぐって運動が紛糾することの背景にも、この冷戦下での反米闘争の問題も重要な要素として働いていたのだと思う。

核兵器廃絶運動が《アメリカ合州国という巨大な帝国主義との闘いのために「社会主義の核」が必要だ》と主張するのは、いま考えるととても突飛でおかしな話だが、60年代初頭においては、もっと別のリアリティがあったのだということに今更ながら気づかされる。

日本共産党はそのように主張した歴史を今でも隠そうとしているのかどうか、詳しくは知らない。ぼくは彼らが、今でもその歴史に目を塞ごうとしているように思えるのだが、そのことが未来の見取り図を曇らせていると言えるのではないかと思う。自らの歴史に対する目を曇らせたままの未来はないと思う。

核兵器に核兵器で対抗するという思想に対して、リアリティを持って対抗していくという作業はもっと続けられるべきなのだ。とりわけ、自民党支配が終焉し、草の根の右翼が声高に核武装を主張するようになったこの時代に、なぜ、どのように「核兵器に核兵器で対抗するという思想」が大きな問題を孕んでおり、それを日本社会が共有するための努力続ける必要があるのだと思う。

それは、核兵器反対といいながら米国の核戦略に便乗するいんちきなあり方から抜け出す作業でもある。世界で唯一というか、もっとも冷戦を引きずっている東アジアのこの不安定な状態のなかで、「日本は核武装すべし」という声が広がっているように感じる。大方の右翼的な勢力が自民党支配の傘の中に糾合されていた時代には「日本は核武装を」という声はある意味、押さえ込まれていた。その蓋が外れて出てきているのが、この「核武装を」という声だったり、中国人や朝鮮人は日本から出て行けという露骨な排外主義を求める声だったりするのだろう。

明確に生じてきている草の根の右翼の多くが米国と親和的なのもまた興味深い話だ。

しかし、事態が複雑なのは、2009年に自民党が下野し、不安を抱えながらも継続してきた自民党支配が終焉を迎えたにもかかわらず、菅政権誕生以降、露骨に民主党が自民党と同様の政策をとりはじめ、武器禁輸の問題などでは自民党でさえできなかったことに着手しようとしていることだ。

多少の変化の期待を含めて迎えられた民主党政権だが、いま、選挙を行えば再び自民党政権に戻ることになりそうだ。小泉選挙で勝利した自民党が行ったように首相の首をすげかえることでぎりぎりまで総選挙を避けることができるかどうかというような状態になりつつある。

巧妙に組織されているとしか思えない草の根の右翼のデモが持つエネルギーをも使って自民党は政権への返り咲きを狙うわけだが、そのエネルギーは自民党にとっても諸刃の刃となるのではないか。


あらら、「親米と反米」の読書メモだったのにあらぬ方向へ向かってしまった。


104p〜RAAと政府公認の占領軍慰安婦 という節がある。
ここにも知らなかったことがたくさん書いてある。例えば「銀座松坂屋の地下の三つの階を急遽改造した施設は、ダンサーという名の慰安婦を400人用意した政府出資の対占領軍公娼施設だった。警視庁は、営業に必要な公募女性たちを『特別挺身隊員』と呼んだ」105pとのこと。(『銀座と戦争』から)全国で8000人を超える女性が国策の名の下で慰安婦として働いていたが、46年1月にRAAでの売春が禁止されたという。4ヶ月という期間を短いと考えるかどうか?平和島にあったとされるRAA、誰か郷土史として調べたりしているのだろうか?

==以下1月15日追記==
大森のRAAについて
おおたジャーナルのアーカイブに昔の記事があるのを横浜の人に教えてもらった。読んでたはずなのに忘れている。
もう少し丁寧な掘り起しとか、ぼくができればいいんだけど、・・・。誰かやってくれる人がいたら、すごくうれしい。

おおたジャーナル02年1月号
国策の占領軍売春施設が大森海岸にあった!
http://homepage1.nifty.com/oj-hiroba/oldeies/stock/stock_minsyuusi2_1.htm
そんなに長くないので、全文引用

国策の占領軍売春施設が大森海岸にあった!

 昨年12月東京で「女性国債戦犯法廷」が開催された。日本が引き起こした戦争で従軍慰安婦として狩り出された女性たちへの罪は東京裁判では問われることはなかった。その不処罰の循環をたちきり戦時下の性暴力を人道上の「天皇裕仁の戦争責任」として被害者の声を集めて証明し、新しい世紀の平和のための礎にしようと実現された歴史的な試みだ。判決文はすでに成文化され、この12月22日に東京で報告会が開かれている。
 この裁判で問題とした戦時下の性暴力の構造をそのまま引き継いで、敗戦の年、占領軍に対して国営売春施設がつくられた。都内13ヶ所、そのうち7箇所が大森・大井地域にあったのだ。


 敗戦の混乱の中で

 当時、占領軍の進駐に際し「男は去勢されて強制労働。女は慰安婦にされる」とうわさが立った。回覧版で「占領軍が上陸したら女性は下着を重ねてはいてその上にモンペを着用し兵隊の暴行に備えてください」との文章が回った地区もある。8月16日に婦女子の「疎開騒ぎ」が全国的に起こっている。8月18日当時の東久邇内閣と橋本内務省警備局長の名で各府県長当てに通達が出された。「外国軍駐屯地における慰安施設について」である。その内容は「一定地域に限定し」「従来の取り締まり基準に関わらず警察署長がこれを許可する」「日本人の利用を禁ずる」「性的慰安施設」「飲食施設」「娯楽場」などを種類とした。
 この通達に基き、8月23日「特殊慰安施設協会」(R.A.A)が結成された。資本金は当時の金額で一億円(現在の500億円)という。その資金の半分は政府の融資である。
占領軍の東京進駐は8月28日であった。RAAの一号店(小町園)の開店も同日である。


 占領軍の性奴隷

 8月28日、進駐してきた占領軍に対して、RAAの小町園が開店した。最初の犠牲者は開店の日に京浜急行の電車に飛びこみ自殺をした。「事務員募集」のうたい文句と高収入に応募した十九歳の女性が非人間的な売春の事実に耐えきれなかったのだ。
 「始めにきた30人の人は2〜3ヶ月の内に気が違ったり病気になったりして半分になってしまった」(「占領軍慰安所」井上節子著)
 「日本女性の防波堤たらんとする女性を求む」この宣伝文句で集まった女性はRAA全体で1600人。「日本女性の防波堤」「良家の子女を守る」ために女性たちを国策で集め、軍隊に差し出した国があるのだろうか。戦時中はアジアの女性たちを軍隊慰安婦として従軍させ、占領した国の女性たちをレイプした日本軍のこれまでの在り方の延長にある発想だ。


 今、小町園はどうなっている

 今、小町園、月晴、悟空林、やなぎ、楽々などの国営売春施設は跡形もなくなった。昭和10年頃の大森海岸は海水浴場として都市近郊の行楽地であり大きな飲食店も並んでいた。敗戦の混乱を乗り切るために手を挙げた事業者がいたのかもしれない。また羽田空港に近いのでここをその国営施設開設場所としたのかその経緯はわからない。京浜急行の大森海岸の駅を降りて第一京浜国道をはさんだ正面に大森ハイツのマンション、隣が大森ハウス、ライオンズマンション大森と当時施設のあった場所には10階を越える高層マンションが立ち並んでいる。56年の星霜を越えて伝えられるものは何もないが、ライオンズマンションの一階に「小町」という居酒屋が目に付いた。


 RAAの残したもの 

 RAAは46年には解散し、閉鎖している。
 RAAを解散に追い込んだのは、残念ながら日本の民衆の世論ではなかった。米国女性たちの非難の声と米兵が持ちこんだ性病にRAA下の女性たちが罹患して立ち行かなくなったと言われている。
 多くの女性たちの人間としての尊厳を踏みにじったこの事実を私たちは忘れてはならないだろう。
==全文引用ここまで==

ここにいた人たちの声を拾うのはもうかなり難しいだろう。「多くの女性たちの人間としての尊厳を踏みにじった」というのは事実だと思うけれども、当然にもその一言では語りつくせない「生」があったはずだ。わずか4ヶ月だけの公認期間のあとに続く歴史もあるはず。当時20歳でも、もう85歳。誰にも語ることなく消えていく、そして消えていった話があるはず。

《「事務員募集」のうたい文句と高収入に応募した19歳の女性》を含めて、「全国で8000人」の女性がそこで働いていた。

==追記、ここまで==



吉見さんはこの第U章を以下のようにまとめる。「本章では、マッカーサー、裕仁天皇、街娼たちという三つの位相の身体が、占領期の文化地政学のなかでどのように結びついてきたのかを検討した。」 そして、占領はこれらの身体を有徴化する。「これらの身体の有徴化は、…複雑にねじれ、実のところ相互に結びついていた」「マッカーサーや天皇以上に「占領」の存在を明確に示していた身体は、焼け跡の売春婦たちの身体であった」113p


第V章 米軍基地と湘南ボーイたち

この章の「二 基地の街から流行の街へ」の冒頭で以下のように書かれている。(一部要約)
==
戦後文化は、沖縄を除く日本では米軍の暴力性が見えにくくし、その米国とねじれた形で結びつく消費主義的な米国への欲望が増殖させられていく、この「逆説的な転回」を通じ、沖縄以外の戦後日本にとって米国は、冷戦期の沖縄、韓国、台湾、フィリピンなどにおける米国とは異質なものとして変容を遂げていく。米国は、暴力をもって威圧する他者ではなく、自分たちの消費的欲望のなかで取り込んでいくことのできる他者となっていった。125p
==


第W章 マイホームとしてのアメリカ

ここで考察される力道山のパフォーマンスについて
==
戦後日本における力道山ブームには、「アメリカ」に空手チョップを食らわす「日本」というパフォーマンス、朝鮮半島出身者が演じる「日本」というパフォーマンス、そうした身体によって占領期アメリカニズムが体現されていくパフォーマンスといった複数の文化的上演が重層的に折り重なっていたのである。178p
==

この章で示されたこととして、
==
60年代の「家電」をめぐる大衆的イメージには、アメリカンな生活の追求とナショナルな主体の構築が表裏をなして示されていた。ここでは「アメリカ」を追い求めることが「主婦=奥さま」としての、あるいは「技術者」としての、ナショナルな戦後的主体を立ち上げることでもあるという等式が成立していた。205p
==



終章 「親米」の越え方

==
(朝鮮戦争時の)共産党に主導された反米闘争の決定的弱点は、軍事生産を行う勢力が単純に「アメリカ帝国主義と結託した「買弁」」つまり「「向こう側「敵」として位置づけられ、戦争に加担する「日本(人)」自身の問題として深められていかなかった」ことである。(道場親信『占領と平和』)
==
(この本の二重括弧の使い方が気になる)
これを引用した後で吉見さんはこんな風に解説する。
===
「米帝国主義」対「ソビエト=民主勢力」という冷戦構図が前提とされ、
朝鮮人同胞や日本の「人民」は民主勢力、
日本の企業家は敵の側に
この二項図式が冷戦体制を踏襲・強化。
敵と味方の二項対立である限り、大衆はむしろアメリカとともにあったわけだから、共産勢力の孤立と疲弊は避けられなかった。
===

問題はこの図式が越えられるかどうか、そして、だとすれば、どのようにということ。それは現代的な課題でもあると思う。

閑話
これに続いて、《反基地としての「反米」》という節に移るのだが、その中で53年、川崎の多摩川べりで開かれたメーデー前夜祭の話が紹介されている。3万人が参加し、2000人のコーラスや日本、沖縄、朝鮮の民族舞踊と土方与志氏指導の大野外劇があったという。これ、今度誰かに聞いてみたい話だ。大田からも参加してた人がいるはず。


50年代に盛り上がった反基地闘争の結果、沖縄に基地が集中したという話は先日のNHKの番組でもわかりやすく紹介されていた。この基地問題さえ、解決できれば、いずれ反米ムードは収束すると考えられ、実際、ある程度はその通りだったと吉見さんは書く。そう、犠牲を沖縄に押し付けることで日本は反米ムードを回避することに成功したわけだ。


「アメリカ批判が、大衆的なレベルでナショナリズムの支えから訣別し始めるのは1960年代後半、ベトナム反戦運動を通じてである」と吉見さんは書く。

鶴見俊輔がたくさん引用されているのだが、以下の部分はメモしておこう。
===
1945年以降、アメリカと日本は「お互いに肩を寄せ合って、お互いの戦争犯罪を隠すために協力」してきたのであり、そのためベトナム戦争と同型の構造的理由で、アジア・太平洋戦争に至る日本の加害者性が広く自覚されてはこなかった。このような自己の加害者性についての真摯な自覚がない限り、戦後日本人が真に「インタンショナル」になるのは難しい(「市民的不服従の国際的連帯」、『資料・「べ平連」運動』)。221p
===
これに続いて鶴見良行の「日本国民としての断念」が紹介される。

これらが書かれたのが1970年代前後なのだが、この時点から1990年代にかけて、加害者性についての言説はもう少し出てくるようになったと言えるだろう。とりわけ昭和天皇が死んでから、その戦争責任の問題とあいまって、加害者性というような問題も一定浮上してきて、「河野談話」や「村山首相談話」などが発表される。しかし、それは同時に、その歴史認識をしのぐような形で強烈なバックラッシュに襲われる。加害者性の認識のそれなりの深まりと(とりわけ中国・朝鮮に対する)排外主義が同時進行する時代。そして、動員力があるのはいまや後者のデモだ。

同時にその排外主義を主張し、ナショナリストであるはずの右派の人たちが、米国に従属している日本国家のありようについて非難しないといういびつな構造についても考察が必要だろう。


で、この章のテーマ《「親米」の越え方》だが、書かれているのは最後のほんの数行だ(と思う)。それもとてもわかりにくい文章として。ま、読む力の問題を指摘されたら、反論のしようはないが。

《・・・いわば「アメリカ」としての戦後日本、日本が謳歌してきたポスト帝国主義的秩序が何を自明化し、何を見えなくしてきたのかを、「親米」と「反米」という二項対立を内破して問い返し、アジアとの、歴史との、そして多様で複数的な自己との、真に反省的な再会を果たしていく必要があるのである》


なんてコメントの書きにくい結語だ。「真に反省的な再会を果たしていく必要がある」といわれたら、それは確かにそうだとしか応えられない。でも、もどかしさの残る結語だ。そのもどかしさをいま言語化できないのは悔しいが、もう寝る。


あっ、「あとがき」が残っていた。
吉見さんが《日本のなかの「アメリカ」》について考えるときの3つの課題

1、消費と暴力、テーマパークのアメリカと軍事基地のアメリカを別々のものではなく、両者の構造的な結びつきを発見すること。

2、第二次世界大戦後の日本における「アメリカ」の受容と反発を、韓国、台湾、フィリピン、太平洋諸島といった東アジアの横断性のなかで考えること

3、そうしたアジアにおける「アメリカ」の問題を、戦後期までのアジアにおける「日本」の植民地主義からの連続性において考えること


この本で確かに日本における「アメリカ」の受容についてはおぼろげに見えてきた。この延長にあるのが日本からポストコロニアルを考える作業だと吉見さんは書く。それはどんな形になるだろう。


なんか中途半端だけど、疲れたから読み返さずに。「エイヤッ」とアップロード。

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吉見俊哉『親米と反米』
復刊が話題となっている、フレドリック・ジェイムソン『政治的無意識』からサブタイトルの示唆を得たという、吉見俊哉『親米と反米 ―――戦後日本の政治的無意識』(岩波新書、2007年)。歴史的に構成された無意識的な蓄積は、ジェイムソンの指摘のように、「徹底的に政... ...続きを見る
Sightsong
2010/12/20 07:28
2010年の読書メーター
2010年の読書メーター 読んだ本の数:83冊 読んだページ数:22084ページ 絵入りは文字数オーバーで掲載できず。 ...続きを見る
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