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zoom RSS いのくら屋で2008年に話す前に準備したメモ

<<   作成日時 : 2011/03/06 04:01   >>

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今日、USBを使っていたら、
2008年に「いのくら屋」でグローバリゼーションの話をすることになったときの準備のメモがでてきた。

自己紹介はその当時のもの。

いのくら屋2008
何の話から?

まず自己紹介
大森北在住、**福祉工場勤務、原爆の図・丸木美術館、ピープルズ・プラン研究所、関東障害学研究会、環境・平和研究会、attac Japan(首都圏)、OCNet

いわゆる活動家
いろんなことに興味があって、好奇心がぼくのエンジン

これまで書いて発表したりしたもの
共著
環境を平和学する
http://tu-ta.at.webry.info/200804/article_1.html
脱開発のサブシステンス論
http://tu-ta.at.webry.info/200802/article_9.html
貧困をなくすための30の方法
http://tu-ta.at.webry.info/200612/article_2.html

雑誌
「生きていることの肯定」
http://tu-ta.at.webry.info/200811/article_16.html
『軍縮地球市民No.6』2006年秋(10月)、特集「環境平和学のススメ」に収録

何かに詳しいわけではないし、研究したわけでもない。
もしかしたら、ぼくよりいろいろ詳しい人もいるはず。


グローバリゼーションって何?
一般的な説明
モノ・カネ・情報・人の
それはいつから? 諸説あり?

投機マネーのすさまじい動きの結末としての
世界金融危機

動いているお金の量と実際に使うお金の量

グローバリゼーションとは何かとかいう説明はそんなにいらないのかもしれない。もうみんな実感していることだから。みんなに例を挙げてもらう。

もちろん、それで便利になることはあるし、いいこともないわけじゃない。だから、必要なのはオルタ・グローバリゼーションだという言い方もある。
とはいうものの、いろんなことをローカルに戻していくことのメリットは小さくない。
(これは後述)

そもそも地球はやばいところまできている。
例えば田中優さんは10年以内にいろいろなありかたを転換しないと「ポジティブ・フィードバック」が起こり始めると書いている。
(『地球温暖化/人類滅亡のシナリオは回避できるか』田中優著2007年扶桑社新書)
http://tu-ta.at.webry.info/200808/article_5.html

二酸化炭素温暖化に関しては、いろいろ批判もある。ぼくには科学としてどっちが正しいかの判断はできない。だけど、そういう可能性があることとして準備はしたほうがよさそう。

ピークオイルは近そう。
「キューバはどのようにピークオイルを生き延びたか」というビデオもできている。
ピークオイルとは原油生産(採掘)量がピークを迎え、減少に向かうこと。
ソ連からの輸入に頼っていたキューバは危機に直面、都市農業や有機農業への転換でとりあえず餓死者を出さすに乗り切った。

吉田太郎さんとMLで文通
===
繰り返しになりますが、日本人の9割方が思っているような単純な独裁国家ではない。しかし、まずはとんでもないほどの貧乏国であり、理想郷では断じてない、ということを認識しておくことが必要だとも思います。
===
http://tu-ta.at.webry.info/200811/article_12.html


「残された時間がない」「緊急だ」というときに誤解しないほうがいいこと。
緊急性の二つの側面
ひとつは産業社会が危ない、続かない
もうひとつは自然界が危ない
前者は救う必要がないっていうか、現在の産業社会のありかたを変えていかなければ、危機が回避できない。

結論を書いてしまうと

大きな価値観を転換することの必要
ふたつの価値軸
ひとつは利益・便利さ、GDPの多さ、
もうひとつは、いのちの尊厳、ひととひとのつながり、

あまりにも前者を追い求めすぎた社会に後者の価値をどう回復していくのか、そのバランスをどう取り戻していくのか。

資本主義が人間性を奪うという話はその始まりからあるし、いまだっていっぱいでている。
最近でいえば、「うさぎ」「地域の力」・・・

例えば、社会主義運動だって、そういう資本主義が人間を破壊することへの反論として始まった運動。これが20世紀いっぱいをかけた壮大な実験で失敗したことをどう反省するのかということも大切

価値観を具体的にどう転換していくのか。

ローカルのすすめ
ローカルから始めること

ヘレナさん講演の紹介

その前にヘレナさんとラダック
ラダック・懐かしい未来
3部構成

金融システム救済のために何兆ドルも使うのではなく、制度の根本的変革を

GDPで図ることの間違い
投機的経済と実体経済
グローバル経済からローカル経済へ


食べ物の運動
有機を食べるということ
こじつけのようだけれども、有機を食べるっていうは大手のスーパーで売っている有機農産物を食べるということではないのではないかと思う。そこには生産者・流通者・消費者の有機的な関係があって、それが有機を食べるっていうことなんじゃないかと思う。

食べ物の運動が独善に陥らないために



キーワードは「地域のチカラ」

サティシュ・クマールはこんなふうにいう。
「この世の中に創り出したい現実をまず自分が体験すること」これはガンジーの教え。
できる範囲で実践に移行すること
(できるだけ)地元でとれた旬の有機野菜を食べ、
(できるだけ)誰も搾取しない公正な取引のものを使う。政府や企業に対する圧力になる。



ウォーラーステインの預言
どちらが心地いいか
http://tu-ta.at.webry.info/200811/article_15.html
=====
昨日から行われているG20の会議は前者がなんとか現状の世界を維持するために目論まれている。しかし、そこで最大の効果を得る合意ができたとしても、末期癌患者のモルヒネに値するものですらないのではないか。

そして、この前者の考え方をとても分かりやすく提示してくれているのが稲葉振一郎さんだ。彼はこんな主張をしている。
==
「やっぱり、景気はよくなくちゃ」という主張をしてきたわけである。この実も蓋もなく、一見して下品な主張の射程距離はしかし、意外と大きい。我々はすでに踏み込んでしまった。グローバル化と産業化の道に踏み込んでしまえば、後戻りはきかない。もちろんその果てには地球環境の大規模な破壊と悲惨な戦争がまっているのかもしれない。かといって立ち止まり、後戻ればおそらくやはり戦争、大量死、飢餓、自然破壊がまっている。転げ落ちないように狭い尾根を踏んでいくしかなさそうだ。
==

前者の経済成長派の人の多くはこんな風にあけすけには語らない。表面では地球環境破壊を防止し、悲惨な戦争はやめようというだろう。しかし、GDPという指標で表される経済成長を求め続けながら、地球環境破壊を止めることができないことはあきらかになりつつある。そこは稲葉さんがあけすけに語るとおりでもある。経済成長を求め続けるその先には地球環境の大規模な破壊と悲惨な戦争がまっている。

GDPという数値で後戻りしても「戦争、大量死、飢餓、自然破壊」に向かわない方向こそが求められている。限られた富をどのように分かちあうことができるのか、分かち合うための知恵、あるいは合意の方法を見つけ出すことができるのか。そのことに社会全体が気づき、異なった世界像に向けて方向転換を計ることができるのかどうか。

田中優さんはこれから10年間のうちにその転換が必要だという。GAIA理論のジェームズ・ラブロックは、もう後戻りできないところに来てしまっているので残された時間を楽しめばいいといっているという話を聞いた。それがどこまで正確な引用なのか、ぼくは知らないが。

正直、どちらが正しいかぼくにはわからない。もしかしたら、ラブロックのいうとおりかもしれないし、稲葉さんの見方があたっている可能性もあるかもしれない。

それを検証する能力がない中で、ぼくはどちらの生がぼくにとって心地よいか、どちらの方を向いて生きることが充実していそうかという風に考える。

ぼくにとって、それは明らかだ。ウォーラーステインの表現を借りれば「より民主的で平等なシステムを生み出したいと考える勢力」として、変革の可能性にかける生き方だ。

ウォーラーステインがいう第二波の反システム運動はその世界革命から40年を経たのに、その果実をまだ明確な形を表せていないと思う。そんな転換が本当に可能なのかどうか、ぼくにはわからない。しかし、そこに向かいたいと思う。これはぼくにとっての「信仰とか祈り」という領域でもある。





暗闇のなかの希望
http://tu-ta.at.webry.info/200805/article_14.html
http://tu-ta.at.webry.info/200805/article_15.html
http://tu-ta.at.webry.info/200805/article_18.html
http://tu-ta.at.webry.info/200805/article_21.html
===
わたしたちがもっと行動していれば、世界は疑いなくもっと良くなっていたはずだけれど、わたしたちの行為が、ときに世界がもっと悪くなるのを防いだのである。・・・。

(長い省略)

 ・・・。両方とも正しいにせよ、後者は行動の根拠を与えてくれる。  120-121p
==


もうすぐ30年になるぼくの社会運動の経験の中で、ほとんどのとき、負けてきたという記憶ばかりなんだけれども、世界がもっとわるくなることを防いだことはあったかもしれないと思う。そう、捨てたもんじゃない。
レベッカはこんな風にも書いている。

==
・・。ここは地上であって、けっして天国になることはありえない。いつも残虐行為はあるだろう。いつも暴力はあるだろう。いつも破壊はあるだろう。たったいま、とてもつもない荒廃がある。(中略)あらゆる時代のあらゆる荒廃をきれいさっぱり解消することなんて、わたしたちにはできなくても、荒廃を緩和し、非合法化し、その根源や基盤を掘り崩すことはできる。それが勝利なのだ。より良い世界を築くことはできる。完璧な世界はありえない。 129p
==
・・・、世界は常に動き、・・・、あなたはいつも途上にあり、終点には到着していないのだから、これはメデタイとお祝いする理由も、これではガッカリだと発奮する理由も、ともにある。勝ち負けに二極化した言い分に欠けているのは、これを認識する力なのだ。  130p
==
「予示の政治」・・、これは、あなたが熱望するものを体現すれば、すでに成功しているという考え方を表す。つまり、あなたの直接行動が、民主主義と平和主義にもとづき、創造力を備えていれば、世界の一隅で、それらの価値がすでに勝利しているのである。  137p
==

そう、ぼくこそが勝ち負けに二極化した言い方をしてきたかなぁと思う。確かにほとんどのときに***反対という声は届かず、反対したことは実行され、ぼくたちの反対の声は宙を舞ってばかりいたけれども、でも、見るべきなのはそこだけじゃないんだねってことを明確に言葉で表してくれたレベッカに感謝。

・・。「あれかこれか」の選択問題の正解は、たいていの場合「どりらも」である。逆説的な関係に向き合うには、一貫性にこだわって、一方を切り捨てるのではなく、両方とも掬い上げるのが一番まっとうなやりかたなのだ。問題は地域性と世界性が生きた関係を築けるようにすることであり、一方のみを取り上げ、他方を閉め出すことではない。
 わたしたちの時代の地球規模の公正をめざす運動を定義するひとつの方法は、地域性――地産食品、労働と資源の地域内管理、地場生産、地域文化、在来の家畜と栽培植物、固有の野生生物種、環境保護といった、本質的に地域のもの――を防衛するための地球規模の運動として捉えることができる。  170-171p
===


「いまの急進派の多くは、地域を賛美し、擁護しようとするが、地域性を善と決めてかかるのは、あまりにも単純すぎるだろう。」
ここは留意が必要な部分だろう。人種差別が横行していた合州国南部などを例に、それが地域の特質だからと肯定できない話があることを著者は喚起する。
 しかし、その上で、やはり「地域」が大切だとしている。バイオリージョナリズムを紹介し、こんな風に書く。
===
・・・。バイオリージョナリズムは押しつけではなく、適応であり、地域性を強調しても、一言一句変えずに布教する福音のようなものではないので、ある意味で現在の反イデオロギー的な風潮を先取りしていた。押しつけは権力の集中である。わたしが関心を寄せる地域性は、権力を分配する。 172-173p




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