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zoom RSS 依存と自立の倫理 メモ

<<   作成日時 : 2011/03/07 03:05   >>

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ちょんなことから、とある研究会での、金井淑子さんが書いた『依存と自立の倫理  〈女/母(わたし)〉の身体性から』という本の合評で、少しだけコメントすることになった。
そこでコメントの際に配布したメモを一部カット及び訂正などしつつ掲載。研究会での金井さんのコメントを含めた、ごく短い感想は最後に。



依存と自立の倫理 メモ 2011/3/5
               
最初に言い訳
(読む前に)面白そう、と思って気軽に引き受けたこと、反省。手に余る依頼だった。(気づくの遅すぎ)
とりあえず「研究者じゃないし」とエクスキュース
ぼくにできることはこの主題に即していると思える経験を語ること。(以下のメモはwebからの切り貼り)

読了しても、まだなかなか主題をちゃんと把握できずにいるのだけど

連想したこと*つ+

1、親密圏について
個人の親密圏の問題は…口頭で少し報告

・こんな風に…暮らしているのだが、世間では金井さんが書くほど破綻しているのかという感じも。壊れてない気持ちのいい若者も少なくないように思う。ぼくが若い頃とどこがどれだけかわったのだろうメインストリームの家族は壊れてるのだろうかという疑問?ホームとして家庭が存在していると思えない人の割合はどれくらいだろう。存在すると思えている人はそれでいいようにも思う。

266pあたりの
ナラティブ共同体とステップミーティングについて

親や家族のグループに参加して感じたこと。そのことで本人に自己肯定感は得られるのだが、個人モデルに収斂してしまう危険もあると思う。また、12ステップの「おおいなる力」というのは欧米由来の一神教文化を直輸入し過ぎているようにも感じた。

ex. ギャマノン
http://www.gam-anon.jp/


2、エコ・フェミについて

上野千鶴子「フェミニズムから見たヒロシマ」メモ
http://tu-ta.at.webry.info/201008/article_1.html
から部分転載
====
この「ゴールはジェンダーの解体」という明確な主張から連想したことがある。それは、石垣りんの「今迄の不当な差別は是非撤回してもらわなければならないけれど、男たちの得たものは、ほんとうに、すべてうらやむに足りるものなのか。女のして来たことは、そんなにつまらないことだったのか」という主張。

そして、このような説明を自らつけたその代表作ともいえる
「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」
この詩の中で石垣さんは以下のように言う
===
炊事が奇しくも分けられた
女の役目であったのは
不幸なこととは思われない、
そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても
おそくはない
私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と

それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう。

それはおごりや栄達のためでなく
全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象であって励むように。
===

この主張がジェンダーの解体という主張とつながるのか、つながらないのか。男もまた、この豊穣を享受すべきだという主張に立てば、それはジェンダーの解体につながるといえるかもしれない。

しかし、それだけではおさまりきらないものもあるように思う。

ここで、ジェンダーとは何かという話になるのだが、イリッチやドゥーデンが主張した守るべき価値としての「ジェンダー」(ゲヌス)という話と、解体すべきジェンダーという定義の対立について、再び考えてみることが必要なのではないかという気もする。(いつでもジェンダー平等というような考えかたをバッシングしてやろうというような輩がうごめいている中では危険な作業かも知れないが、・・・・)

このあたりの話と藤岡美恵子さんの「マヤの宇宙観のもとでの性別役割分業の肯定」という話もダブらせながら、もう少し議論される必要があるのではないかと直感している。
==引用ここまで==

80年代の日本のフェミニズムシーンで徹底的につぶされたように見える「エコフェミ」。その80年代を振り返る必要があるかも、と思う。これは日本特有の現象?
確かにイリッチの脇の甘さはあると思う。

金井さんは
『7章 新たな親密圏と女性の身体の居場所』で

1980年代フランスの「母性とフェミニズム」グループの以下の発言が金井さんの問題意識を代弁、とのこと。
===
女性たちは、とくにフェミニストたちは、母性が隷属であり、宿命となっていることにまず批判の矛先を向けた。それゆえに、「受胎し、妊娠し、出産する」という生物学的社会的事実が女たちにもたらす固有の経験――「性的差違」――が与えてくれる喜びと能力の側面、つまり共に生まれるという感覚の方はかくしてしまわなければならなかった 213p
===

ここからエコフェミにつながっていると感じた(根拠なし)。
青木やよひさんの本を読んだとき、「女性原理」という問題のたて方がでてくるまでの部分はとても共感して読んだのだが、その「女性原理」をぼくは理解できなかった。金井さんのこの本にもそれに似た違和感をもった。欧州のエコフェミの人はもう少し本質主義を回避した形で、このように主張しているような気がする。

金井さんは273pで「『女性の身体性』、『母の領域』という概念に対して、もはや女性本質主義の危惧を抱かれ批判を受けることを恐れず、これらの概念をあえて引き寄せなおして、これらの概念を手がかりとして問うべき課題を提示していきたい」と書く。

そして、280pでは
===
田中美津の主張には、…「産む産まないは女の権利」とその社会的認知を求める正義の言葉としての権利意識に安易に依拠することへのためらいが留意され続けている、ということへの森岡の留意は看過されるべきではない。それを現在のフェミニズムの理論水準でどう受け止め直すか。思想的課題としてどう引き受けるか。それはエコロジー・フェミニズムの課題意識にもつながるところでフェミニズムがどうしても思想的方向性を呈示すべきことであると言わねばなるまい。
===
とも書く。



3、ラルシュについて


1996年から1997年にかけて、偶然のきっかけで(フィリピン滞在中、ラルシュに2度目の訪問をしたとき、アシスタントが急遽、入院するのと重なり、ちょうど予定がなかったので、最初は2週間程度、居候させてもらった)フィリピンとインドのラルシュ・コミュニティを体験。

ラルシュとは世界に100箇所以上ある知的障害者が中心のコミュニティ
そのチャーター(憲章)
http://www7.plala.or.jp/kananoie/kensyo.html
から引用。下線は引用者
===
1.目的
 @ラルシュの目的は、知的障害を持った人がしばしば余りにも社会から捨てられているので、彼等を迎えるコミュニティをつくり、そして社会の中にその人の場を再びつくり、その苦しみに応えることである。
 Aラルシュは知的障害を持った人の(隠された*)固有の賜を表そうとする。コミュニティの中心を形作るのは彼等であり、ほかの人達が彼等との生活を分かち合うようにと呼ぶのも彼等なのである。(*原文にはありません)
 Bラルシュは知的障害を持った全ての人を迎えることは出来ないと理解している。ラルシュは解決でなく一つの印となろうとしている。真に人間らしい社会は、最も弱く小さい人を迎かえ入れ、尊敬することによって作られる。その為の印なのである。
 C分裂した社会にあってラルシュは希望の印となろうとしている。知的な水準、社会的出身、宗教や文化においても異なった人々の間で契りを結びその関わりで創られたコミュニティは、一致と忠実と和解の印となる。

2.創立の原理
@その人の賜物あるいは限界がどんなものであっても、全ての人は共通の人間性を分かち合っている。人は唯一の聖なる価値を有し、同じ尊厳と同じ権利を持っている。人としての基本的権利とは、生活、世話を受け、自分の家に居れること、教育、仕事への権利である。さらにまた、人間存在の最も深い欲求は、愛し、愛されることであるから、友情、一つになる交わり(コミュニオン)、霊的生活への権利も又存在する。
Aもしも人間が、自分の能力、賜物を十分に発展させようとするならば、人間は一人一人の成長を育てる環境を必要とする。人は家族とコミュニティに囲まれて他の人と繋がりを織り成し、信頼と安全と相互の愛情のうちに生きる必要があり、暖かい真の関わりによって認められ受け入れられ支えられる必要がある。
B知的障害をもつ人々は、しばしば迎え入れたり、感嘆し、真を言う素質を持っている。裸にされ、脆さがあるおかげで彼等は人の心に触れ、人間を一致へと呼び寄せる賜物を持っている。それで彼らは社会のために、心の本質的な価値を生き生きと呼び覚ましてくれる。これらがなければ、知識、能力、行動というものは、意味を失い、本来の目的からそれてしまう。
C人間の弱さと傷つきやすさは、神との一致を妨げるどころか、むしろ助けてくれる。しばしば、実際に、神の愛が解放してくれものだと分かるのは、認められ、受け入れられた弱さを通してなされるものである。

3.コミュニティ
1.信仰のコミュニティ
 1―1、各々のコミュニティは信仰のコミュニティである。このコミュニティは祈りと神への信頼に根差そうとしているので、神とその現存を表わしている最も小さな人々によって導かれるよう、身を任せたいと願っている。コミュニティの各メンバーは、霊的生活を見出だし深めるよう、またその人に固有な信仰と伝統にしたがって生きるよう促される。明白な信仰を持っていない人も、その人の自由さということにおいて尊敬され、同じように迎え入れられる
(中略)
 2―2ラルシュ・コミュニティの中心は、ラルシュ の家庭における生活である。ラルシュ・ミュニティの異なったメンバーは、一つの体を作るように呼ばれていて、一緒に生活し、働き、祈りそして祝う。一つの 家族のように、喜びと苦しみを分かち合い、お互いにゆるしあう。かかわりを優位とする単純な生活のスタイルを特色としている。
====

4、障害学の課題としての存在の肯定

「生きていることの肯定」
http://tu-ta.at.webry.info/200811/article_16.html
『軍縮地球市民No.6』2006年秋(10月)、特集「環境平和学のススメ」に収録
障害学から環境問題を見ることで、現れてくるものについてのラフスケッチを試みる。最初に障害学の視点とは何かを示し、環境問題で障害者がマイナスイメージの象徴として使われる問題を考察する。次に「生きていることの肯定」を提起し、そこからサブシステンスと障害学の視点の連関について述べる。
 (中身すべて省略し、結語へ)
そして、障害学とサブシステンスの視座から環境を考えるということは、自らの立ち位置を確認し、現状にコミットしていくための視点である。いのちが大切にされない世界に対するレジスタンス(抵抗)や祈りを欠いた研究と、この視点は両立しない。開発主義や生産力主義がもたらしている現状の問題を見過ごして、 いのちの大切さを説く欺瞞に陥らないようにしたい。
 障害学の視点から環境問題を見るためのラフスケッチを試みたが、その作業は緒についたばかりだ。障害学とサブシステンス視座が照射する「いのちの尊厳を 基本とする思考」が地球の破壊を加速させている近現代のシステムに対抗し、それを超える思考になり得るのではないかと直感している。それを検証する作業を 続けてみたい。
===引用ここまで==

少し関連したことを、金井さんは以下のように書く。
===
「共生」という課題の深さを「課題としての家族」という関心から探る。それが一つの問題軸を構成・・・。だが本章での共生への視点のもう一つの軸は「反差別論としての共生論」・・・。反差別論の場面でこそ、「共生」の思想的課題がもっとも鍛えられてきたと考えているから・・・。214ー215p
===
障害者運動から生まれた障害学は反差別の運動の中から生まれたとも言える。障害学を反差別論の水脈の中に位置づけることで、見えてくることもあるような気がする。

以下、おまけ その1
男の視点から、「依存と自立」にかかわる個の領域について読み返すとどうなるか、というのがぼくの課題なのだと思う。森崎さんの「男性にとっての『産むこと』の対象化が必要」というのが引用してある。291-2p育児への参加というようなレベルを超えて『産めない』身体を持つ男が『産むこと』を対象化するというその中身が森岡さんがめざしている方向ではないところにあるような気もするが、それが何なのかはわからない。

おまけ その2
ところで、ここでの依存の倫理・論理と自立とは依存先の多様性だと主張する中村尚司さんや内田樹の議論と重ねたときに見えてくるものがあるだろうか?
親密圏が単数しかなく、他に選択肢がないことが、親密圏の暴力性と連関しているのではないだろうか。

==メモ、ここまで==


ぼくにとっては、かなり手ごわい本で、まだまだ十分に理解しているとは思えない。
金井さんの最近の関心は社会体制の変革というよりも、それぞれの親密圏で個々の人が壊されているような現状にあり、そこをどうしていくかということにあるようだ、ミクロからマクロへというような。

金井さんの、この提起を次に向かう議論として受けとめて、深めていくことがとても大切なことなんじゃないかと感じる。

金井さんの提唱する「ケアロジー」(仮説)に対して、川本隆史さんがケア・スタディーズでいいのではないかという話をしていて、これも面白かった。

ともかく、たくさんの刺激を受け、いろいろ考えるべきことを与えてもらったような気がした。
コメントはアカデミックな人には(たぶんそうじゃない人でもそうかもしれないけど)おそまつで申し訳なかったけれども、ぼくにとってもとてもいい機会でした。

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