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zoom RSS 苦しめられているものたちのためのクリード(信念・深い(応えられた祈り) (『技法以前』メモでもある)

<<   作成日時 : 2011/04/18 05:13   >>

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6月28日に少し追記・訳文訂正(2107年2月7日、再度改訳)

先日、読み終わった向谷地さんの「技法以前」に《ニューヨーク・リハビリテーション研究所の壁に書かれた「病者の祈り」》として引用されていた有名な詩がある。
ぼくも以前、どこかで聞いたことがあった。

これを少しだけ調べて、自分なりに(かなり世俗的に)訳してみた。

http://home.interlink.or.jp/~suno/yoshi/poetry/p_suffered.htmによると、
この「信条」はニューヨーク市34番通り400東にあるリハビリテーション医学協会の待合室の壁にかかっている
This creed is hung on a wall at a waiting room of Institute of Rehabilitation Medicine, 400 East 34th Street NYC.
とのこと。

このページでは
この詩は、ニューヨークにある物理療法リハビリテーション研究所(Institute of Rehabilitation Medicine, 400 East 34th Street NYC, NY)の受付の壁に掲げられていると紹介されている。
そして、ここでは《この詩は「病者の祈り」のタイトルでよく知られている》としながら、《苦難にある者たちの告白》というタイトルがつけられて、紹介されている。

これ、確か、雷門のクリニックにも飾ってあったように思う。

検索すると、 Institute of Rehabilitation Medicine にもいろんな訳がある。
頭にニューヨークがついているものも多い。
それも紹介し始めるとときりがない。


というわけで、以下、ぼくが訳したもの。
ときどき書いてるけど、英語は自信ない。もちろん、他の外国語はまったくできない。

======

苦しめられているものたちのためのクリード(信条・深い思い)(応えられた祈り)
"A Creed For Those Who Have Suffered"(Answered Prayer)

何かを成し遂げたかったから強さを与えてほしいと神に求めた。すると弱くさせられた。謙虚に耳を傾けることを学ぶように。
I asked God for Strength, that I might achieve, I was made weak, that I might learn humbly to obey ...

健康を求めた、もっと素晴らしいことをしたかったから。与えられたものは病弱。もっと良いことをするように。
I asked for health, That I might do greater things, I was given infirmity, That I might do better things...

幸せになろうとして豊かさを求めた。与えられたものは貧しさ。私が賢明であるように。
I asked for riches, That I might be happy, I was given poverty, That I might be wise...

人々の賞賛を得るために力を求めた。与えられたのは弱さ。神さまの必要を感じるように。
I asked for power, That I might have the praise of men, I was given weakness, That I might feel the need of God...

人生(いのち)を楽しみたかったから、あらゆるものを求めた。授かったのは、いのち(人生)。あらゆることを楽しむように。
I asked for all things That I might enjoy life, I was given life, That I might enjoy all things...

求めたものは一つとして与えられなかった。しかし、希んだことはすべて聞き届けられた、
ほとんどが私のままであるにもかかわらず、言葉にならない祈りはすべて叶えられれた。
I got nothing that I asked for-But everything I had hope for;
Almost despite myself, My unspoken prayers were answered.

最後の一文《I am among all men most richly blessed.》はちょっと手に負えない感じ。

思い直して、日本語にしてみる。

《私は誰よりも誰よりも豊かに祝福されている》


参考までに
「私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ」という訳とか「私はだれよりも最も豊かに祝福されている」という訳がある。他に「親愛なる神よ。あなたの光が、わたしの内なる自己を満たし、わたしが生きとし生けるものすべてを祝福できるようわたしを光で満たしてください ・・・」という訳があったが、参照した原文が違うのかもしれない。



====
弱いものが弱いまま、その存在を肯定される。

しかし、金や力や名誉や地位なんてまったくいらないというと嘘になる。それなりの金やそれなりの力は欲しいと思ったりもする。病気も、それを受け入れるのには時間がかかりそうだ。


そう思い出した。これが『技法以前』に紹介されている文脈。こんな風に書かれている。
 本当の意味での「当事者の力」とは、弱さの対極としての強さや、弱さを否定し克服された強さによって下支えされているのではない。むしろ、弱さと無力に裏付けられてこそ、当事者の力である。浦河における「専門家としての当事者」像を支える基盤は「弱さの力」なのである。
 先に紹介した爆発系のメンバーが最近、ふたたび強力なイライラ感に襲われ一泊二日の休息入院をした。その彼が退院後、電話をくれた。
「向谷地さん、わかったよ。今回はね、病気なんかなければいいのにとか、病気が取り去られればいいなと思ったら急にひどいマイナスのお客さんがやってきて襲われたんだけど、『病気でもいや』って考えるようにしたら落ち着いたよ。ぼくは、もう諦めて病気路線でいくことにしたよ(笑)。そのほうが楽だよ……」
 それを聞いて思い出したのが(この詩)(以下略)
というわけだ。

まあ、こんな風に思っても、しばらくしたら、また病気を追い出そうとかして、ジタバタしたりするのだろう。そういう経験を繰り返すことが許されるゆるい空間として浦河べてるを中心とするコミュニティがあることがメンバーの生きやすさにつながっているようにも思う。当事者にとって、それは必ずしも楽な選択ではないかもしれないし、その「ゆるさ」を維持するための努力や経験もあり、それもまた、そんなに容易なことではないかもしれない。


弱さや病気を克服したいという、ある意味普通の価値観は一方では厳然と存在する。それはあながち否定的なことばかりではない。

弱さや病気を受け入れることと、それを超えようとする意思、その両方の微妙なバランスをどこでとっていくか。あまりにも後者に偏りすぎた価値観から、ちょっと自由になることがまず、必要なのだろう。そこからできるだけ自由になり、病気や障害との付き合い方を変えてみること。そういう経験を重ねる中で「弱さ」を味方につけてみよう。

うんざりするような自分の弱さ。それと仲良くなることが必要だといわれて、その時はそうかと思う。しかし、ぼくにとってその弱さはかなりインチキな部分だったりもする。それでも、そういう自分を過度に否定しないでおくのもいいかもしれない。

しかし、本当にそれでいいのか、とも思う。

そんな風に行ったり来たりしていいんじゃないかな。


先日、向谷地さんとべてるの誰かが「ラルシュ・かなの家」に行ったと聞いた。どんな出会いがあったのだろう。今度、聞いてみよう。


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