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zoom RSS 『自然に学ぶ粋なテクノロジー』メモ(その5)

<<   作成日時 : 2011/05/10 01:46   >>

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その4
http://tu-ta.at.webry.info/201105/article_3.html
の続き


その4で以下のように書いた。
===
「循環型社会の創出と生活価値の不可逆性の両方を肯定すること」の難しさ、ここがさまざまな問題解決を試みる上で大きなネックになっているのは間違いない。しかし、その解決の方法が「欲のかたちを、従来型の物欲から精神欲へ変換すること」といわれると、・・・。
===


ここの部分をより正確に引用してみよう。

===
循環型社会と生活価値の不可逆性を同時に肯定することは、すなわち、人間の欲の拡大を認めながら、循環型社会をつくることになる。従来型のテクノロジーでは二項対立を起こしてしまう。両方を肯定するには、欲のかたちを、従来型の物欲から精神欲へ変換することが必要である。(図6−5参照)125p
===
この図6−5のキャプションには以下のように書かれている。
===
 循環型社会の構築と生活価値の不可逆性の肯定が二項対立とならないテクノロジーと暮らしかたが求められている。
===

これに続いて、「西洋の自然観」の説明がくる。簡単に書いてしまえば、「人間による自然支配」。この項目の最後に「ハイデッガーはプラトンからヘーゲルにいたる西洋哲学の思想を批判したが、(中略)この重大な認識もプラトン以降の西洋哲学の根幹を変えるにはいたっていないのである」とある。

それに対するものとして、「日本人の自然観」というのが出てくる。ここで引用されるのが宇根豊さんの「百姓は稲をつくるのではない、他をつくるだけ、あとは大地の恵みで稲ができる」133p。花崎さんや村田さんがやっている「田をつくる」というグループは知っていたが、こんなところで、これに出会うとは思わなかった。

で、ここでこの日本は特別だという著者の主張に対して、書きたかったのは、このような自然観は多くの先住民が有している自然観だということ。

日本だけが違うとしたら、このような自然観をもちながらも工業国になったということ。しかし、この自然観をかなり捨てたから工業国になったという側面もある。この自然観と工業立国が両立可能なのかどうか、という部分が問題だろう。

確かに著者が指摘するように、日本の域内でも、このような伝統的な自然観を維持している部分はまだあるだろうが、それをなネーチャーテクノロジーによる技術革新と結びつけることができるかどうか。どのようにその自然観を主流化していくのか。

著者は以下のように書く。

===
 テクノロジーが自然支配の思想のもとに、現代の環境問題を誘発したのであれば、現在の環境問題へのアプローチは、テクノロジーにおける自然観の再認識であり、自然と人間とのかかわりを改めて考えることであり、これを基盤としたテクノロジー創出にあるのではないかと思う。133-134p
===
ここまではその通りだと思う。前にも書いた山之内=ヴェーバーを引用すれば、そのテクノロジーを可能にする「世界像革命」の必要性といえるだろう。そして、著者はこのテクノロジーの変化が「生命文明」に必要な新しいライフスタイルをつくると主張する。この「世界像革命」とテクノロジーの連関というのは非常に興味深い点だ。

山之内靖さんは「世界像革命」の必要性を説きながら、何がそれを可能にするかというところまでは書ききれていないと思う。ここで、この本の著者はその契機として、テクノロジーの変換を説く。しかし、そのようなテクノロジーの変換を何が可能にするのか、という部分で、「従来型の物欲から精神欲へ変換」というだけではまだまだ不十分だと思う。そのトータルな変換について、地下資源の枯渇を待つのではなく、能動的に関わっていくことが必要であるはずだ。

そのような形でのトータルでダイナミックな転換が問われている。世界像と技術の転換はどちらが先というような関係ではなく、さまざまな変換の中での主要な軸として、その両者をかみ合わせながら進めることが必要になるはずだ、というふうに、ぼくも今は、抽象的に書くことしかできないが。


再びこの本に戻ろう。上で引用した部分に続いて、著者は以下のように書くのだが、このように書かれてしまうとちょっと鼻白む。
==
そして、そのような解を創出できるのは、きわめて高い自然観をもつ日本人なのではないかと思うのである。134p
==

日本の特殊性・優越性というのがほんとうにあるのかどうかが、ぼくとこの著者の意見がわかれるところになる。

別に、日本でそのことに挑戦しなくていいということではない。日本だけが、その特権的な地位を持つといってしまうことが、日本の優位性を説く排外主義につながる危険を持つと思うからだ。また、そのような技術は、世界のいろいろなところから生まれるべきなのではないか。

確かに現状で日本には高度な産業集積の技術があり、その底辺を支える金属加工などの職人さんの技術はある。そこを活かすことは必要だと思う。しかし、そのような技術こそ、日本だけに秘蔵するのではなく、どんどん海外にも広げていかなければならないはずだ。背景になる文化とも密接に関係しているので、なかなか難しい話だとは思うが。


ともあれ、これに続けて、著者は江戸の例に移る。そこで、江戸時代には高度のテクノロジーがあったにもかかわらず、大量生産大量消費の発散型社会をつくらなかったのはなぜか、という問いが提出される。137p

その江戸という時代が、生きることを楽しむために物欲ではなく、精神欲をあおるエンターテイメントを選んだ。まさにここに「文化をまとったテクノロジーが生まれた」137-138pという。それが「粋」という概念で説明されるが、そのあたりは略。


そして、この章は以下のように閉じられる。
===
 ネイチャー・テクノロジーは単なる自然模倣ではない。自然のメカニズムをテクノロジーとしてリ・デザインし、物欲から精神欲をあおり、淘汰を進めるあたらしいテクノロジーのかたちなのである。そして、アジア発、とりわけ日本発となるべきあたらしいテクノロジーのかたちでもある。143-144p
===




今回の読書メモもとりあえず、ここまで。


P.S.
そして、次の章(第7章、タイトルは『ネイチャー・テクノロジーを生み出すシステムが必要だ』)に続く。

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