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zoom RSS 『自然に学ぶ粋なテクノロジー』メモ(その6)

<<   作成日時 : 2011/05/13 08:25   >>

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その5
http://tu-ta.at.webry.info/201105/article_4.html
の続き


その5の最後で書いたように第7章のタイトルは『ネイチャー・テクノロジーを生み出すシステムが必要だ』 。

この章のリードは以下
===
ネイチャー・テクノロジーを創出するには、2030年の環境制約因子の中でワクワクドキドキしながら、安心して心豊かに暮らせる「あたらしいライフスタイル」を具体的にデザインするところから始まる。そして、その中から必要とされる要素技術を抽出し、それとマッチングする技術を・・・147p
===

これまで、技術を牽引してきたのは利益であったり、発明者の名誉だったり、知識欲だったりした。こんなものがあれば便利という必要がエンジンになったものもあっただろう。それらが渾然一体となって技術は進展してきた。ここでは、そうではなく、2030年のライフスタイルから技術をイメージするという。この発想は従来の技術の進展とはかなり別の形といえるだろう。そして、ほんとうにそれは可能なのだろうかと思う。

そして、著者は「ネイチャー・エネルギーをつくる四つの要素」として以下を挙げる。
1、自然を基盤とした超省資源・省エネルギー
2、コミュニケーションあるいはコミュニティを誘発できる
3、愛着を呼び起こす
4、簡にして明である


1、の例の説明として、

エアコンが例に出される。ザトウクジラのヒレの前縁の凹凸は水の抵抗を小さくする役目をもっており、この構造が空気抵抗を32%低減するという報告がある。それをエアコンのファンに採用すると、効率はよくなるが、それはネイチャー・テクノロジーではないという。これでは「行為の淘汰」につながらないというのだ。
そうではなく、電気を使わずに快適な空間を無電源で作ることが《「もの」から「こと」へ》転換であり、それが第三の淘汰に必要だとあるのだが、それはほんとうに『《「もの」から「こと」へ》転換』なのだろうか?

そこでいう「もの」と「こと」とはなんだろう。

何をどうすれば『《「もの」から「こと」へ》転換』になるのか、もうひとつ不明のままだ。


「行為の淘汰」については読書メモその2
http://tu-ta.at.webry.info/201104/article_12.html
で触れている。
「生命文化を創出するその4つの淘汰のステップ」のうちの「第三の淘汰」。以下に引用しよう。

==ここから引用==
第三の淘汰
「行為の淘汰」であり「もの」から「こと」への転換だという。
こんな風に書く。
===
(それらの淘汰を経てもなお最後に残った)捨てられない利便性を担保しながらも、循環型社会を創出できるテクノロジーによるあたらしい文明創出といえるかもしれない。52p
===
さらにこんな風にも書く。
===
第1章で見たとおり、たとえば、土がもつ小さな孔を使うことによって無電源エアコンをつくることが可能である。、第三の淘汰とは、このように、省資源・省エネルギーから、エネルギーレスのあたらしいテクノロジー観による淘汰なのである。
 これは従来のテクノロジーの延長にはない。このあたらしいテクノロジー観が自然のすごさを賢く活かすネイチャー・テクノロジーなのである。それは誰でもがそのテクノロジーを「理解」でき、・・・、それがきっかけになって「あたらしいコミュニケーションを生み出す」という、単に道具としてのテクノロジーから、テクノロジーそのものが精神性をもつあたらしい概念の創出でもある。53-54p
===

ここで、第三の淘汰の説明が終わるのだけど、これがどうして《「行為の淘汰」であり「もの」から「こと」への転換》なのか、もうひとつわかりにくい。

==引用ここまで==

《行為そのものを淘汰…とか、「もの」を「こと」へ転換していくテクノロジー》、ここが頭の悪い僕には、もうひとつリアルなものとして把握できない。

2、コミュニケーションあるいはコミュニティを誘発できる

これはわかりやすい。
===
テクノロジーを中心としてコミュニティーやコミュニケーションが存在するということ…。テクノロジーを通して人が集い、家族が語らうということ…。近代テクノロジーは、単に利便性を追求し、消耗する道具としてしか使われないことがほとんど…150p
===
基本的に間違いではないと思うが、ちょっと揚げ足をとれば、追求されたのは利便性以上に利益性だったと思う。小さなモデルチェンジをくり返し、技術革新はあえて小出しにし、膨大な宣伝費を費やし、技術よりも宣伝がものを売ってきた。そこは明確にしておきたい。

で、これに続けて以下のように書かれている。
===
道具としてのテクノロジーは人とのつながりをかえって疎遠にし、・・・・。これでは、人を思いやり、自然を思いやるという、人にとってのもっとも重要な利他心を捨て去らせる道具にしかならない。
===
ここは確かにほとんどのテクノロジーはそんなものだったと思う。ただ、ITが生み出したコミュニティやコミュニケーションの力はあなどれないだろう。それは視覚障害者の読書を容易にし、要約筆記の精度を向上させた。田舎での情報アクセスを飛躍的に向上させた。もちろん功罪の罪のほうも少なくはないのだが・・・。生身のコミュニケーションとITによるコミュニケーションのベストミックスが求められていると思う。もちろん、比重はより前者に戻す必要があるように感じるが。


そして、近代テクノロジーとしての燃料電池の例がでてくる。「一家に一台」というスローガンがあるが、「十家族に一台のほうが効率がよいに決まっている。そうすることであたらしいコミュニティーとコミュニケーションが生まれるのである」という。これもわかりやすい話だ。しかし、同時に近隣関係がいびつなまま、十家族に一台の燃料電池を使いまわすことになったら、それはそれで非常にいやな思いをすることになるだろう。十家族でひとつの機械を保持するだけの土壌をどう作っていくのかということが大きな課題になるはずだ。

ともあれ、このように燃料電池という近代テクノロジーを使ってもコミュニティは可能だという例が提出されている。


3、愛着を呼び起こす

ここは図のキャプションで以下のように書かれている。
===
図7−3 テクノロジーに直接介入(触る、理解できる、修理する)できること、そこに愛着の概念が芽生える。

さらにこの説明の結語では
===
 テクノロジーは使う対象があって、使う人があってはじめてその役割を果たす。完璧ではないのである。その未完の部分に私たちが楽しく介入できることが、ネイチャー・テクノロジーでの愛着につながる・・。
===

現在のような乗り終えるまでボンネットもあけないような自動車ではなく、何かあればボンネットをあけて、どうしたのか考えることができるような技術というわけだ。

4、簡にして明である

上記の自動車の例のように生活者がテクノロジーに参加できることが大切だという。

そして、これら4つの要素が全部そろうまで待つ必要もなく、いくつかの要素を満足する技術にできればいいという。

四つの要素についての説明は以上。

さて、『ネイチャー・テクノロジーを生み出すシステム』の話がこれからどのように出てくるか、読んではいるが忘れている。

今回の読書メモもとりあえず、ここまで。

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