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zoom RSS 『チェルノブイリは女たちを変えた』読書メモ その3(マリア・ミース)

<<   作成日時 : 2011/06/21 07:40   >>

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この本でマリア・ミースは『自然を女の敵にしたのはだれか』という文章を書いている。

ミースが書いているチェルノブイリの9つの教訓
(こうした教訓は目新しいものではないが、改めてその重要性がさし迫ったものとなったと彼女は書く)

適当に要約して、以下。

===

1、個人的に助かるということはありえない。

2、地球は有限。大地に危害を加えれば、反撃が返ってくる。

3、「責任ある人びと」(政治家や科学者)を信頼するのは、生命に関わるほど危険。自分たちの権力の維持を優先。

4、世界を支配する男たちを信頼するのは生命に関わる。彼らがモラルを持っていないから。

5、政治家や科学者を信頼するのは生命に関わる危険だというのは、彼らのモラルのなさだけがその理由ではない。彼らの冷酷さと想像力のなさゆえでもある。

6、その「責任ある」専門家は、モラルと心のない人間だいうだけでなく、悟性も持ちあわせていない。

7、原子力の平和利用などというものはないということが明白になった(遺伝子技術なども)。それは、その方法が生命や女や自然を破壊するものだから。このような技術の原理から考え直さなければ、ある戦争技術を別の戦争技術で修復するというような話になる。

8、このような性急な、民衆をなだめようとする、あらゆる試みが示しているのは、ただ一つ。われわれの「責任者たち」がおびえているということ。彼らがおびえているのは地球の生命とその未来が破壊されることに対して、ではなく、私たちの不安や憤りに不安でおびえている。

9、この社会を「石器時代に引きもどす」には、進歩信仰や商品社会から自由意志で降りることを要求してきた人びとではなく、技術の賛同者や推進者たち。



ミースはこれらの教訓を紹介した後、以下のように書く。





===

生活水準か生命か



だが、こんなにも長い間、私たちが彼らを信じてきたとはi、いったい彼らはどんな手をもちいたののだろうか。その理由の一つは、独占的な地位を築きあげるためにほとんどの領域で彼らが用いてきた暴力である。

もう一つの理由は、このシステムについて私たち自身が暗黙のうちに共犯者であったことだ。経済、科学、政治の分野を支配している男性同盟は、私たち一人ひとりの中に戦略的拠点を築いてきたのだ。この戦略的拠点の中心的な柱になっているのは、私たちが生命お・よ・び・たえずあがっていく生活水準と、その両方を同時に手にすることができるという、錯覚である。(ここ、日本語としてどうかと思うけど・・・)私たちは今よりさらに多くの商品を、さらに多くの便利さを、さらに多くの豊かさと快適さを得ることができ、それと同時に、汚染されていない健全な自然の中で、他の民族と平和な関係のなかで、男性と女性の間に平和があるなかで、「幸福な生活」をも手にいれることができると信じてきた。

チェルノブイリは私たちに、このようなことは両立しないということを間違いようのないまでにはっきり示してくれた。・・・。健康な食事、汚染されていないミルク、心配なくいることができるような汚染されていない場所、「毒」を気づかうことなく、こどもがのびのびと遊ぶことができるところなど、文字どおりの生活必需品の欠乏でもある。

私たちが人生についてこのような錯覚に固執しているかぎり、電気歯ブラシに始まり、コンピュータ、二台目の車や、このシステムが私たちに加える、さまざまな苦痛を償うために南の国で過ごす年二回のバカンス、こうしたものがどれも必要だと信じているかぎり、そのかぎりでは、支配者たちは私たち相手のゲームに楽に勝利する。・・・。原子力発電による電気がなければ、わが国では電気が消えてしまうという嘘のプロパガンダで私たちを恐喝できることを知っているからである。彼らは、私たちにとっては生命よりも生活水準が大事であり、自由よりも消費のほうが大事であることがわかっているからだ。 144-145p

原子力発電のかわりに太陽エネルギー、石炭や石油など、他のエネルギー源が必要だ。そして現在の発電能力が維持されれば、われわれがなれてしまっている快適さを失うことを恐れることはない、と民衆にいう人びともまた、こうした生きることについての錯覚を引き継いでいるのだ。

なぜなら、こうしたエネルギーは今後も環境汚染を続け、第三世界の搾取を続けるという犠牲を払わなければ、手に入らないからである。 (略) (南の)国々の政府を工業諸国との固い依存関係にとどめておねばならない。さらに植民地主義を、というわけだ。

手短にいえば、どんな方向転換のためのシナリオといえども、原子力エネルギーのオルターナティブを単なる技・術・的・な問題としてとらえるにとどまって、オルターナティブな関係性の問題として取り扱わない限り、自然、第三世界、そして女性の搾取を続けることになるだけだ。どの党の父権主義的技術主義者も、人間や自然にやさしい、別の関係性を求めようとはせず、新たなオルターナティブ・テクノロジーの開発に魅せられている。思いどおりにできるという狂信からさめることはない。

現在の生活水準を諦めたくないために、技術的に原子力エネルギーから降りることだけを要求し、自分たちの生活水準を支える破壊的な土・台・について考えない人間は、「責任者」が安心させるよう数字をあげてくれることを、ひそかに歓迎していることだろう。(略)

・・・私たちはたえず引きあげられていく生活水準、便利さ、豊かさと、よい生活というものとその両方を手にいれることができるという、致命的な幻想を捨てなければならない。原発を廃止すれば、便利さが後退するという脅かしに、私たちは驚かない。もっと車の数をふやすことより、もっとコンピュータをふやすことより、ありとあらゆる商品の数をもっとふやすことより、私たちにとっては生命の方が大事なのだと、ここで言わなければならない。私たちがこうした生活についての錯覚を捨てれば、もはや私たちを恐喝することはできない。そうしてはじめて、私たちは父権主義的技術主義者が文明と呼ぶ野蛮を克服するために、息の長い努力を続けられるようになるのである。自分の内部に明確な関係性をつくりだしてはじめて、すなわち永久的に両方の側にぎくしゃくとなびくことをやめ、見せかけだけのしあわせを約束している、私たち自身の内部にある、このシステムの戦略的拠点を破壊してはじめて、私たちは戦いを持続させることができる。それが長期にわたろうとも。

支配者たちの戦略拠点が無傷で私たちの内部にあるかぎり、言葉だけのラディカルさ、ほとんどが救いのない憤りと絶望に支えられた単なるデモ、法律や建設地の垣根を象徴的に破るだけでは、支配者の地位にある男性同盟は驚かない。だが、私たちの熱い憤りが冷静な憤りとなり、技術を別の技術で代替させるだけでなく、生命に対する憧憬を、さらに多くの商品を消費することによって性懲りもなく窒息させてしまうことのないような、これまでとは別な関係性をつくり出そうと決意すれば、彼らを恐怖に陥れることになるだろう。 144-148p

====



まさに写経って感じで長く書き写したのだが、書きながらいろんな違和感もうずまいていた。つまんない話から書くと、この日本語の問題。もう少し読みやすい意訳があってもいいと思う。読点が入る場所も・・・。

でも、ま、そんなことはたいした話じゃないだろう。訳してもらえて、初めて読めるし、だいたいの意味はわかるのだから。

で、問題はこのミースの主張。

基本的には正しい、っていうか、すっごく正しいっていうか、正しすぎるほど正しいというようには思うのだが、「引きあげられていく生活水準、便利さ、豊かさ」って、庶民にはそれなりに魅力的だから、惹かれるわけだ。「それは『南』と環境と女を犠牲にしているから捨てなさい」、とだけ言われてもなかなか難しいのも現実だ。どのようにそのものの豊かさかを追い求める暮らしから離脱できるか、自分の中にある戦略拠点を壊すことができるのか、どの程度の生活がわたしたちに認められるのか、そのあたりのことを抜きにして、この結論だけ押し付けられても、ちょっとなぁ、という感じは強い。

ものの豊かさはそれとして、素敵だけど、という前提をおいてくれたら、もっとわかりやすかったんじゃないかなぁ。

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